第三話 親方がまだ元気だったあの頃

 親方は、活気を失ったこの商店街で、古くから店名【和食処 悠の里】を営んでいた。けれど平日でもそこそこの人通りはあった。 


 客席数は四十八で、和食だからラーメン屋のように喰ったらすぐに出ていけ! というわけにはいかない。寛げる畳の小上がりが通り沿いに造り付けられていて、そこに座って地元のお客さんが食事をする、そんな光景を日常的に目にすることができる地元密着型の店だった。


 四人掛けのテーブル席は、鍋料理も出せるようにと、街中華の店のそれより広めのスペースをとっていた。また、隣席との囲いを低めに設けることによって、お客さんに開放感のある店内を供していた。


 メニューには、寿司、天ぷら、とんかつ、すき焼き、それに季節料理等が、自信あり気に親方の力強い筆書きで記してあった。店の料理は、和食としての目新しさは感じられないかもしれないが、食すると夫々味わい深い逸品であることが分かる。商店街のオヤジ連中や近所に住んでいる年配の人たちの午後の集いの場所でもあった。


 パートで働いている酒井のおばちゃんの話によると、二年前から、客入りの悪い日が続いているらしかった。

 親方は、長年やってりゃこんな月計が続くこともあるだろうと、四、五ヶ月の間は気落ちを振り払いながら仕事をしていた。しかし、その後、更に売り上げが落ちて行き、なぜなんだ! と思い悩む親方を、当時働いていた二人の板前たちは、次第に気に留めはじめたという。前々から、季節料理とはいえ、年毎の料理品目は同じなのだから、常連さんにも飽きられてしまったのだろうか。

 和紙に書かれているお品書きは、ボロボロにならないと交換しないらしい。また、そこについた醤油のシミと経年劣化は、未華子が工夫を凝らして拭いたとしても落ちるはずもなかった。見た目、畳もいい加減替えた方がよさそうに思えた。


 この商店街のことなら何でも知っている酒井のおばちゃんは、新入りの善幸に「誰にも言っちゃダメだよぉ~」と言いながら、事ある毎に隣近所の内々のいざこざまで打ち明けてくれた。まるで半径百メートル以内の噂話や揉め事であれば何でも知っていそうな気配を感じさせた。

 昨年、親方の店の向かいの〖中村電器〗が、店内だけではなく看板も仰々しく改装した。その店内は日射が強い昼間でも、天井からぶら下がっている無数の照明器具が煌々とついているため、他の店より通行人の目を引いている。日が暮れると、今度は店内の照明よりも場違いと思われるほどの光量で、二階建ての家なのに三階建てと勘違いされるほどのでっかい看板【家電業界のお人好し! 中村電器の馬鹿野郎っ】を照らしている。その効果は抜群だった。否が応でも通行人を見上げさせ立ち止まらせる力を持っていたのだ。

 だが、難解なのは、その意味不明なキャッチコピーだった。まあ少々語呂は悪いが、“思いっきり安くしてやるぜ!” 的な意気込みは感じられそうだから、どさくさの驚きと相まって、シナジー効果を醸し出しているのかもしれない。それとも、狙いはもう一つあって、上野駅に着いたばかりの御上りさん的効果、つまり(可哀想だから、乾電池でも買ってやっかぁ……)と客に対し情けを煽る意図もあったのだろうかと思わせる。ほんで、そのキャッチコピーを照らしている明るさの方だが、電気屋なのだからと辺り構うことなく無駄に明るかった。それが、他の店主から顰蹙を買ってしまったようだ。通行人が周りの店と見比べ、その明暗の違いにキョロってしまうからだった。


 この商店街は、古くからやっている変わり映えのしない個人店がほとんどだった。一番その被害を被ったのは、真向いに位置する親方の店だった。お蔭で、昼夜を問わず店内が尚一層暗く感じる。通行人が「おっ、この店、ついに潰れやがったか?」と勘違いし、ガラス越しに覗いて行くことさえあった。目が合うと「やってるぞっ!」と思わずこっちから声を掛けたくなるほどだ。

 ところで、その中村電器の一人息子であるサトシだが、お金を出せば入学オッケーの大学の文学部を三年前に卒業し、他人の飯を食う経験など意味がないとかで、親父一人で何とか遣り繰りしている電器屋を手伝うことに決めたらしい。中村電器の旦那は「どこでもいいから就職してくれ! 頼むっ、人手は足りてるんだっ!」と反対したらしいが、いつの間にか母親とサトシがタッグを組んでしまい、渋々同意してしまったという。


 サトシは、このキャッチコピー【家電業界のお人好し 中村電器の馬鹿野郎っ】を、“この俺が半年かけて熟考を重ね、行き着いた先の賜物だ!” と、自慢気に商店街の人たちに吹聴していたらしい。

 当初、旦那は、息子からこのキャッチコピーを聞かされて、その意図する内容は兎も角、【家電業界のお人好し 中村電器!】で止めておけばすっきり感が出ていいものを、歯切れの悪さを感じさせる語尾の〝の〟の使い方が、どうなんだろうか……と、息子のセンスを心奥で疑っているのは見え見えだった。


 つい最近、息子に命じた基板を替えるだけの簡単な小型冷蔵庫の出張修理。サトシは、修理に行かせる度にお客さんを怒らせてしまうという。当たり前だが、先ず「お元気ですかー、中村電器でーす。お世話になってまーすっ」と彼特有のチューイングガム式挨拶を毎度するらしい。中村電器で買ったものでもないのに、それも修理依頼ではじめてお伺いしたというのに〝お世話になってまーすっ〟というのも妙な話だが、お客さんは深くは考えず「ああ、良かったあ、早く来てくれて。助かったわ」と言ってくれる。中村電器は、修理依頼の対応の早さだけは、他の修理業者に引けを取らなかった。彼は、いつものようにプラグも抜かず弄くりはじめる。が、三分も経たないうちにショートさせ、部屋中にきな臭さを漂わせてしまう。退っ引きならぬそんな客との状況下で、困ったときの彼の決め台詞、「これ、だいぶ前の型ですからねえ……。買い替えをお勧めいたします。でも、安心してください。お安くしときますから」そんな上っ面の、もう古すぎて在庫の部品が無くなってしまったかのような言い訳をしてしまうのだ。すると、「何言ってんですかっ、買ったのは二年前ですよっ!」と益々客を怒らせてしまい、しっぽを巻いて帰ってくる始末。客先から電話が入っていて、帰る早々、父親から思いっきり怒鳴られてしまう。何をやらせてもダメ、日常的なおふざけ野郎が、お惚け修理の知ったかスタンスで毎回大切なお客さんを激怒させてしまうようだ。

 しかし、そんな二人の様子を見ていたおかみさんが間に入り、「ちゃんと教えないからこういうことになるんじゃないか! 悪いのは、サトシじゃなく、あんたなんだよっ!」、と逆に旦那を叱りつけてしまう。彼といえば何事もなかったかのように二階へ上がって行き、ヘッドホンを被ると指を鳴らしはじめる。そのリズミカルな音は通りまで響いた。

 サトシは、どこまで行こうが都合よく軽口を叩き続けられる末恐ろしい息子だったのだ。

 そんな地に足がつかない息子の仕事振りに旦那が困り果てていると、決まって昔ながらの相談相手に愚痴を漏らしてしまうことになる。その主な相手が向かいの店【和食処 悠の里】の親方だったのだ。


 中村電器の旦那が参った顔して店先で突っ立っていると、小上がりに座って外を眺めている親方に気づく。旦那が「親方っ!」と手招きをする。親方は、(また、サトシが何かやらかしたのかあ~)と思い、咳を一つし店から出ていく。休憩時間なのだから店内で話をすればいいものを、通りに出て態々通行人に聞こえる声で話しはじめるのだ。サトシの駄目っぷりを世間に知ってもらい、何とかしてほしいという気持ちの現れなのかもしれない。

 親方は、座ってゆっくりと話してはいられない切羽詰まった旦那の気持ちを重々承知していたに違いなかった。



 ―息子と父親の行方―


 やはり、旦那の話は、サトシとかみさんの愚痴だった。


「いやね、先週、サトシの野郎、同じ失敗を何度も繰り返しやがるから、我慢できずに本気で殴っちまってさあ……。俺を睨みつけて、家を出て行きゃあがったんだよ。いなくても仕事には支障ねーんだけど、父親として情けなくてよぉ……」


「そりゃしょうがねえや。少しは目を覚まさせないとな。あのよ、サトシのことは幼い頃から気にはなってたんだが、甘やかし過ぎたんじゃねーのか? ビシッとやらなきゃいけない時期ってあってよお、遅すぎたんじゃねーのかなあ」


「今更そんなこと言われてもよ、もっと早く言ってくんねーと、親方っ」


「気づかねーおめえさんが悪いんだろうがよ。でもよ、いくら息子とはいえ、感情的になって殴っちゃあいけねえや。凝りが残るからな……。ところで、鼻血は出たのか?」


「ドバっとな……」


「他人に殴られたこともねえサトシだ、さぞかしショックだったろうに……。ま、いつでも帰ってこれるよう扉は開けておいてやれや」


「その前に、女房の方と凝っちまってよぉ……」


「おまけ付きか? そりぁ、厄介だ」親方は、腕を組むと目を瞑ってしまった。


 入口の扉は開けっ放しだったので、その話は善幸にも聞こえていたのだ。


 暫くして、旦那が口を開いた。


「ところで、親方の……」


 しかし、言い掛けた言葉を濁した。酒井のおばちゃんの話だと、旦那は、親方の一人息子である〝悠〟が、十数年前、家出したきり帰って来ないのを懸念しているようだった。当時、従業員と言えば、二人の板前と、高校を卒業し見習いとして働き始めた悠がいたとのこと。将来、悠がこの店を継ぐ者と誰しもが思っていたのだ。


 五、六年前、中村電器の旦那は、悠の面影を感じさせる男が子供を連れて店に入っていくところを目撃したらしい。

 旦那は「あの時の客って、もしかして悠ちゃんじゃないのか?」と親方に訊くと、「別人だよ……」と返してきた。だが、多分あれは悠だったんじゃないかと旦那は疑っているようだ。

 この件は、大事になると厄介なので、旦那は酒井のおばちゃんだけに話し、かみさんには話さなかったようだ。


「そろそろ、下準備でもするかな……」


 親方は、店に入ろうとすると、前を通り過ぎる男の子と目が合った。じっと親方を見つめている。急いでいるのか、母親がその子の手を引っ張って行く。その勢いで、男の子は今にも転びそうな足取りだった。


 その後、親方は二、三十メーター先にある見慣れた駅の改札口へ目を向けた。そこには、体格のいいスタジャンを来た一人の若者が、改札口を通り抜けていった。  

 階段を上っていく……。親方は、その姿が見えなくなるまで眺めていた。


 親方と悠、この親子のボタンの掛け違いから発生した決別、その後はどうなっているのだろう……と善幸も気掛かりで仕方がなかった。


                               ―つづく―


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