第24話 感謝と涙

 いつの間にか、目の前に見知らぬ中年男性が立っていた。

 生え際がやや後退気味で白髪と黒髪が混じった髪形をしている。感情の読めない表情と鋭い視線を向けられてたじろぐ。


「ありがとう。本当にありがとう」

 中年男性がありったけの感情と力を込めたような握手をしてくる。


「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」


 それでも感謝の言葉は忘れない。

 これは作者から読者への最低限の礼儀だから。

 その人は、玲にも同じように感謝の言葉を述べてからどこかへ去って行った。


 いったい誰だったのだろう。

 誰かに似ていたような気もするけれど……。


「天ヶ沢玲さん。中野零先生」

 そこに本山がやってきた。

 なぜか涙を流しながら笑っている。


「天ヶ沢玲さんありがとうございました。体調が悪いのに無理をさせてしまってすみません。でもあなたのファンとしては画面越しではなく生の声。いえ、生の美声が聴けて最高でした。好きな小説のヒロイン役があなたで本当によかったです。後でサインもらっていいですか?

 中野零先生もありがとうございました。やはりあなたの脚本は素晴らしいです。どうしたらあんなアイデアが思いつくんですか。才能、いえあなたの努力の成果ですね。あれなら子どもたちにモミコちゃんの印象を与えることができました。ゆるキャラでなくなる前に有終ゆうしゅうの美を飾ることができてよかったです。先生の小説が本になったらサインもらっていいですか? いえ、今回の台本にサインしてください。最高におもしろいイベントでした!」

 本山の口からは、ネジが外れたロボットのようにとめどない感想が伝えられていく。


「あはは! とうとうリカちゃんが本性を現したな!」

 深く長い付き合いの幼馴染の千代子が大笑いする。


「昔からリカちゃんは感情が高ぶりすぎると笑ったり泣いたり止められなくなるのさ。だからいつもは感情が出ないように人形みたいに振る舞ってるんだよ」


 笑わないのがまさかそんな子どもじみた理由とは……いったい誰が予想できただろう。


「チョコもありがとう。いつもキツイこと言ってごめんね。でもほんとは感謝してるんだよ。昔から困った時に助けてくれて、今日だって子どもたちに呼びかけてくれてうれしい。本当にありがとう。もう最高だよチョコ。これからもよろしくねチョコ。大好きだよチョコ」

 笑い泣きが止まらない本山の世話を千代子に任せて、玲と一志はベンチに移動する。


「今日はごめんね……」


「いいよ、べつに。それより気分はどう?」


「もう大丈夫。ありがとう」


 その言葉を信じてうなずく。


「ねぇ一志」


「なに?」


「今度ちゃんと話すから。それまで待っててくれる?」


「もちろん」


 二人の手は、今も繋がったまま。


 川から流れてくる涼しい風が火照ほてったほおを撫でていく。

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