『hospitium―病室』


『俺』の予感と先生の言うとおり病院のチキンは薄味。軽い塩味のせいで鳥の水っぽい味わいが前面に出ている。『俺』は焼き鳥のタレとかテリヤキソースとか砂糖やみりんと醤油でチキンが食いたい男なので―全く満足出来なかった。


 地下鉄と共に始まった思索は終着駅に着いた。

 結論は1つ。『俺』は―呉一生くれいちおではない『呉一生』だ。

 論拠。『俺』は呉一生に似せられているが―ないものが付いてる。しかし、呉一生として生を受けようとしている。周りがそう仕向けている。

 そして。彼女は―


「やっぱり萌黄もえぎか」と『俺』は病室の入口にたたずむ彼女に告げる。本当の名前を。

「…一生の方が先に答え、見つけたか」と萌黄は言う。

「否定は―しないんだな?」と問う。

「最近はそういう意欲に欠けてる。もう少し前なら否定してたでしょうね」そういう彼女は嬉しそうでも悲しそうでもない。まさしく彼岸ひがんの存在で。

「『俺』は呉一生を基にしたクローンなんだな?」何処か否定して欲しくて、問うてしまう。

「そう…そして私が君の人格を記憶を基にトレースして完成した…そうする事があなたへの罪滅ぼしになるような気がして」と絞り出す彼女。

「でもだ」と『俺』は呉一生を借りて言う。

「そう、でもなの」と彼女は応える。その先を知るかのように。

「『俺』は一生じゃない…近似ないし鏡写し…決して彼たり得ないんだ」これは今までの彼女がやって来たことを否定する言葉。少なくとも表面上は。

「カイラリティ…対掌たいしょう…うん。あの人は二度と戻ってこない」切なそうに言い切る萌黄。酷いことをしているな、と思いつつも止まれない。

「気がついてしまったのかい?」と『俺』は問う。

「最初から分かっていた…こうしたのは私が私を許せなかったから。認めたくなかった、自分が君を殺したようなものなんて」

「『俺』は…自分が一生じゃないことは分かってしまったが、死因は思い出せない」そう、順立てして考えた訳じゃないから。インスピレーションをもとに一足飛ばしで結論にたどり着いて、相手がたまたま認めただけだ。

「バックアップないからね、再現のしようがないけど。私が事故の原因を呼び寄せ、運命みたいに君は居なくなった」俺は。運命という言葉が嫌いだ。物事は収束などしたりしない。

「運が悪かっただけだ、誰が予期できる?そんな事」と『俺』は言う。

「それを呼び寄せたのが私。罪人たる私。それを認めない為にもう一つ罪を重ねた」

「一生という自動人形オートマタを創った」そう。俺はだ。今はまだ。

「哀れな人形師、ここにあり」と彼女はつぶやく。

「悪いな、罪、背負わせて」と俺は謝る。彼女は『俺』を創る課程で多くの物を犠牲にしたのに違いない。そして犠牲にすればするほど根本的な自己矛盾には気づけなくなったのだ。まさしく哀れだ。残念ながら。

「そういう運命だっただけさ」なんて俺みたいな口ぶりでいう彼女。


「さて。どうするよ?『俺』を」と『俺』こと一生は問う。一生に出来るなら一生以外にも出来るだろうが…もう一つ道がないわけでもなし。その可能性を『俺』は潰す。

「…どうもしない」と意外な反応。

貴女あなたなら―出来るはずだ。もう一回一生を創ることも」もうひとつの可能性。それは『俺』を消去して―もう一つ一生を創る事。しかし。

「さっき言ったでしょ?もう一生は居なくて。それに代わる者はもう居ないし創れない」

「…認めるのか?『俺』を」そうしてくれなさそうだったんだが。

「そう。私はもう十分に罪を犯して―これ以上悪いことはしたくない、彼に」

「『俺』は彼ではないけれど―言っとくぜ。お前は罪を背負う必要はないね。人体クローニングの件は訴求されるべきだが」

「君の言葉を鵜呑みには出来ない。そういう可能性はなくなった。私が認めたのはそういうことだよ」

「良いじゃんか―近似解でも。適当には役に立つ…なんて言い草で納得はしてくれないよな?」と『俺』は俺を真似てそういう。俺は適当かつ実用主義の男だ。

貴方あなたならそういうだろうね…」この貴方は彼なのか『俺』なのか―



                   ◆


「メリークリスマス。諸君」と俺と彼女が居る病室に声が響く―

正木教授じっちゃん…」しまった、コート返し忘れてたんだった。

「お祖父ちゃん。私は私なりの回答にたどり着いた。彼は『彼』だよ」と彼女は教授に言う。

「じゃあ。取り上げるだけさ」と何事もないように言う教授。

「で?『俺』はどうなる?」と俺は教授に問わずにはいられない。彼女のマネージャーだから。

「忘れて貰って―放流だな。適当なカバーストーリーを付けてこの真実にはたどり着けないようにする」

「出来るのか?」

「萌黄に協力してもらうさ」

「そうかい」と『俺』は言う。妥当な妥協案だ。『俺』は俺たり得ない。社会的に。戸籍上存在しない人間は生活できないように出来ている。

「…落とし所はそこか」と彼女も諦めたように言う。平然とクローンを世界に放流する教授。どこかズレている。


「―しかし」教授ははくを置いて我々に言う。「人工物が人工物オートマタを否定するとはな」と。


「…どういう意味…」彼女は消え入るような声で教授に問う。

「…おかしいと思わなかったのか?自分の家庭を?」と冷たく言う教授。

「家庭崩壊の詰まらない一例。そう思っていたけど?」萌黄はクールに言う。

「だとしたら思考が下手だな…身近だと思い込んで考えないようにしていたのかも知れないが」

「…だとして?私は何?」と苦しそうに問う萌黄。

「単純に言えばデザイナーベビー…我が妻の、な」遺伝子改変によるデザイナーベビーは一度産まれたが―その国際的に規制されていたはずだ。受精卵への遺伝子改変はかなりクリティカルな変化をもたらす。生体への改変とは違って。

「出来るからやってみたのね」と彼女は問う。

「そうさ。今回の事で手間が増えるのは予期できていたからなあ。受精卵をいじって限りなく妻に似せた者、それが萌黄だ…まあ?精度はこの通り…と言うか僕の遺伝子を組み込んだのとX染色体の不活性化と生育環境の違いがこんなモノを創った。ま、ある程度役に立ったから良いけど」なんて何とも思ってなさそうに言う教授。

「私にこの事を話したという事は?」と萌黄は問う。

「君もまた用済みってことかな…面倒な仕事が進んだからね。後は僕独りでやれるさ」

「お祖父ちゃん…貴方は―かつての私の成れの果ね。全く嫌になる。貴方は…今度はおばあちゃんのオルタナティブを創って…かつて無くした物を取り返そうとしてるんだね」と吐き捨てる萌黄。

「オルタナティブにはしないさ」と自信アリげに言う教授。「そういう思考を刈り取るさ」

「私の研究を基に、か。いやはや」と呆れ半分で言う萌黄。

「俺らが―証明してるぞ」と俺は口を挟む。言わずにはいられない―「失われた何かは戻っちゃこないぜ?近似だし―時と共に変わっていく。そいつは『そいつ』だ。哀れさ極まるから止めとけ」

人工物オートマタ風情が何を」と矛盾した否定をする教授。

「今の言葉が全てだ。人工物オートマタ風情なのさ俺達は」

「それで慰めを得て何が悪いんだい?」と反省などしない口調。

「オリジナルへの敬意が足りてないって事さ、後プロダクトに対する敬意もな。作られたモノには魂が宿るもんだ」ああ。らしくなく噛み付いてるぜ、俺。

「僕が神なんだけどなあ」と笑顔で言う彼。ああ。世界観が違うぜ、こいつは。でも。俺はソイツを認めたくなんかない。

「神など糞喰らえだ。知るか、んなもん」

「ああ。哀れな創作物たちよ、大丈夫だ。君たちは僕が完成させてやるよ…」

「貴方にその権利はないんだよ、教授」と今まで黙っていた彼女は言う。

「いやあ。子どもに説教されてるみたいで腹立つなあ」なんてスカす教授。



                   ◆


「そろそろ潮時だ」と教授は我々に告げる。「雇っといた用心棒、来るんだよねえ…君らの拘束の為にさ」

「この時間帯は部外者の出入り、制限されてるけどね?」と萌黄。

「それに騒ぎを起こしたら、人来るぜ?」

「ああ。そんな事」正木教授は言う。「ここは僕の庭さ、上は抑えてある。君たちは袋の鼠って訳。大人しく処置…受けましょうねえ」とねちっこく言う。参ったな。逃げるにしたっちゃ一生は運動神経悪いのだ。

「そう」と萌黄は言う。「私はもう、どうなっても良いかな…」

「いやあ。従順で助かるなあ」なんて余裕の教授。「後は一生くん、君だけだな」


 ああ。さて、どうしたものか?

 萌黄は完全に諦めきってる。その一部に『俺』が関与しているせいで説得するのに躊躇ちゅうちょがある。

 しかし、2対1…後少しで3対1というのは部が悪すぎる。一生の喧嘩スキルは受動的にすぎる。今は一発食らわせてアウェイしたいのだが。


「正木教授」と病室にもう1人の男が入ってくる。ああ。マジでマズい。待てば待つほど状況は悪くなってしかいかない。

「…お祖父ちゃん」と沈黙を守っていた萌黄が言う。

「どうした?」

「一生くんに…注射一本打って良いかな」おい、何言い出すんだ。協力してくれとは言わんが―邪魔はしてほしくない。あんまりだぜ?

「鎮静系?なら良いけど。何持ち歩いてんのさ…」と少し怪しむ教授。

「一生くんの人格がバグって錯乱した時用に持ち歩いてんの」と言いながら俺に詰め寄る萌黄…顔は平静。昔と比べてクールになったもんだ…いや、無表情になったというべきか。

「おいおいおい…勘弁しろよなあ。俺の喧嘩の仕方知ってんだろうに」ほぼ懇願。いや、男として情けない。いや、男が強くあるべきなんて理由はないけどさ。

「黙って殴られ…第三者の介入を待つ。受け身。能動的には動かない」

「よく知ってらっしゃる」だんだんと萌黄が近づいて来る。逃げるべきか、ぶん殴るべきか?

「―黙って打たれて」と顔の近くで静かに言う萌黄。教授と用心棒に聞こえてなきゃ良いが。

「さいか。やれや…もういい…」と『俺』は適当に合わせる。萌黄の事、一応は信用しているのだ。



「さ、後は萌黄かあ」―と教授が言うのが遠くで聞こえてくる。萌黄―言葉通り鎮静剤打ったらしい…

 意識が無意識の水の奥に沈んで行くのを感じる…眠りに似たそれは体に纏わりついて離れない。

 ああ。今度目覚める事はあるのだろうか?まったく、俺は惨事は二度経験しないと気が済まない方らしい…

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る