第2話 連れ子たちがやってきた

#05 宿泊費は100万円です


 私の自宅は東京都目黒区の高級住宅街にある。高い塀に囲まれた二階建てのその一軒家は、築十年にも満たない新築。外観は西洋風の古びた屋敷のようだった。


「……新手の嫌がらせか?」


 番組収録を終えて帰宅すると、玄関にはダンボールで梱包された荷物が山のように積み上げられていた。差出人の名は空井冬花そらいとうか日高夏美ひだかなつみ


 一体どういうことだ?


 ここに冬花の荷物があるのは分かる。昨日、冬花の滞在を許可する旨を烈華に伝えたからだ。それで今日あたり冬花の荷物が配達されるだろうと踏んでいた。


 予想通り届きはしたのだが、山のように積み重ねられた荷物の中には、意外なもう一人の名前があった──日高夏美だ。


 日高夏美ひだかなつみは、

 私の元妻である日高美樹ひだかみきの娘の名である。


 なぜ夏美の荷物がここにある?


 思考に集中するあまり、招かれざる客の存在に私は気づかなかった。ぴょこんとはねた一束の髪の毛が視界に映ったとき、やっと来訪人がいることを知る。


「──とうか、って誰なの?」


 視線を下に向けると、小柄な少女が首を傾げていた。陽の光りのように明るい髪と純粋無垢な童顔が可愛らしい──そいつの名前は日高夏美ひだかなつみ


「夏美?」


 どうしてお前がここにいるんだ?

 疑問が次々と積み重なる。頭が痛くなってきた。

 自分は夢でも見てるんじゃないのか。悪い夢を。


「もしかして、恋人だったりするの、かな? その冬花さんって人は。まさか再婚相手ってことはないよね?」

「……恋愛そういうのにはもう心底うんざりしているんだ。そんなわけないだろ」


 夏美には冬花のことはもちろん二番目の妻の娘である望月もちづき春乃はるのの存在を知らせていない。夏美に限った話ではない。他の二人にも前の家庭のことを持ち出すことはなかった。ゆえに彼女たちは互いの存在を知らない。


「そっかそっか。ならよかった」


 ホッと胸を撫で下ろす夏美。

 何が『よかった』のだろう。


「で、何の用だ?」

「……まあ、その、いろいろと。ちょっと野暮用があって」

「勿体ぶらなくていい。どうせ『小遣いが欲しい』とかだろ」

「ふふふ。さすが私のパパだね。話が早くて助かるよ」

「パパって言うな。その呼び方大嫌いなんだよ」

「んー、なら、"お兄ちゃん"って呼んじゃおっかなー?」

「やめろ気色悪い。そんな呼び方されるぐらいなら、"パパ"のがマシだ」

「おっけー! じゃあ引き続きパパって呼ぶね!」

「……で、いくら欲しいんだ?」

「ひゃくまんえん! ぷりーず!」


 夏美は右手を上に突き出し人差し指を立てる。それから背伸びをして、得意げにふんすと鼻を鳴らした。すっかり見慣れた夏美の決めポーズだ。


「いいぞ」

「へぇっ?」


 よほど意外な返答だったのだろう。夏美はポカーンと間抜けな顔を浮かべていた。喜怒哀楽が激しいのでからかい甲斐がある。


「他に欲しいものはあるか?」

「んー、じゃあ、幸せをくださいな」


 急に意味深なことを言い出した。幸せをどう定義するかは人によるだろうが、安い代物でないのは確かだ。


 幸せの相場は一体どれくらいなのだろう?

 真面目に考えてみる。


「……現金換算でだいたい2億円ぐらいか。すぐに用意しよう」

「もう冗談だってば! どうしてすぐ真に受けちゃうかな!」

「ギャグのキレが悪すぎて冗談だとは思わなかった。お前センスないぞ」

「あっそ、ごめんね、センス無くて」

「……じゃあ、100万持ってくるからそこで待ってろ」

「それも冗談だよ!?」

「なんだ。つまらん」


 こうして会話するのは久しぶりだ。紆余曲折あったが、夏美と過ごした一年間は悪いものではなかったと今になって感じる──でもやっぱりまた一緒に住むのは無理だとも思った。


「あー、やっぱり欲しいかも」

「2億?」

「100万円!」

「……お前も素直じゃないな。本当はもっと欲しいんだろ? ハッキリ言ってみたらどうだ?」

「素直に、100万円が欲しいの」

「ガキのくせに無欲だな」

「100万円もおねだりする子供はそうそういないと思うけど」


 自室の金庫から100万円分の札束を取り出すと、それをお年玉袋に入れた。パンパンに膨れて今にもはち切れそうなポチ袋を夏美に手渡す。夏美はゴクリと唾を飲み中身を覗いた。


「わぁ、絶景ですわ~」


 ですわ、ってなんだ?

 お嬢様にでもなったつもりか? 


「絶景、か。私にはすっかり見慣れたもんだがね」

「うわ。なにそれ嫌味? それとも自慢?」

「両者だ」

「やらしー。こんな大人にはなりたくないや」


 自分だって好きでこんな大人になったわけじゃないんだ、という反論は心の中だけに留める。


「……あのね、最後にもう一つだけ、お願い聞いてくれる?」

「増額か?」

「いや違くて」


 後ろで手を組んで、夏美がモジモジする。


「……ねぇ? しばらくここに泊めてもらうことって、できる? その、実は、来月から都内の高校に通うことになってね。えーっとね、つまり、そういうことです。はい」


 お前もか! 


 冬花一人だけでも厄介なのに、これに夏美が加わるとなると負担が大きすぎる。金銭面に心配はない。二人を養うだけの経済力はある。


 問題なのはメンタルのほうだ。

 他人との同居はもうウンザリ。

 芸能活動にも支障をきたす。

 三度の結婚生活が、実際にそれを証明している。

 マスコミの目もあるし心配だ。 


「その100万でアパートでも借りればいい」

「いじわる」

「知ってる」

「むーっ」

「帰れ」

「……あ、そうだ!」


 妙案を閃いたらしい夏美は、札束が入ったお年玉袋を突き返してきた。夏美は勝ちを確信したように自らの腰に手を当てて、ふふんっ!と無い胸を張っている。


「これで料金は払ったよ」

「…何の?」

「居住費」

「……どこの?」

「この家」

「………滞在日数は?」

「三年」

「…………冗談だよな?」

「本気だもん」


 100万円は、この家に滞在するための家賃ということか。よく考えたなと感心して、やっぱり発想が子供っぽいなと苦笑する。


「100万程度で住めると思うな。なんと言ったってこの家は、駅近、都内一等地、庭付き一戸建ての、有名建築家が設計した超高級物件だぞ」

「うーん。でも、こんな頑固親父がくっついてくるんじゃあ……ちょっと、ねぇ? 値段相応だと思うけど?」

「ワケあり物件だと言いたいのか? 私がいるから?」

「そんな物件、世界中どこを探しても買い手は私しかいないよってこと!」


     ▽▼


「はぁー……」


 望月春乃もちづきはるのは、キャリーケースに腰かけて通行人を眺めていた。その目は虚ろで途方に暮れている。


「あの子、芸能人かな……?」

「東京の女子高生ってスゲェーのなやっぱり」

「お、俺、声かけてみよっかな?」

「バカ。俺らみたいなのが相手にされるかよ」


 駅の構内を行き交う人々、とくに男たちは、頬杖をついて物思いにふける彼女の姿を見てつい顔を赤くしてしまう。


 彼女に見惚れてしまうのも無理はなかった。


 セーラー服を押し上げる胸の膨らみを隠すように、ベージュのカーディガンを重ねているが、それが逆に悩殺的で、マイクロミニ丈のチェックスカートからスラリと伸びる脚が綺麗だ。金髪のナチュラルボブと桃色のメッシュのコントラストも美しい。


 みずみずしく健康的な容姿、年相応のあどけなさ、少しでも風が吹けばスカートがめくれて下着が見えそうな無用心なとこ。そのどれもが男の本能を刺激するのには十分な要素だ。


(これからどうすればいいんすかね?)


 少女は大都会の中心で途方に暮れていた。


 財布の中には小銭が数枚ほど入っているが、それらを合算しても総額は100円にも満たない。中目黒駅までの電車賃が必要なのだがこれでは一駅だって移動できない。交番で交通費を借りようと考えたがやめた。今は警察とは関わりたくない。


 歩くにしても時間がかかる。

 体力もないしお腹も減った。


 ──グゥゥゥゥゥゥ。


 腹ペコのお腹が音を鳴らす。

 そういえば朝から何も食べていない。

 喉も乾いた。唾を飲み込んで我慢する。


 自分はいつまで耐え凌げばいいのか。

 耐えた先にはなにがあるというのか。


(奥の手を使うしかないみたいっすね)


 膠着した状況を打破すべく一か八かの賭けに出ることにした。改札口のあたりに視線を固定し通行人を観察しはじめる春乃。


「ふふっ、あとは“待つ”だけっす」


 春乃は作戦決行のタイミングをうかがっていた。“奥の手”というのは無賃乗車のことで、今は誰の後ろをついていくのか見極めているところである。


「うわっ、なんすか、あのプリチーガールは?」


 自分の前を横切った一人の少女に目を奪われる。サラサラと光沢のある長い黒髪。目鼻立ちがはっきりした端麗な顔にはあどけなさが残っており、春乃と同年齢に見える。ある一部分を除いて。


(むむっ、うらやましいっすねー……)


 歩くたびに揺れる黒髪少女の豊胸は圧倒的な存在感を放っており、道行く男たちの目はそこに釘付けになっていた。


 パーカーの上にデニムジャケットを重ねてボディラインをぼかしているがそれも無意味な抵抗に過ぎず、こうして注目を浴びてしまっている。


「黒髪の子さ、めっちゃ可愛くね?」

「たしかに美人だよな。アレもでっかいし。でも、俺的にはセーラ服の娘のほうがタイプかな。雰囲気が良いわ。いかにも遊んでそうな感じがたまらん」

「ぶっちゃけ、エンコーとかやってそー……」


 物陰にひそむミステリアス少女と、クールな黒髪巨乳少女の間を、熱っぽい視線が行き交う。それに本人たちはまるで気づいていなかった。


 もしかすると、自分たちの容姿がひときわ優れているという自覚がこの二人には無いのかもしれない。


(……ふふっ、きみに決めたっすよ。ボインちゃん)


 偶然、彼女の前を横切ってしまったがために、周囲の注目を浴びるような巨乳であったがために、少女は選ばれてしまった。春乃は、黒髪少女の後について行くことにした。

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