第27話 約束と目標

 家に帰ったらすぐにプロットを考えるつもりだった。

 それなのに、今目の前にあるのは、ノートではなく名刺だった。


 ただの紙切れなのに、まるで天国へのパスポートのように見えた。

 そのかわり、賄賂わいろとして玲を差し出す必要がある。

 いや、生贄いけにえと言った方が正しいか。


 説得すれば目標が必ず叶うわけではない。

 けれど目標が叶う確率は、今よりはるかに高まる。それは間違いないだろう。編集者の意見を聞きながら、最高におもしろい作品を書くことができるのだから。


 部屋の戸が叩かれて聞き慣れた声が聞こえてくる。

「入ってもいい……?」

 

 あわてて名刺を机の引き出しに隠してから戸を開けると、玲が立っていた。

「おじゃまします……」


 顔色は悪くない。

 少しだけ落ち着きを取り戻しているようだった。

 玲は机の前のイスに座り、一志はベッドに腰かけた。


「さっきは、ありがと、ね」

 まだ震えの残る声で小さく礼を述べてくる。 


「中学校の勉強と声優の仕事の両立ってけっこう大変だった。最初は養成所でレッスン受けたりワークショップ行ったりオーディション受けたりで全然仕事なんてなかったけどね。だけどやめたいなんて思わなかったよ。やっと目標が叶ったんだからがんばろうって」


 玲は前置きもなく話を始める。

 その時が来たのだと思い、一志は静かに聞くことにした。


「初めてもらった仕事は、今でも覚えてる。ガヤってわかるかな。人が多くいるアニメのシーンで主役の声優さんの後ろでいろいろな声を出すの。ショッピングモールが舞台なら中学生もいるだろうって使ってもらえたんだよ」


 セリフらしいセリフもなかっただろうに。

 それでも玲は、心からうれしそうに語っている。


「その時の音響監督さんに気に入られたおかげかな。他の作品にも出してもらえたり他の監督さんに紹介してもらえたり、仕事がどんどん増えていった。その頃は、まだ事務所に正式に所属してなかったから、ギャラも安くて使いやすかったのかも」

「違うよ。がんばってきた結果だよ」


 声優のことも業界のことも知らない一志も、そこだけは否定しておきたかった。


「ありがとう。一志にそう言ってもらえてうれしいな」


 玲は満足そうにうなずいた。それからまた口を開いてポツポツと話し出す。


「アニメの現場が多かったけど、外国映画の吹替とかゲームの仕事もいろいろやらせてもらったなあ。一志は、ソシャゲってあんまりやらないよね?」

「前はやってたけど、途中でサービス終了してからやってない」

「わかる。サービス終了は辛いよね。私も自分の声をあてたゲームやってたんだけど、半年もしないうちに終わるのは残念だった。もっとなにかできなかったかなあって思っちゃう」


 責任感の強い玲らしい発言だ。

 やはり彼女は、仕事に対してまじめで一所懸命である。


「あとね、同じ事務所の高校生くらいの女の子たちといっしょに声優ユニットも組んでたよ。アイドルみたいにステージで歌ったり踊ったり。あんまり予算がないから大きなステージには立てなかったけど、CDは出したから今度聴かせてあげるね」

「いいよ、べつに」

「いい曲だから聞いてよ。事務所の先輩からはあんまり評判よくなかったけどね。声優は歌手でもアイドルでもないんだからそんなの遊びだって言われた。でも、これだって仕事でしょ? まじめにやらないと事務所にも応援してくれるファンにも失礼だと思わない?」


 身を乗り出して聞いてくるので一志は肯定するようにうなずいてやる。


「だんだん声の仕事よりも歌とダンスのレッスンが多くなってきた時はちょっと辛かったな。私って声優なの? それともアイドルなのって? でも、私にはこれがあったから大丈夫」


 玲が見せてきた端末の画面には、一志の小説が載っている投稿サイトが表示されている。

 しかし本人は気づいているのだろうか。話せば話すほど芝居がかった口調になっていることに。まるで辛さを隠すために演技をしているように見える。


「実は前から知ってたんだ。黙っててごめんね。中野零先生上手くなったよね。おもしろくないけど。新人賞をどんどん突破していくのも納得だよ。おもしろくないけど」

「いちいちおもしろくないけどって言うなよ。さすがに傷つくわ」

「ごめんごめん。でも、これを読んでたら一志の本気は伝わってくるよ。がんばってるなあ、私も負けてられないなあって気持ちになるんだよね。まさに元気モミモミ! って感じ?」

「大丈夫か?」

「利益を出すことは大事だと思う。でも、お金のためだけに作品を書くのはやめてほしい」


 一志の心配をよそに玲は話を続ける。


「沼田さんに言われたんだ。『お前たちはうちの看板商品だ。これからどんどん売っていくからどんどん稼いでくれ』って。激励のつもりで言ったんだと思う。それを聞いてがんばろうって他のメンバーは思ったみたいだから間違ってないと思う。でも、私は怖くなっちゃって……。自分が商品だと思ったら周りの人の目が怖くて、品定めされるみたいで……息が苦しくなって……そしたらステージに立てなくなって……仕事に行くのも学校に行くのも辛くて……」


 それ以上は聞かなくてもわかる。

 元マネージャーの沼田と再会した時になんとなく察していた。

 あの人となにかあったのだと。

 玲がお前と言われることを嫌うのも、対人恐怖症になったのも、あの男が関係しているとすぐに理解した。


「せっかく目標を叶えたのに……こんなことでやめちゃうなんてダメだよね……」

「ダメじゃない。辛いのに無理する方がおかしいだろ」

「ごめん……ごめんね一志……」

「なんで謝るんだよ。なにも悪いことしてないだろ」

「一志の作品に私が声をあてるって言ったのに……その約束を破ったから……」


 たしかに約束した。

 自分だけでなく相手も覚えていてくれたことに顔がほころぶ。


「その約束なら、もう叶ってるよ」

「嘘……叶えられてないよ……」

「さっき自分で言ったじゃないか。僕の作品に声をあてるって」

「だから作品に声を……あっ……」


 ようやく気がついたらしい。

 作品に声をあてるだけならべつにアニメでなくてもいい。

 そう、朗読劇という形でも作品に声をあてることに変わりはない。


「ベッドの下の引き出しを開けてみてよ」

「え……?」


 玲がおぞましいものを見るような目でベッドの下と一志の顔を交互に見る。


「べつに変なものは入ってないから。少し恥ずかしいけど、とにかく開けていいよ」


 半信半疑といった風だったが、玲は引き出しに手をかけてゆっくりと引き出す。そこに顔を近づけると、彼女はさらに驚いた表情を見せた。


「これ、初めて主演が決まったアニメのDVD……しかも限定版……」

「本当はBlu-rayボックス買いたかったけど高くて買えなかった。ごめん」

「なに言ってんの。うれしいよ。ありがとう」


 玲の顔色がほんの少しだけ明るくなり、ぎこちない笑顔を見せるようになった。

 引き出しの中に入っているものを次々に取り出していく。


「初めてインタビュー記事を載せてもらった雑誌だ。この時の写真ちょっと変だよね。まぶしくて目をつむっちゃったんだ。あ、懐かしい! 吹替担当した海外のB級映画のDVD。これ全然売れてないって言われたのに。よく私が担当してるってわかったね」

「まあ……事務所のホームページに出演情報が載ってたから……」

「そこまで確認してくれてたんだ。もしかして、やってたソシャゲも私が声をあてたやつ?」

「べつに……たまたま……」

「じゃあ、デビュー曲のCDがここにあるのもたまたま? しかも数量限定の私のサイン入りブロマイド付き。この時の衣装まだ持ってるよ。今度着て見せてあげようか?」

「あの……もうそのへんで……」


 玲に少しでも元気になってもらいたくて見せたけれど、自分の中のなにかが奪われていく気がした。あまりの恥ずかしさに熱くなった顔を手で隠す。


「でもよかった。こんなに応援してくれる人が近くにいたらまたがんばろうって思えるよ」


 一志は首をかしげる。

 またがんばろうとは、今度のイベントのことだろうか。


「私、事務所に戻ることにしたから」


「は?」


「本当は事務所をやめたんじゃないの。ちょっとだけお休みしてるところだったんだ」


「いや、なにを……」


「その方が一志にとってもいい話だと思わない? 目標達成に一歩近づけるんだから」


 一志の顔面が青白くなる。

 どうしてそれを知っているのか。

 まさかあの場にいたのか。


「さっき沼田さんから連絡があったよ。事務所に戻るなら一志に出版社を紹介するって」


 さすが敏腕マネージャー。

 顔が広いだけではなく、面の皮まで厚くていらっしゃる。

 一志の知らないところで玲にも似たような取引を持ちかけていたらしい。


「大丈夫。私のことなら心配しないでいいよ。あおぞら朗読劇では、ちゃんとできたでしょ? ちょっとがんばれば前みたいにステージにも立てるようになると思う。だからお願い……」


 玲は潤んだ瞳で見つめてお願いする。


「大丈夫って言って。がんばれって言って。そしたら私……またがんばるから……ね?」


 一志の脳裏にいくつもの選択肢が浮かぶ。

 けれど答えは、すでに決まっていた。

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