ACT.2-2

 こちらへ向かってくる人影は、小柄だががっしりとしていた。近づくにつれてその人影の容貌がはっきりと分かるようになる。

 男だった。年の頃は四十前後。残照に混じるように赤に近い茶色をした髪が見える。太い眉に赤銅色の肌は、東方大陸に住む砂漠の民の特徴だ。そしてなにより目を引くのは男の身につけている胸鎧だった。それは夕陽の支配するこの景色の中にあって、はっきりと分かるほど赤い色をしていた。そして自らの身の丈ほどもある大きな剣を背負っている。


「帰りが遅いと思って来て見れば、何をしている」低く力強い声だった。

「コエン……いや、このガキが……」


 赤い鎧の男――コエンに睨まれ、ビーゲイトの語尾がしぼんだ。自分の胸の高さまでしかないコエンに対し、大男は明らかに狼狽している。

 程度の差こそあれ、他の男たちも同じらしかった。先程とは違う種類の緊張を男たちは感じているようだ。


「ビーゲイト。俺たちは何故この村にいる?」


 コエンの声はあくまで穏やかだ。そして力強い。彼の態度は分かりきったことを確認させる為に、生徒に質問している教師のようだった。それもとびっきり出来の悪い生徒に。


「依頼があったんだ……この村の村長から。化け物を……退治してくれって」


 答えるビーゲートはその体躯よりも遙かに小さく感じられた。コエンの前に大男が立つ図は、まさしく教師に怒られる生徒といったふうだ。


「そうだ。俺たちが相手にしなければならないのは、この村に出ると言われてる化け物だ。

 ところでビーゲイト。ここには俺たちを除いて、人間が五人いるように見えるのだが間違いないか?」

「間違い……ない」

「では、ここに化け物はいないんだな?」

「……ああ」

「だったらとっとと帰ってこい! 俺は無関係の人間を巻き込むなと言ったはずだ!」


 突如起こった大音声に、その場の誰もが驚いた。今まで穏やかな声で話していただけに衝撃は大きい。ケインなどは、涙目になって姉に抱きついたくらいだ。


「け、けどよコエン。このガキ、石まで投げてきやがったンだぜ。見ろヨ」


 テンが言う。自分の額を必死な様子でコエンに見せている。


「お前はその程度の怪我で動けなくなるのか? なら傭兵なぞやめてしまえ。その方が長生きできる」

「傷なんぞ屁でもねぇ。オレが言いたいのはこのガキが……」

子供ガキがどうした? まさか、子供こども相手に遅れをとったのか?」

「……なんでもねぇヨ」


 テンはふて腐れた様子で言った。コエンから顔を背けブツブツ呟いている。

 そんなテンを尻目に、コエンはケインの方を向いた。視線を合わせるようにしゃがみ込む。


「坊ずがやったんだな?」


 姉の腕の中でケインが身を固くした。アイラも必死になって弟を守ろうと、その身をぎゅと抱きしめる。何が起こるのか予想できない。だが分からないなりに危機感を抱いた姉弟は抱き合ったまま身構えた。


「その歳でテンに傷を負わせるとは、たいしたものだ」


 しかしコエンから発せられたのは叱責ではなかった。称賛の言葉だ。姉弟は同時に驚いた表情を浮かべ、コエンを見る。


「……だがな坊ず。無謀と勇気は違う。分かるか?」


 ケインは素直に頷いた。自分のしたことで姉を巻き込んでしまったのだ。それも姉が危険な目にあうかもしれない方向に。後悔が少年を素直にさせる。


「分かっているのなら、それでいい」


 真剣な表情で頷くケインを見て、コエンは破顔した。男たちと話していた時とはまるで別人のような顔で、コエンは笑ってみせる。

 まるでそれが合図だったかのように、アイラとケインの緊張の糸が切れた。二人とも完全にへたり込んでしまう。


「夜の見回りに入るぞ。順番が来るまで、休める者は休んでおけ」立ち上がってコエンが言う。

「へいへい。この仕事じゃ、アンタが大将だからな」


 ゼルが皮肉っぽく言う。コエンは相手にせず、視線で男たちを促した。男たちは素直に去って行く。


「お嬢さん、すまなかったな」


 コエンが去り際に、アイラに向かって言った。アイラは何も答えずに、じっと男たちが去るのを見ている。


「賞金稼ぎ! 何しにこんなシケた村に来たのか知らねぇが、俺たちの周りをうろちょろすンじゃねぇぞッ」


 思い出したかのように振り返り、テンがパーズたちを見て言う。

 アートゥラは舌を出してそれに応える。パーズは言葉そのものが聞こえていない様子で、コエンの後ろ姿を見つめていた。


「なんか渋いのが出てきたわね」


 パーズの視線に気づいたアートゥラが言う。


「実物に会ったのは初めてだ」パーズが答える。

「なに。アンタあの渋いオジサマ知ってんの?」

「〝赤い風〟」

「へ?」


 パーズの台詞の意味を掴み損ねたアートゥラが、間抜けな声を出す。


「〝赤い風〟。ティスターナの傭兵ギルドでも、五本の指に入ると言われる実力者だ」

「ふーん。なんでか分かんないけど、傭兵ギルドが出張ってんのね。そりゃ、アンタを嫌うわけだわ」

「俺だけじゃない。あいつらにとっちゃ、お前も同じさ」


 西方大陸中に根を張る賞金稼ぎギルドは、その母体を維持するために多くの収入源を確保している。所属する賞金稼ぎからの上納金や情報の売買以外に、腕のいい賞金稼ぎを目玉とした護衛の斡旋もその一つだ。

 それに対し、情勢が安定してきた西方大陸では戦争も減り、単独で傭兵団を維持できなくなった傭兵たちが協力してギルドを作った。彼らの商品は自らの戦力。

 戦争ともなれば賞金稼ぎの出る幕ではないが、それ以外の仕事は傭兵たちと市場が被るのだ。そのため、傭兵ギルドと賞金稼ぎギルドは犬猿の仲になっていた。


「アンタほど有名じゃないから大丈夫。ただでさえ組織の規模が違うんだから、そもそも相手になんないけどね」


 賞金稼ぎギルドは西方大陸全土に支部を持つほど大きな組織だ。対して傭兵ギルドはもともと複数の傭兵団の集まりで、大きくても一国に一つ。それも各国の厳しい監視つきだ。国を跨いでの組織運営はしていない。

 これは傭兵たちが集まることで生まれる戦力を警戒してのことだった。


「あれだけ喧嘩を売れば、充分嫌われると思うけど?」イェルラが口を挟む。

「なーによ。アンタだってアイツらと仲良くする気ないんでしょ? あのが襲われてるの見て、真っ先に動こうとしてたじゃん」


 アートゥラはべーっと舌を出す。


「あいつらが気に入らないってのには同意するわ」イェルラは傭兵たちが去った方向に目を向ける。「でも、少し気になること言ってたわね」

「化け物のこと? もしかしてアンタのお仲間を倒したのは、その化け物かもね」

「それなら魔導院が知らないはずはないわ。傭兵ギルドに依頼がいくほどの事件なら、なおさらね」

「少なくとも、俺たちが来たのは無駄じゃなかったってわけだ」

「あなたにとっては、そっちの方が嬉しいんでしょ?」


 パーズを真っ直ぐに見てイェルラが言う。パーズは肯定も否定もせず、魔術師を見つめ返した。


「あの……」


 おずおずといった感じで、アイラが会話に入り込んで来た。


「ああ。大丈夫だった?」


 アートゥラが手を取ってアイラを立ち上がらせる。ケインの方は姉にすがるようにして、一緒に立ち上がった。


「はい。ありがとうございました」

「いいえ。結局、アタシたちは何にもしなかったけどね。特にそこの二人は」


 アートゥラは視線でパーズとイェルラを指した。


「あなたは無駄に煽って、愉しんでただけに見えたけど?」

「人生、何事も楽しまなきゃね」


 豊かな胸を誇張するように、アートゥラはふんぞり返って言う。そんな彼女をイェルラは冷めた目で見つめる。


「最初に会った時にも思ったけど……あなたって莫迦なのね」


 そして故郷の厳しい寒さを思わせる冷たさで言い放った。


「アンタねl!」


 得意げな顔をしていたアートゥラが表情を変え、魔術師を睨み付ける。イェルラは涼しげな表情でそれを受け流している。


「あのっ、でも本当に助かりました」


 険悪な雰囲気を変えようと、アイラが慌てた様子で言った。だが言葉そのものはアイラの本心だった。事を収めたのはコエンだが、アートゥラたちが来てくれなければ連れ去られていたかもしれないのだ。


「あ、わたしアイラって言います。こっちは弟のケイン」

「アートゥラよ。こっちの性悪女がイェルラ。暗いのがパーズね」

「暗いは余計だ」

「イェルラよ。よろしくね」


 イェルラはアートゥラの紹介などなかったかのように、澄ました顔で名乗る。


「……なんかムカっときた」


 アートゥラが拗ねた子供のように呟いた。そんな彼女の様子にアイラの表情が綻ぶ。

 いつの間にか夕陽は去り、月光が当たりを支配しようとしていた。それに気づいたアートゥラが、何か思い出したかのようにアイラに訊く。


「ねぇアイラちゃん。もしかして、この村に宿屋ってあったりしない?」


 それはあまり期待のこもっていない問いかけだった。

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