第21話 ラブストーリは突然に 前編

 メイシーは、トルポの群れに真っ暗に覆われた中で、それに必死で抗っていた。

 彼女の作り出す防御魔法は自身の周囲360度に青い壁を発生させる、というシンプルなものだった。

青い壁に囲まれて、先の見えないマラソンを走り続けているような心持ちで、何も希望も見出せないまま耐えづけた。


 体力と魔力の限界が近づいてくるなかで、メイシーの頭の回転は錆びついた時計のように鈍いものになっていた。


 思えばこのクエストは出発前から最悪だった。


 何日も変な夢を見て寝不足だったし、その元凶をコテンパンにしてやろうと思ったら、薄気味悪い化け物に咎められるし。


 いざ出発しても、やっぱりあのキザな男は毎晩夢に出てくるし、一緒に依頼をこなす男達はむさ苦しいばっかりでろくに役に立たないし。


 そんな、取り止めのない思考がメイシーの脳内回路に乗せられては滑り落ちていった。


 もう限界だな、と思ったとき、メイシーは小さく


「助けて」と呟いた。


 その時、目の前の黒いモヤが二つに切り裂かれた。

満月の月光に照らし出されてキラキラと光る金髪と、メイシーを覆ってたものとは全然違う、透明感のある黒い瞳は、

メイシーが長年見てきたものの中でも最も美しい色をしていた。


 メイシーは思考を止めてしまった頭でシャルルに見惚れていた。

きっと彼女が健全な状態なら、文句の一つでも叫んだのだろうけど、彼女の脳はそんな思考を流し込む場所がないほど疲弊していた。


「姫、もう大丈夫ですよ」


「あ、ありがと」


メイシーは考えても何の言葉も湧いてこなかったので、仕方なく感謝を伝えた。


 シャルルは、せっかくの登場シーンだったので、長々と口上を言うつもりだったけれど、メイシーが元気がなさそうにしているのを見て、それらを全て微笑んだ口の中にしまったままにしておいた。


 シャルルはあたりのトルポを一通り絡め取ったので、キースが槍の舞で作り出したヴェールの内側に戻ろうと思った。

 しかし、メイシーがへたり込んだまま動けなさそうだったので、周囲に不必要なほど丁寧に蜘蛛の巣をかけて回った。

キースとエメリアに申し訳ないとは思ったが、今すぐに立って戻ろうと提案することがシャルルにはどうしてもできなかった。


『シャルル…ここだけの話なんじゃがの…メイシーは今お主に抱きしめられてもなぁんにも文句を言わんと思うぞ』


『弱った女性につけ込むようなマネをするくらいなら、僕は裸でラッパを拭いたほうがマシです。』


神のウキウキした囁き声にシャルルはいつものように冷たく返した。


 シャルルが蜘蛛の巣を大分芸術的に仕上げられるようになった頃、メイシーは、あたりの物音に掻き消されそうな小さい声でシャルルの背中に話しかけた。


「あんた達が…ここの担当なの?」


「一応そういうことになってます」


「私の仲間は…?」


「皆メイシーさんの帰りを心配そうに待ってますよ」


 シャルルがそう答えるとメイシーはフンっと鼻を鳴らしたあとで、いつものように胸を張って立ち上がって見せた。

仲間が生きている以上は、心配なんてされていないことは分かっていたけど、弱気なままではいられないと思ったからだ。


「どこに向かえばいいのかしら?」


メイシーは精一杯胸を張りながら、シャルルに尋ねた。


 シャルルはそんなメイシーを見て、最初に会った彼女が戻ってきてくれたようで嬉しかった。


「もちろんあなたのために専用のレッドカーペットを用意してますよ」


「あら…どうもありがと」


 シャルルが丁寧に差し出した手を、メイシーが小さな手でそっと握り返した。

 シャルルは自分の指先に触れた小さな冷たい感覚を通して、必ずまた仲間のもとまで送り届けてあげようと思った。


 シャルルは、槍のヴェールの中まで戻るために、もちろん自分が来るときに使ったキス•ド•フロアの上を滑走した。

 メイシーは、シャルルに手を引かれて老婆のように腰を曲げてそれについて行った。


「ちょっと!騙したわね!これのどこがレッドカーペットなの!?」


「大丈夫、メイシーさんが足を下ろせばどこだってレッドカーペットですよ」


 メイシーは期待してたものとまるで違うレッドカーペットの上を滑らされながら、シャルルに文句を言ったが、シャルルは笑って褒めてくるばかりだった。


「バカなことばっかり言ってないでしっかり支えなさい!」


そういうと、メイシーは小さな身体をシャルルにギュッと押し当て、シャルルの腕を自分の腰に添えさせた。


 結局シャルル達が、みんなのもとへ戻ったときには、シャルルがメイシーを抱き抱えるような格好になっていた。


「お前達…一体何をやってるんだ?」


「何って…もちろん姫のエスコートだよ」


「おかえり、シャル君」


「ただいま、どこにも怪我はしてないかい?」


「フン!」


シャルルがそういってエメリアに笑いかけると、メイシーはまた鼻を鳴らしてカツカツと仲間の待つ家に近づいていった。


 一つ深呼吸をして、精一杯に胸を張るとパンッと手を叩いて中の男達に強く優しい口調で語りかけた。


「ごきげんよう!トルポは殆ど上にいる乱暴者がやっつけてくれたの。あとは残りのお掃除をしなくちゃね、さぁもう立てるわね?」


 メイシーがそう男達に告げると、男達の喉まで不平不満が上がってきたが、メイシーがそれを口の外に出すことを笑顔で堰き止めた。

まだトルポへの恐怖心が残っているものも多く、何人かは家から出るのを渋っていたが、メイシーはそんな人間も笑顔のまま容赦なく家の外に放り出した。

 

 当のメイシーは、どこからか引っ張り出してきた古びたソファに足を組んで座り、大きな声で指示を出すばかりだった。

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