第7話 予感

 荷物整理のため、ソフィとは別行動となった。

 コリンヌの案内で、ヒストリカは屋敷の応接間に通された。


「ではこちらで、少々お待ちください」

「ありがとう」


 部屋の中央にあるソフィアに、ヒストリカは腰掛ける。

 

 常に何かをしていないとソワソワしてしまう性のヒストリカは、じきに所在が無くなった。


「本の一冊くらい、持ってくればよかったわね……」


 冗談まじりに呟く。

 やる事もないのできょろきょろと辺りを見回す。


 応接間も広々としており、ひとつで財産を築けそうな調度品や豪華なシャンデリアなど目が眩しくなりそうだ。


 しかしよくよく目を凝らすと、壁の汚れがそのままだったり隅に埃が溜まっていたりと、ところどころ手入れが行き届いていないようだった。


(そういえば……)


 応接間までの道中も、割れた窓が雑に補強されていたり、壊れたままのドアがそのままだったりしていた。

 あの新人の青年といい、この屋敷の使用人達のレベルは思ったよりも高くないのかもしれない。


(公爵家なのに?)


 という疑問符が浮かぶ。

 たまたまだろうか、それとも……。


(って……今はそんな事を考えている場合じゃないわね)


 背筋を伸ばし、大きく息を吸い込んで、吐き出す。

 自分が思った以上に緊張していることにヒストリカは気づいた。


(おかしいわね……)


 殿方との顔合わせは初めてではない、人生で二回目だ。


 ハリーと初めて顔を合わせる際は事前に情報も経緯も説明されていた。

 その上ハリーは夜会などで何度も顔を合わせていた相手だった事もあり、なんの昂りも感慨もなかった。


 しかし今回は、なんだかよくわからない経緯かつ相手の顔も知らない状態での面会。

 どんなお方が来るのだろうという緊張感が湧いてくるのも無理はない。


 ただ、ヒストリカの鼓動を速くしていたのは緊張感だけが原因ではなかった。


 この屋敷に来るまでの数日間、ヒストリカはテルセロナ卿との接点をずっと考えていた。


 子爵家出身の自分が公爵クラスの貴族が出席する場に居合わせたことはなく、本来だと言葉すら交わしていないはずだ。


 しかし国において重要なポジションである公爵貴族様が、一度も顔を合わせていない相手を結婚相手に選ぶとは考えにくい。


 考えられる可能性は、『自分は相手を知らないが、相手には一方的に認知された』可能性。


 例えば、そう……自ら名乗っておきながら、相手の名前を聞き忘れた……とか。


(まさか、ね……)


 一週間前の夜会。

 婚約破棄を受けた後、バルコニーで起きた一幕が脳裏にちらつく。


 貧血で倒れ、ヒストリカが救助した、仮面を付けた男性。


(いえ、でも……)


 ヒストリカが頭を振る。

 確信を持てずにいたのは、実際の印象と事前に入手した噂とがあまりにもかけ離れていたから


 醜悪公爵。


 曰く、その醜悪な容貌のせいで令嬢が怯えてしまい、今まで何度も婚約を破断させてしまったほど。


 曰く、自身の容貌をなるべく人に見せたくないと極力社交界には顔を出さないようにしており、愛想も無く貴族間の付き合いも悪い。


 曰く、本人の性格は根暗で卑屈、些細な事で怒りを露にし周りに当たり散らす暴君。


 確かに、ゲッソリしていて目もギョロッとしていてお世辞にも美麗とは言い難い顔立ちだったけど。

 (グロ耐性高の)ヒストリカにとっては「言うほどかしら?」くらいの印象だったし。


 性格的な印象にしても、言葉にちょっと棘がある感じはしたけど誠実そうな気配を受け取った。


 それらを踏まえて、もしあの方だったら、という期待もほんの少しあった。


 理屈じゃない。

 あのバルコニーで共有した時間はほんの少しだったけれど。


 ヒストリカは彼に対し、直感的に前向きな印象を抱いていたのだった。


 自分の結婚相手は誰なのか。

 その答えはじきに、ドアのノックと共に訪れた。


「失礼する」


 男性が入ってくると同時に、ヒストリカは立ち上がる。


「待たせてしまって、申し訳ない」


 聞き覚えのある声に振り向く。


 そして、すぐに。


(ああ、そうだったのね──)


 と思った。


 背は高いが全体的にひょろっとした男性は──あの晩のバルコニーで付けていた仮面と同じものを被っていた。

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