第35話 古い日記 前編

 シャルルが山肌を白く塗り染めたあと、しばらくは呆然と頭の中で神の説教を聞いていたのだが、次第にまずいことをしたような不安感が頭の奥に盛り上がってきた。


 シャルルが目を廃墟の方にやると、あの廃墟だか瓦礫の山だか分からない建物はすっかりと白い蜘蛛の糸に覆われていた。


「私たちね、あの建物の奥で物置部屋への扉を見つけたの」


呆然とするシャルルにメイシーがエメリアに目配せをしながら話しかけた。


「まだ、中を見てはないんだけど、多分半地下になってるんだと思うわ。魔法で守られてるみたいで、やけに綺麗な扉があったの。でも、もう入れなくなっちゃったわね」


半ば暴走状態で魔法を出し続けたことを非難されてるような口調でメイシーが語りかけたのを、シャルルは黙って申し訳なさそうに聞いていた。


すると、エメリアが

「でもシャル君が助けてくれなかったら、もっと大変なことになってたよ!」

と慰めてくれた。


 シャルルには今はそれも申し訳なさを加速させるだけだった。


 とりあえずキースが、蜘蛛の巣を、触れればベタベタとした糸に槍を絡め取られるので、トルポの群れを追い払ったような真空の刃で、切り裂こうとしてみた。


「それも魔法なのか?」とシャルルが尋ねたが、キースは「いや?早く振ってるだけだ」と答えた。


 どう考えてもそうはならないだろ、と思いながらシャルルはキースが槍をふる背中を見ていたが、

その逞しい背中を見ているうちに真空の刃を出すのも無理ではないのかもな、と考えを改めた。


 キースの真空の刃は、蜘蛛の巣を切り裂き、なんとか建物の中に入ることを可能にはしてくれたが、その中にも所狭しと蜘蛛の糸が貼られており、自由な移動は望めそうになかった。


 シャルルがダメ元で蜘蛛の巣に手を当ててみると、蜘蛛の巣が、生命を与えられたようにワナワナと動き出した。


「動いた」と驚いてシャルルが呟くと、後ろから

メイシーが「なんであんた自分の魔法のことを何にも知らないの!?」と耐えかねて文句を言った。


 シャルルが黙ってメイシーの非難に耐えていると、頭の中で彼女には聞こえない声で神が『馬鹿だからじゃ』と答えた。


 なんとかシャルルが家の中から蜘蛛の巣を追い払い終わり、ようやく三人も木から降りることができた。


 四人が久しぶりの地上に降り立ったとき、メイシーがシャルルにどうせ知らないと思うけど、と前置きして話し始めた。


「どうせ知らないと思うけど、反発効果はご存知?」


「反発効果…?いや、まだ聞いたことないよ」


「やっぱりね、シャルルはもう一つこう…ヌメヌメした?液体を出せるでしょ、滑るやつ」


「君と二人で月夜に踊ったやつだね」


シャルルが柔かに答えると「キス•ド•フロアだ」と頼んでもないのにキースが補足してくれた。


 シャルルの答えをメイシーは鼻で笑った後で

「あれが踊り?とにかくそれをあのベタベタしてる蜘蛛の巣にかけてみなさい」と答えた。


 言われるがままにシャルルが蜘蛛の巣にキス•ド•フロアにかけてみると、ベタベタした蜘蛛の巣がパキパキと音を立てながら固まり始め、たちまち石のようになった。


「すごい!固まったよ?」


エメリアが恐る恐る指先でつつきながら、ベタベタとくっつかないことに驚いていた。


「これが反発効果よ、逆の効果の魔法はぶつかると違う効果を生むことがあるの」


メイシーによる魔法の説明を受け終わった後、四人は奥へと進んだ。


 先程エメリアとメイシーの見たと言う物置部屋への入り口があった。

古びて傷ついてはいたが、それでもこの瓦礫の山の中では、異質なほど綺麗に形を保っていた。魔法で保護されているドアは、開けてみると簡単に開くことができた。


 ゆっくり、ゆっくりとドアを開くとそこには、魔導士の姿はなく、目を赤く輝かせた人形が置かれていた。


 人のものかと思う美しい茶色の髪と、ふっくらとした顔でニッコリと笑った表情が可愛らしいその人形は赤く輝く瞳ですこちらを見つめながら、静かに部屋の中央に座らされていた。


 シャルルの耳に再び、群衆たちがジーナから離れろという言葉が聞こえてきて、それがひどく不吉なことの前触れのように感じられた。



 人形の恐ろしく輝かしい赤い瞳をじぃっと見つめていると、メイシーがまず口を開いた。


「これは、魔導遺物ね」


シャルルとエメリアが狼狽して、二、三歩後ろへ下がる中で、メイシーだけは、好奇心のためなのか逆に一歩前に出て人形の顔を覗き込んだ。


「魔導士が物に魔法を込めて作り出すものよ。私たちがよく使ってるランプとかも、最近は広い意味で捉えて魔導遺物って呼んだりするわね」


メイシーが、シャルルの疑問を察したのか、興奮して口早に説明した。


「本当は、魔導遺物って言うのは魔導士が命やその魔力を犠牲にして残す物なのよ。遺物って言うくらいだからね。このお人形はどうやら本当の意味での魔導遺物みたいね」


「じゃあここに魔法使いは…?」


シャルルがメイシーの堅苦しく難しい説明をなんとか理解して尋ねてみた。


「いないってことになるわね。今回の件を引き起こしてたのは、この人形よ」


そう聞いたシャルルは露骨に落ち込んだように地面を見つめながら黙って頷いた。


「で、この人形はどうやりゃ止まるんだ?」とキースが尋ねると、メイシーはさらに一歩前へ出て人形と鼻先が当たるような距離まで近づいた。


「この子の中に何かあるわね、多分それが魔法の本体ね」

と言いながら背中を開けると、中から一冊の手帳が出てきた。

確かに、手帳を取り出すと人形はピタリと光るのをやめてただの人形にもどり、今度はその手帳が赤い光を発しだした。


 手帳にはある魔導士の日記のようなものが残されていた。

そして、その最後のページあたりに、書き殴ったように呪文が込められていた。

その呪文のところどころにある丸い水滴のシミが、いやにシャルルの目についた。


 日記にはかつてこの町で暮らしていたある魔導士の日々が綴られていた。

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