第12話 グランテールの夜 後編

「どうもしねぇよ、あえて言うなら納得するさ、西海事変も、ドワーフも、精霊の加護も知らないヘンテコな魔法を使う奴がいる理由にしちゃピッタリだ」


 キースが、つまらなそうな顔で両手を開いてみせたのを確認して、シャルルは止まっていた息をようやく再開することができた。


「神様の声のことなら気にしなくていい、俺の気を拡げてるからな。この中なら神様に声を聞かれることも、聞こえることもねぇはずだ。」


「神のことを知ってるのか?」


「会ったことがあるわけじゃねぇけどな、うちの故郷では異世界人は神様の声を聞けるって伝わってる」


「君はいったい何を知ってるんだ?」


 他人から神の話を聞くなど、全くの予想外だったシャルルは、夜空のような瞳を大きく見開いて、逆に相手に質問してみた。

 キースは近くにあった岩に腰を下ろすと、ふーっと息を吐いた後に話し始めた。


「俺は、因果の外れ児だ。」


「はずれご…?」


 どうしてこの世界の人間は知らないことを知らない言葉で説明するのだろう。

人の心はないのか?とシャルルは不満に思ったが、焦らせないようにゆっくりと質問した。


「俺の故郷に伝わる風習でな、生まれてくる前にエルフとドワーフの生き血を母親に飲ませるんだ。

そのおぞましい儀式を何回か繰り返すと、エルフとドワーフと人間の三つの種族の魂を持った子供が生まれてくる。

そんな存在は神も想定してねぇから、生まれてきた子供は神様の因果の輪っかから放り出されちまうんだよ。」


「それが…因果の外れ児か」


キースは、つまらなそうにうなづいた。自分の生い立ちを話すキースは、いつもよりずっと退屈そうな顔をしているように見えた。


「だから、俺は神様がこの世界に与える影響を受けねぇ。良くも悪くもな…。

で、異世界人っていうのはこの世界に来て、死んじまうと異世界人だったっていう証拠が消えるようになってるらしい。

元々この世界の人間だったって皆んなが思い込んじまうんだ。

だけど俺たちはその影響を受けない。だから俺の故郷には異世界人の話が伝わってるんだ。」


なるほど、とシャルルは、目の前の男が、出会ってから一番長く紡いだ話を聞いていた。


「それで、お前に聞きたいんだ。お前は何をして、何をするためにこの世界に来たんだ?」


キースが真っ直ぐにシャルルの目を見つめて質問した。


 生い立ちを話している時よりは、退屈そうな顔でなくなっているくらいの表情の変化をシャルルは見極められるようになっていた。


「何をしてって…僕は車に轢かれそうな幼い女性を助けただけなんだよ…」


シャルルはそういうと、この世界に来た経緯をゆっくりと話し始めた。




 昨日の昼前、シャルルは、香ばしさと苦味の中に甘みを含んだ美しい匂いに囲まれて、コーヒーショップにいた。


 シャルルはまだ、昨日のことなんだな、と自分で話していて驚いた。

あまりの多忙さに、もう一冬は前のことのように感じていた。


 もっとも、この頃はまだシャルル=レントという名前でもなかったし、髪も黒だったし、ヘンテコなウェーブもかかってなかった。


 シャルルはまだジンジンと痛む頬を撫でながら、気晴らしにと訪れたコーヒーショップでパナマゲイシャのコーヒー豆をじっと見つめていた。


つい先程、友人の女性に軽口を叩くことを酷く叱られて、打たれたばかりの頬が痛みで点滅しているようだった。


 シャルルが、自身の習性のために、酷い思いをするのはこれが初めてのことではなかった。

歳上の女性に叱られたことも、女性の彼氏に勘違いされて殴られたこともあった。


 それでもシャルルは、自分自身の習性を省みることはなかった。

女性には親切にすべきだと信じていたし、彼にとっての親切とはこういうものなのだと、前頭葉から後頭葉まで完璧に染まり切っていた。


 少なくとも、多くの女性は笑ってくれたし、残りのほとんども呆れてやっぱり笑ってくれた。

シャルルにとっては、頬の点滅などは、それと比べれば大した問題ではなかった。


 シャルルは結局、パナマゲイシャを購入したあと、店員の女性に


「ありがとう。これで僕はこのコーヒーの香りを嗅ぐたびにあなたの顔を思い出せます」


と軽く挨拶をして店を出た。


店を出て少し歩くと、大通りの真ん中でへたり込んでいる幼い女の子がシャルルの目に入った。


怒り狂った闘牛のように、ごうごうと音を立てトラックが彼女に襲い掛かる。

まだ、路傍を歩く他の者の脳内回路に、助けるために飛び出そうとする電気信号が流される準備を始めたばかりのとき。


 既にシャルルは不格好に飛び出して、運動音痴ながら、なんとか女の子を道の端に突き飛ばした。


 それと同時に、彼は自分の腰からグシャリと卵を握りつぶすような音を聞きながら、意識とお別れをした。

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