【Ⅷ】


 撫子なでしこ色のさくらがわたしの未来を彩っている。


 今日は大学の入学式だ。わたしは着慣れないスーツに翻弄ほんろうされている。なんでこうもピシッとしているのか。

 今日は珍しくお母さんが来てくれた。。わたしの区切りの儀式をことごとくスルーしてきた彼女がこの場に居ることは。

貴女あなたがもう19で大学生…ね。随分ずいぶん…時が経ってしまった」とフォーマルな洋服に包まれた母は言う。

「お母さんは相変わらずだよね…綺麗。わたしよりフェミニンで…」とわたしは言う。相変わらずのベリーショートの髪のせいでわたしにはフェミニンさが欠けている。

「ま、そういう仕事してるからね。色々気使ってるのよ。よる年波としなみには叶わないけど」魔女じみた不老っぷりだけどね。

「あそ。でも―なんで今日、ここに来てくれたの?」素直な疑問。この時間帯だと仕事にさわるのだ。

「…あんたの説教食らってね」とお母さんは意外な方向から理由を出してくる。

「…一郎いちろうさん?いや、お母さんの連絡先とか知らないでしょ?」わたしとのリンクはあれど、お母さんとは無いはずなのに。

「家に尋ねて来たのよ。一週間前くらいかしら」意外な攻め方に驚く。一郎さんは面倒くさがり不干渉かんしょう主義のはずだから。

「彼、そんな性格じゃないはずなんだけどなあ」とわたしは疑問だ。あの人は妙にのらりくらりしている。

「いや。熱ぅーい説教だった。まるで前戯ぜんぎだったわね」と下ネタを挟みながら状況を話すお母さん。娘に何言うとんじゃい。

「そんなに熱い説教だったの?…いや、別人の話してない?仕事相手とごっちゃにしてない?」失礼な言い方だが、そう思える。

「いや…もう。じっくりとっくり舐めつくされた感じ」この人…わたしをからかって遊んでるな?まったく。うぶな大学生の近くでこんな話をしないでよ。嫌な目立ち方してんじゃん。

「…一郎さんに関する事で使うの止めてよ」とわたしは釘を刺す。いい気分はしない。彼とそういう事をするのはわたしだ。これは誰にも譲れない。

「いやあ。娘からかうのって面白いわね」と初めてそんな事をしたこのように言う母。これ、結構異常だ。大凡おおよそ普通の家庭ではありえない会話。

「そりゃ良かったね」とわたしは嫌味たっぷりでこたえる。まだ、素直には喜べない。


「…若林くん遅いわね」と母は言う。いい加減ホールでの長い長い式が始まろうとしている。

「仕事抜けるのに苦労してるんじゃない?さっきメッセでそう言ってた」

「…高石たかいしくんも人遣いが荒いわね」そう、高石さんは母とも古い知り合いなのだ。

「おじさん、良いようにつかってるからね、『アイツには借りがある』ってさ」

「…今日くらい休みにしろって、久々に連絡すべきだった」と母はこぼす。

「それ。わたしも言ったよ。3秒で却下されたけど」おじさんは仕事に関してはわたしにも甘くなってくれない。


 なんて。久々に…いやほぼ初めて母との会話を楽しんでいれば。

 よれたツナギのまま一郎さんがやって来た。せめて着替えて欲しい。


「済まん。商談が長引いた!まだ―始まってないよな?式?」と息を少し弾ませながら言う一生さん。

「あと10分は余裕あるかな」とわたしは情報端末スマホの時計をみながら言う。

「遅かったじゃない?私にあんだけ説教しといて」とお母さんは一郎さんをなじってる。

「しゃあないでしょう?『』の皆様に喰らわされてたんだから」と一郎さんは言う。あまり詳細はかないほうが良さそう。

「ウチの娘と付き合うなら…あまり危ない橋を渡らないでね」とお母さんは…言った。、こんな風に想われるのは。

「…とは言え稼がにゃならんですから」と一郎さんは照れながら返す。なんだかこの会話に違和感があるのはわたしだけだろうか?

「私の付き人にでも転職する?最近辞めちゃったから」ああ。あのトランスジェンダーな男の人、辞めたんだ。家にお母さんを拾いに来ていたのを何回か見ている。

「それは―安全そうだなあ」と一郎さんは言うのだけど。

「お母さんの付き人になんかなったら『』されるから絶対ダメ」この女はやりかねないのだ…母に言うことではないが。


 桜の淡い撫子色の花びらがわたしの近くを落ちていく。


「そうだ。写真撮ろうや」と母の熱い何かに引いた一郎さんは言う。

「記念写真?良いわね」とお母さんは言う。

「もう…記念撮影って歳でもないけど」と慣れてない私は照れてしまう。今まで写真という形で区切りを、過去をのこした事が無いから。


 重力に支配された撫子色の花は不規則な軌道で落ちていく。


「俺だって慣れてねえ」と一郎さんはわたしに笑いかける。その笑顔は温かい優しさに満ちていて、そしてわたしをまっすぐ見つめていて。

「写真撮り慣れてないってどんな人生だったわけ?」とお母さんは一郎さんに突っ込んでいて。


 撫子色の花は地面に落ち。地面と一体になる。

 何時いつか、誰かに踏まれてしまうのだろうか?そう思うと切ない。


「まあ。良いじゃん。やってみよう。とりあえず、ね」とわたしは言ってみる。過去指向は私のモットーに反する。時もわたしも進んでいくのだ。何時までも過去の在り方に囚われ、呪ってる場合じゃない。


「…スンマセン、こいつのシャッター頼めます?」なんて一生さんはそこら辺の新入生を捕まえている。

「良いっすよ。んじゃあ…そこの桜の木のしたに皆さん集まってもらえます?」と捕まったちょいやんちゃ風の新入生くんは私達を桜の木の下にいざなう。


『桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!』そんな事を作中でいったのは梶井基次郎かじいもとじろう。私は『檸檬れもん』なんかが好きかな。鮮やかなイメージを喚起させるのが上手い。

 そう、桜は綺麗すぎて。その下に屍体が埋まっている、なんて主張したくなる気持ちも分かる。

 その花の色と同じ名を背負ったわたしは。いまいち名前に馴染めずいたものだけど。

 そんな事を忘れさせるくらいに、桜の樹は、花は、美しくて。

 下から見上げれば枝が無数に別れながら空に向かっていっていて。こいつは世界の比喩じゃないか?とか思いつつ―もう一つ別のイメージが浮かんでいた。


 タロットのアルカナ『恋人』の絵だ。知恵の実の下でたたずむ大いなる存在とアダムとイブと蛇。

 アダムとイブはわたしと一郎さんで―お母さんは…大いなる存在に押し込んどいて…そして。蛇は…やはり正木萌黄まさきもえぎだろうな。直接会ったことは無いけど、そういうキレのある賢さを持っているような気がしてならない。

 そう。 

 ―「この実を食べて―。別にしないわよ?」

 その果実の甘美な甘さで…わたしは変わった。それはキリスト教的価値観では罪の始まりだという。しかし、またグノーシス的な解釈を持ち出すなら、男と女が合一し、男女おめとなり、大いなる存在に近づく一歩なのだ。


 わたしと一郎さんは分かたれた半身同士。それは蛇の導きにより桜の木の下に。

 いずれは成すだろう。子を。これは予言。

 そして連綿とした人類の歴史の中にコードを遺して消えていく。そこに虚しさがない訳では無いけれど。矮小なわたしたちは、そのささやかな幸せを噛みしめる。そうすれば甘い果汁が口にみ渡るだろう。

 ―これより先の人生に幸いあれ。私は写真を撮られながらそんな事を考えていた。

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