ACT.1-2

「そう怖い顔をしなさんな」

「〝一ッ目〟の情報があるのか?」


 感情を押し殺したような声でパーズは問う。


「まぁ待て」


 そう言って老人は立ち上がり、後ろの棚をあさり始めた。しばらくして羊皮紙を持って戻って来る。そしてカウンターに座り直すと書かれていることに目を通し始めた。


「金貨十枚じゃな」


 読み終えた老人はパーズにそう告げた。パーズは先程渡された木札を差し出す。


「そこから引いてくれ」


 〝情報〟というのは賞金稼ぎギルドの大切な収入源の一つだ。西方大陸各地に根を張ったギルドの情報網は、賞金首以外の情報まで伝達してくる。その速度は大陸でも一、二を争うほど早く、正確さにも定評があった。

 賞金首に関する情報は無料で得ることができるが、それ以外の情報はギルドメンバーであっても有料で取引される。


「毎度」


 老人は札を引き取ると、にやりと笑った。そして代わりに二枚の札をパーズに差し出した。色の違う二種類の木札。一つは先程の支払い札と形や色は同じだが、彫られている符丁が違っていた。もう一枚は同じ大きさの色違い。彫られている符丁は支払い札と違って単純な形をしている。


「情報の値が安いな。期待はずれか……」


 札を握ってパーズは呟く。

 ギルドの売る情報は高額な値で取引されることも多い。金貨十枚というのは情報料としては最低ランクの金額に当たる。ちなみに金貨十枚あれば、両親と子供一人の家族構成でひと月は食いつなぐことができる。


「その情報はちと特殊でな。情報そのものにほとんど価値はない。この時期にこの場所で受け取れたからこそ意味があるんじゃよ」

「どういう意味――」

「お爺ちゃん、元気ぃー? 換金に来てあげたわよ」


 パーズの問いを遮るように、女の声がした。背後の扉から誰か入ってくる気配がする。

 老人の視線が扉へと向かう。パーズも声のした方向へと振り向いた。


「ありゃ、先客?」


 入って来たのは若い女だった。後ろでまとめられた黒髪に大きめの茶色い瞳が印象的だ。そして何よりも目を惹くのは、魅惑的なプロポーションと挑発的ともとれる衣装だった。

 革のショートパンツに丈の短い革のジャケット。開いたジャケットから覗く豊かな膨らみは黒い布で隠されているが、それ以外は露出していた。

 使い込まれた両手の革手袋と、つま先から臑の半ばまでを守るように堅めの革で作られたブーツ。腰のベルトの左右に差した大ぶりの短剣さえなければ、夜の街に立っていても違和感はないだろう。

 女はパーズを見ると、僅かに目を見開いた。そしてすぐにカウンターへとやって来る。


「これお願い」


 無遠慮にパーズの横に立つと、少し大きめの革袋をカウンターの上へ置いた。ガチャリと音がする。開いた袋の中には封球が五つほど入っていた。


「相変わらず小物ばかりじゃな、アートゥラ」


 封球の中を確かめながら老人は言った。


「いいの。アタシは地道に稼ぐの」


 アートゥラは悪戯っぽく笑ってみせる。


「全部で金貨二百九十四枚じゃな」


 差し出された五枚の羊皮紙に、彼女はパーズがしたのと同じ方法で署名と印章を刻む。


「相変わらずぼったくりね」

「何を言うか。その分、お前さんもギルドの世話になっとるじゃろうが」

「そりゃそうだけど……って、それもしかして〝銀狼〟ガラン? 金貨千枚の?」


 カウンターに置かれた別の封球を、アートゥラは目敏く見つける。


「そうじゃ。そこにいるパーズが持ってきた」


 黙ってアートゥラたちのやりとりを見ていたパーズに二人の視線が集まる。突然の闖入者に呆気にとられ、老人に声をかけるタイミングを逃していたのだ。


「ああ。やっぱりアンタがパーズだったんだ」

「なんじゃい。お前ら知り合いか?」


 アートゥラが驚くのを期待していた老人は、気の抜けた声と表情で言う。


「いいや、初めて見る顔だ」間髪入れずにパーズは答える。

「〝左利き〟のパーズと言えば、その名を知らない賞金稼ぎはいないじゃん。二つ名の由来は知らないけど、風変わりな見た目の左腕は有名よ」


 アートゥラは籠手をした左腕を指さしてみせる。そんな彼女をパーズはじっと見つめていた。


「なに? アタシに惚れた?」


 彼女は視線を受けて、にっこりと笑ってみせる。その目には挑発的な光が浮かんでいた。


「いや」パーズは視線を老人に移した。「それよりもさっきの〝情報〟の話なんだが――」

「おうそうじゃった。ちょうどいい。アートゥラ、お前さん小遣い稼ぎをせんか?」

「おい爺さん、先に話をしていたのは俺の――」

「まぁそう急くな。若いもんはせっかちでいかん」


 老人はパーズを言葉で制した。


「小遣い稼ぎ? いい仕事でもあるの?」

「ああ。その気があるのなら、この札を持ってパーズについて行くといい」

「〝左利き〟のパーズと組んで仕事? 面白そう。乗った!」


 アートゥラは自分の支払い札と、老人が差し出したもう一枚の木札を手に取った。


「さっきの情報はこいつに関係があるのか?」じれたようにパーズが言う。

「こいつじゃなくてアートゥラ。さぁ、行くわよパーズ」

「おい、勝手に決めるな」 


 パーズの言葉を無視してアートゥラはそのまま扉へと向かう。パーズは老人の方を見た。


「お前さんも行け。情報を受け取ればワシの言った意味が分かる」


 パーズに喋る暇を与えることなく、老人は封球を持って奥にある扉の向こうへと消えた。


「何してんの、早く来てよ。アンタがいないと始まらないんだから」


 アートゥラは扉を開けたままパーズの方を見ていた。

 老人が帰ってくる様子はない。パーズは諦めたようにため息をついて、アートゥラと共に部屋を後にした。



        ☆



 土季どき陽月ようげつといえば西方大陸では収穫の季節だ。他の季節を通して育まれた農作物が、最も多く実り収穫される。

 商業都市であるクランには、この時期に農村で収穫された作物が多く持ち込まれて、専門の商人によって取引される。クランは普段から賑やかな街だったが、この時期の賑わいは群を抜いていた。


 まだ宵の口ということもあって大通りを歩く人の波が途切れることはない。欠け始めた天空の月が見守る中、松明やランプで照らされた店の中と通りには人が溢れかえっていた。

 パーズはそんな街の大通りを黙々と歩いていた。その足取りはやや速く、まるで何かから逃げているようだった。


「歩くの速いよー?」


 後ろから聞こえてくるアートゥラの声にも、パーズは速度を緩めることはない。


「ちょっと、こら。待ちなさい。待ってってば!」


 半ば強引に人波の中を進むパーズと違い、アートゥラは間をすり抜けるように器用に歩く。いつの間にかパーズの横に並んでいた。


「もう。無視しなくてもいいじゃん。アタシたち、しばらく相棒になるんだし」


 そう言ってアートゥラはパーズに流し目を送る。


「……何を考えている?」


 パーズは真っ直ぐに進行方向を見つめたまま言う。


「何を……って別にぃ。まぁ強いて言うなら、あの〝左利き〟のパーズと組めてラッキーぐらいかな」

「ふざけるな。お前がなんの打算もなく動くことなどない」


 パーズの言葉にアートゥラの足が止まる。彼女は一瞬驚いたような顔をし、すぐに妖しい笑みを浮かべた。


「なーんだ。ちゃんと気づいてたんだ。パーズ坊や」

「!」


 驚くほど近くでアートゥラの声が聞こえた。虚を突かれパーズの足が止まる。瞬間、アートゥラに引っ張られ、二人は人気ひとけのない裏路地へと入り込んだ。

 パーズは壁を背にして立たされる。アートゥラは目の前に立ってパーズを見上げていた。それは頭一つ分低い彼女に、パーズが壁へと追いやられているようにも見える。


「ちゃんと気づいてくれて嬉しいわ。パーズ坊や」

「……お前がどんな姿で現れても、俺には分かる」

「あらぁ。それって愛の告白?」


 アートゥラはにやにやと意味ありげな笑いを浮かべてパーズを見る。


「…………」

「ちょっと、そこで黙らない」


 アートゥラはパーズの頬に手を当てた。パーズは表情を変えることなく見下ろしている。


「それにしても久しぶりね。いい男になったじゃない。おまけに凄腕の賞金稼ぎ……いいわね。美味しそう。

 ねぇ。もう一度アタシと〝契約〟しない? なんでも願いを叶えてあげるわよ」


 パーズは答えない。ただ無表情に彼女を見るのみだ。


「願いがないなら、この体を好きにしてもいいわよ? けっこう気に入ってるのよね、この体。悪くないと思うけど?」


 アートゥラは豊かな胸を押しつけ、上目使いにパーズを見た。妖しく濡れた瞳が近づいて来る。

 そして彼女の唇がパーズの唇に重なろうとした瞬間、黒い籠手に覆われた左手がアートゥラの細いおとがいを下から捕らえた。そのまま体の位置を入れ替え、先程までとは逆にアートゥラが壁に押しつけられる格好になった。


「ちょ、ちょっと」


 アートゥラの慌てた声と表情。しかし左手の力が緩むことはない。左腕一本で、彼女の足を地面から浮かせている。


「冗談。さっきのは冗談!」


 パーズの手が離れた。アートゥラの足が地面を捕らえる。彼女は屈むと、少し咳き込んだ。


「ほんっっと、昔から可愛くないわね。あんたたちって」


 恨めしげに見上げアートゥラは言う。その視線の先にパーズはいない。すでに背中を向けて歩き出していた。


「もう。だから待ちなさいって」


 再び大通りへと消えるパーズの背中を、アートゥラは慌てて追いかけた。

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