【自動人形(オートマタ)シリーズ】

小田舵木

彷徨う自動人形(オートマタ) 編

『哀れな人形師と自動人形(オートマタ)』

題辞

                 ◆


”Miror vero interim quam prona sit mea mens in errores, nam quamvis haec apud me tacitus, et sine voce considerem, haereo tamen in verbis ipsis, et fere decipior ab ipso usu loquendi: dicimus enim nos videre ceram ipsammet si adsit, non ex colore, vel figura eam adesse judicare. Unde concluderem statim, ceram ergo visione oculi, non solius mentis inspectione cognosci, nisi jam forte respexissem ex fenestra homines in platea transeuntes, quos etiam ipsos non minus usitate quam ceram dico me videre. Quid autem video praeter pileos et vestes, sub quibus latere possent automata, sed judico homines esse: atque ita id quod | putabam me videre oculis, sola judicandi facultate, quae in mente mea est, comprehendo.” 

(【Meditationes de prima philosophia】/René Descartes/@https://www.gutenberg.org/cache/epub/23306/pg23306-images.html/The Project Gutenberg)


『しかるに一方私はいかに私の精神が誤謬に陷り易いものであるかに驚く。といふのは、たとひ私がこのことどもを自分において默つて、聲を上げないで考察するにしても、私は言葉そのものに執着し、そして殆ど日常の話し方そのものによつて欺かれるからである。すなはち我々は、蜜蝋がそこにあるならば、我々は蜜蝋そのものを見る、と言ひ、我々は色あるひは形體を基として蜜蝋がそこにあると判斷する、と我々は言はないのである。そこから私は直ちに、蜜蝋はそれ故に眼の視る作用によつて、ただ單に精神の洞觀によつてではなく、認識せられると結論するであらう。ところで、もしいま私がたまたま窓から、街道を通つてゐる人間を眺めたならば、私は彼等についても蜜蝋についてと同じく習慣に從つて、私は人間そのものを見る、と言ふ。けれども私は帽子と着物とのほか何を見るのか、しかしながら私は、それは人間である、と判斷する。そしてかやうに私は、私が眼で見ると思つたものでも、これを專ら私の精神のうちにある判斷の能力によつて把捉するのである。』

(『省察』/ルネ・デカルト/三木 清 訳/@https://www.aozora.gr.jp/cards/001029/card4730.html/青空文庫)



                   ◆ 


 ※ちくま学芸文庫版 山田弘明 訳の『省察』も参考にしたことを付記します。

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