〈3〉オムライス

 本日も晴天なり。そして仕事は見つからず。

 平日の公園でたむろする若い男は高確率で変人である。これは俺がそうなんだから間違いない…ああ、腹へったよなあ。


 そういえば。

 街頭ビジョンで知ったが―萌黄もえぎ正木まさき教授のあの件は世間に露呈ろていしたらしい。んまあ、報道規制がかかっているらしく遺伝子組み換え体の人類って事になってたが。この言い方は正確じゃない。俺は遺伝子組み替え体であると同時にクローニングもほどこされている。どちらも世界がかなり躊躇した所業だ。

 世界で初の遺伝子操作ベビーは2018年に中国で産まれた。一卵性双生児の片方にエイズの抗体遺伝子をノックインしたのだ。この事件はかなりセンセーショナルに報じられ、お陰で肉体強化なんかの人体への遺伝子操作は封じられたと言っても良い。

 しかし。出来てしまう事はいつまでも禁止にしておけない。だから正木教授と萌黄は為した。しかも代理母を使わない為に母体を模した孵卵器インキュベーターまで開発し、俺の肉体を28歳として作り上げた…それは困難なことであった事は容易に想像出来る。何故なら生命の発生は多くの遺伝子のカスケード的な連鎖反応の末の奇跡だからだ。池に石を投げ込み―波紋が人のカタチになるようなそんなありえない奇跡。


 そんな奇跡は命をすり潰している。空腹という悪魔により。

 そろそろ食い逃げなんかの犯罪も視野に入ってくるのだが―戸籍のない人間が犯罪を犯すとどうなるのだろう?ちょっと想像がつかない。ムショにち込まれるのは確実だが、その後の処理が気になる。


「ぬああああ」とうめき声がもれてしまう。

「まーたお腹すかしてる」と頭の後ろからの声…茶色いダッフルコートに包まれた女の子―飴玉くれた変な女の子だ。

「よお。前はどーも。飴美味かったぜ?まあ、少し溶けてたけどな」そう、あの飴、ポケットに突っ込みっぱなしのとき特有の袋の形型に溶けてた。

「あまりものだから」とそっけなく言う少女。

「だよな。美味かったから良いけど…今日も独りか?」普通女児は群れるもんである。群れから放逐されたメスは生存が難しい。

「…今日も明日も独り」いかん。藪を突いた気がしてならん。

「そうか―俺と同じだな」と俺は優しく言ってみる。俺ははぐれものに同情しがちだ。生まれと育ちの都合上。

「おにいおじさんと一緒?」と少女は返すのだが。おにいおじさんって何だ。

「…おっさんに見える?」と俺はかずには居られない。割と微妙なラインに立っているからな。見た目だけは。

「…見えるね」と溜めて放たれた少女の言葉は俺の心をえぐるには十分だった…


                     ◆


 おにいおじさんは今日もあの公園の植え込みのフチに座ってる。一体いつ仕事をしているのだろう?いや、してないからあんな野良猫じみたかんじなのか。

「おにいおじさーん?元気?」なんて最近は慣れてきてしまって気安く声をかけてしまう。

「んな訳あるか、腹減ってるよ」なんて何とも情けない顔でこたえるおにいおじさん。そういうと思って給食のコッペパンとマーガリン持ってきたんだよね。それを差し出すと嬉しそうな顔でむしゃぶりついてた。アレは大人としてないな、って思った。

「おじさんさ、仕事無いわけ?」とわたしはついに聞いてしまう。こう何日も餌付けしてると無遠慮になってしまうのだ。

「…ない。雇ってもらえないんだよ」とコッペパンのおしりをかじり切りながら言う。

「雇ってもらえない?なんで?」意味が分かんない。仕事出来ない体じゃないだろうに。

「説明するのが難しいから簡単に言うけどさ、怪しい人は雇ってもらえないんだ。いろいろ手続きでひっかかる」おにいおじさんは犯罪者なのかも?面倒な人にかかわってしまったなと思いつつ、この人は食い逃げくらいしか出来なそうと思うわたし。

「そういうのがない仕事なら出来る?」と聞いてみる。正直な話、私の近所の知り合いはほぼほぼ怪しい仕事をしている人で、手伝いを欲しがってる。

「食って回復すりゃな…なんかアテがあるのか?」と期待に満ちた目で私を問い詰めるおにいおじさん。

「…ウチの近所変な人だらけだから。おにいおじさんみたいなのでも大丈夫じゃないかな」多分、きっと。恐らく。まあ、ダメでも怒りはしない…はず。

「…済まんが頼まれてくれるか…っとそういや知り合ってしばらく経ってるのに名乗ってなかったな。俺は呉一生くれいちお。お嬢さんは?」

東雲しのめめ 撫子なでしこ…撫子って呼んで。東雲って言いづらいでしょ?」私の名字はそれなりに珍しいらしい。

「噛みそうだ」と一生さんは口を動かしなら言う。

「仕事の件は明日にでも聞いとくとして…ご飯食べないとね」とわたしは言う。さすがに仕事を紹介して役にたたなかったら近所の人にどやされる。せめて空腹くらいは解消しておきたいな。さて。どうしたものか?簡単だ。わたしのウチに行けば良い。夜には誰もいないしね。その絵を想像するとちょっと危ない感じだけど一生さんは人畜無害な香りもするのだ。

「どうすんの?金無いよ」となんとも情けない事を言う一生さん。

「ウチで食べよ。わたしの分のついでに作るよ」わたしはある程度は料理ができる。お母さんは料理がド下手でいつも夕食代を置いて仕事に行くんだけど―買食いに飽きた結果、動画アプリを頼りに料理し始めて今ではそれなりにできるようになった。

「…家に上がり込むのはちょっと…っていうか親は?」と一生さんは聞いてくる。当然の疑問だけど、わたしは慣れすぎてるんだった。

「えっとね。夜に仕事に行くから夕方からはひとりなの」とわたしはいう。こんな場所の夜の仕事なんて言いたくなかったなあ。

「看護師とか介護師?大変だな…いやでもなあ」と一生さんは勘違いしてくれた。

「良いんだよ。よく材料余すし、一生さんは危ない人じゃない」と私は言っておく。材料を余らせるのはほんとの事だ。お母さんは家でご飯を食べない。外でお客さんと食べてきてしまうのだ。だから最近はお母さんの分は作ってない。

「…じゃあ。ちょっとだけな。済まん何から何まで」と一生さんはわたしに頭を下げるのだった。


                    ◆



 成り行きで飯と仕事にありつけそうな俺が居る…まあ、小学生の世話になってるのは少し情けないが。

 撫子ちゃんの家はいつもの公園から1kmほどのちょっとした住宅街『だった』場所だ。何故こんなに荒れてしまったのか?と問わずにはいられない感じで遠慮なく形容すればスラム街一歩手前。幼気な少女の暮らす街ではない。

「驚いてる」と隣を慣れた様子で歩く撫子ちゃん。片手にはスーパーのビニール袋。

「そりゃね。こんなんだったか福岡?」と俺は問わずには居られない。まあ、記憶自体は一生オリジナルのものだが。

「わたしが産まれた時にはこうなりかけてたって近所の人が言ってた。移民が雪崩なだれこんで元の街じゃ無くなったって」

「なるほど…な?」記憶に対してのあまりにドラスティックな変化。ちょっとしたウラシマ状態だ。


 街に反して撫子ちゃんの家のマンションは小綺麗だった。こりゃ家賃高いぞ。


「座っててー」と撫子ちゃんはリビングに面したキッチンに入っていく。エプロンもしてこなれたもんである。

「何か手伝うか?切ったりなら出来る」と援軍を提示してみるが。

「オムライスとサラダと出来合いのコンポタだから簡単。鶏肉もコマ切れ買ったから出番無いよ」いやあ。しっかりしてらっしゃる。女の子の成長は早い。

 俺は撫子ちゃんに甘えてリビングのソファに座りTVを点け、ニュースを見てみる。―大学付属病院の件、報道されてないかな。

「―大学付属病院の再生医療プロジェクトスキャンダルの続報です…」お。ドンピシャ。「本プロジェクトの資金供給に不透明な点があることが指摘されていましたが、その経路が判明しました。プロジェクトリーダー正木継史まさきけいし教授は、先日のニューラルエンジニアリング社、ニューロンネットワーク記録改ざん事件に深く関わり―」っと。薄々感じてた勘は当たったらしい。

正木萌黄まさきもえぎ研究員が改良したニューロンネットワーク復元技術を用いて―複数の人間の記憶を改ざんすることを請け負い、その対価に莫大な資金を得ていたようです。標的は―大学付属病院に入院する政治家、企業CEOなどで余件を捜査すると共に―大学付属病院再生科にも家宅捜索が行われる予定です」これは―俺への捜索の手が甘くなるのではないか?いい加減公園やネットカフェや簡易ホテルやラブホを点々とする生活にはうんざりしていたのだ。


 ん?なんかコンソメのいい匂いがするような。今日はオムライスでは?アレって米にケチャップぶっかけるだけちゃうんか?…まあ、いいや。ニュースニュース。


「遺伝子組み換え人類については研究資料が意図的に破棄され、データストレージにも暗号化がほどこされていた上に定期削除コマンドが入っていた為、詳細は明らかになっていません。データ復号が行われていますが、正確かつ詳細なデータは得られない可能性が高そうです…」これで俺は闇に消えられるのだろうか?


 キッチンからはフライパンの鳴る音。卵を焼いてるらしい。手慣れたものでヒョイヒョイとフライパンを振っている。


「遺伝子組み換え体の人類に関して―人類という種に悪影響を与えるのではないか?という疑問に対し、―大学附属病院院長は『直ちに影響がでるものではない』と答えましたが、他の専門家は『遺伝子組み換え人類が世界に出れば人類と言う種に多大な悪影響を及ぼす可能性が高い。種の分化のトリガーに成りかねない』と指摘し、懸念を表明しています…」ああ。俺はやっぱ追われる存在なのだな、と凹んでいるとキッチンから撫子ちゃんが現れる。手にはお盆。その上にはオムライスとレタスのサラダとコーンポタージュ。


「一生さん。ご飯、食べよ」空腹の俺はさっきまでのシリアスを捨て、飯を食うことにしたのだった。

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