野球からの卒業

浅見あざみ

大輔の場合 1

「おーい、早くしろー。」


玄関で靴を履き終えた野中大輔は、廊下の奥に向かって呼びかけた。

はーいと言いながら、野球のユニフォームに身を包んだ息子の雄大がリビングから出てくる。

続いて妻の洋子も大きなバッグを抱えて出てきた。


今日は土曜日、毎週ある雄大の野球クラブの日だ。


小学3年生の雄大は、入学当初から今の野球クラブに入っている。

場所は雄大の通う小学校のグラウンドだが、いかんせん荷物が多いのでほとんどの保護者が車で送迎していた。


雄大と洋子がバッグをトランクにのせ車に乗り込むと、大輔はすぐに車を発進させた。

家からそんなに離れていない学校に着くと、すでに何組か先に来ていた。


グラウンドに立つ1人の男性に向かって雄大が大きな声で言う。

「おはようございます!」

「おはよう、雄大くん。」

そう返してくれたのは中井コーチ、この野球クラブの監督だ。

そして、大輔の同級生であり高校時代のチームメイトである。

おっす、と大輔が言うと同じように返してくれた。

洋子にはおはようございます、と丁寧に挨拶している。


雄大はこどもたちが集まる場所、大輔と洋子は保護者たちの元にわかれた。


その後も続々と人が集まり、午前10時、中井コーチが出欠を確認しはじめる。


中井コーチは誰に対しても『くん』を付けて呼んでいた。

大輔はそれに対してむず痒さを感じていた。

今まで野球をやってきた中で、くん付けで呼んできた指導者などひとりもいなかったからだ。


大輔は以前、それを中井コーチに指摘したことがある。

監督としての威厳がなくなりやしないかと。

すると

「俺に元々威厳なんてないよ。それにそんなことで威厳を示そうとするやつなんて、それこそたかが知れてる。」

と軽くあしらわれてしまった。


高校時代はもっとキビキビしてたのに、なんだか丸くなってしまったなぁと大輔は思った。

同時にこいつに任せて大丈夫かと不安になる。


しかしこの野球クラブは人気で、市外から通うこどももいた。

中井コーチのこどもに対する柔らかな物腰はがいいらしい。


大輔はなんだかなぁと思いながらも、やはり人数が多い方がライバル意識が高くなり雄大のスキルも上がりやすいだろうと通わせ続けている。


それに、指導者が気心が知れている相手というのは大輔にとっても都合がいい。


中井コーチの実力についても信頼していた。

大輔たちが通っていた高校は甲子園に出場したこともある県内でも有名な強豪校だった。

在学中にこそ甲子園の夢は叶わなかったものの、レギュラー陣は強者揃いだった。


その中で大輔はセカンド、中井コーチはサードのレギュラーだった。

中井コーチは守備はもちろんだが、バッティングが特に良かった。


だから守備に関しては自分も雄大にアドバイスし、中井コーチにはバッティングをよく見てもらいたいと大輔は伝えていた。

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