第21話 begonia-2

「ほんっとに調子いいんだからなぁ、相変わらず」


氷室からの告白がこれと同じ温度感だったなら、もっと気楽にあしらう事が出来ただろう。


昔のことは気にしないで、ほかにいい人見つけてね、と笑えただろう。


そう出来なかったのは、言葉にずっしりとした重みがあったからだ。


こんなタイミングで思い出すなんて。


お互い大人になったし、ちゃんと恋だってしてきた。


氷室は今度こそ結とちゃんと付き合いたいと真摯に告白してくれた。


揺れなかったわけじゃない。


惹かれなかったわけじゃない。


もし付き合ったとしても、あの頃と同じ答えにはならないかもしれない。


だって10年も経ったんだから。


・・・・・・・・・ほんとうに?ぜったいに?


大丈夫だと頷けないのは、あれ以来自分から好きになった人とお付き合いできていないからだ。


氷室の顔が頭を過った途端、背後から名前を呼ばれた。


「折原」


聞き間違えようのない彼の声に、なんでこのタイミングでと頭を抱えたくなった。


「・・・っ氷室く・・・」


振り返って彼の名前を呼んだ途端、一気にバツが悪くなる。


自ら進んで懇親会に参加したわけでは無いが、傍から見ればそういう風に見えてしまうことを今更ながら思い出したのだ。


しかも後輩と楽しく談笑中に。


何も悪いことはしていないはずなのに、物凄く悪いことをしてしまったような気分になって思わず肩を縮める。


と、氷室が西山と結を交互に見やってから、結の手を掴んだ。


「こっち来て」


いつもの穏やかな彼とは違う、どこか強張った声に緊張が走る。


「え、あの、でも」


「いいから」


結の返事を待たずにカフェテリアの外に向かって歩き始めた氷室に引っ張られるように後を追う。


物凄く機嫌が悪いことだけは分かった。


結と突然現れた氷室を見て、唖然としている西山に手を振っておく。


「に、西山くん、ちょっと仕事があって!・・・ま、またね!」


懇親会にほとんど顔を出さない氷室が現れたことで、和やかな談笑の中に一気にざわめきが起こった。


しかもその上結の手を掴んで歩き出したものだから、そこかしこから短い悲鳴が上がる。


これではまるであの時の二の舞だ。


案の定受付嬢たちの鋭い視線が突き刺さって来た。


顔色一つ変えずにすぐ前を早足で歩く彼は手にカバンを持ったままだったので、出先から戻って来たところだったのだろう。


この事態の収集方法なんてすぐには思いつかない。


エントランスを抜けて施設の外に出た氷室は、迷うことなく駐車場の奥へと向かった。


目的地は尋ねなくても分かる。


ひと気のないハーフコートだ。


陽が落ちて一気に冷え込んできた外の空気に思わず身を竦めると、コートの手前で立ち止まった氷室が振り返っておもむろにスーツを脱いだ。


「ごめん。着てて」


返事を待たずに脱いだばかりのそれで肩を包まれて断るチャンスを逃してしまう。


「あ、りがと・・・あの・・・・・・今日は、ちょっと懇親会の準備が・・・遅れちゃって・・・その・・・すぐ抜けるつもりだったんだけど・・・」


何も問われていないのに先に言い訳を口にしてしまった時点で、負けは確定しているのに。

彼の顔を真っ直ぐ見つめ返せなくて、つま先に視線を落とせば。


「俺の告白は保留のくせに、なにほかの男に口説かれてんの?」


物凄く不機嫌な彼の声が頭上から降って来た。


どうやら氷室はとんでもない勘違いをしているようだ。


「え!?違うよあれは後輩の冗談だよ。西山くんの軽口は昔からなの」


愛嬌の良さとフットワークの軽さであっという間に支店の人気者になった彼は、直属の上司である朝長の後ろをいつもついて回ってはみんなに可愛がられていた。


結にとっては手のかかる可愛い弟のようなものだ。


けれど、氷室は皮肉っぽく目を細める。


「へえ・・・・・・そうやって躱せるようになったんだ・・・昔は俺が何言っても真っ赤になってたのに」


急に昔の話を引っ張り出すのはずるい。


あの頃の話は何を出されても結は真っ赤になって黙り込むしかないのだ。


あー物凄い空回ってたなー痛々しかったなー・・・と凹むばかりである。


「そりゃあ・・・・・・初めての彼氏だったし・・・自分から告白したのも初めてだったし・・・浮かれてたし」


何を言われても嬉しくて、胸が痛いくらい高鳴って、彼の言葉を反芻しては何度も眠れぬ夜を過ごした。


「俺のことは躱さないでよ・・・」


静かに呟いた氷室が、そっと結に着せかけたスーツの肩を撫でてくる。


あの頃の彼は、こんな風に触れる人では無かったのに。


もどかしいくらいの力加減で女の子に触れられるような器用な男の子じゃなかったのに。


結の記憶の中にある氷室と、大人になった氷室の乖離に眩暈がする。


彼が慣れた仕草で手を伸ばせば伸ばす程、あの頃が遠ざかっていく。


「か、躱してないでしょ・・・でも・・・あの・・・ほんとに、そういう目的で懇親会に残ったわけじゃないから・・・えっと・・・誤解はして欲しくない」


結なりに必死に氷室との関係に答えを出そうとしているのだ。


「誤解されたくないのは、俺が元彼だから?同僚だから?」


探るように視線を合わせてきた氷室の眼差しが、僅かに揺れる。


「・・・・・・・・・どっちも」


それは嘘偽りない本音だった。


結の返事にひとまず納得したらしい氷室が、口角を持ち上げる。


「ふーん・・・・・・あのさ、付き合ったら、懇親会残る時はちゃんと言ってよ。俺も顔出すからさ」


「え!?忙しいでしょ!?」


肝心の一言を訂正するのも忘れて突っ込んだのは、イノベーションチームの激務を知っているからだ。


もちろん代休や半休で上手く調整はしているが、抱えている案件が膨大な為、なかなか有休消化が進まない一番の部署である。


「忙しくても。また誰かに口説かれたら困るから。さっきの、ほんとにただの後輩?」


まだ信じられないといった表情でこちらを見つめて来る彼の瞳には、あの頃一度も見られなかった熱がきちんと感じられる。


どうしようもなく、揺さぶられる。


「・・・・・・そうです。正真正銘ただの後輩」


ほっと肩の力を抜いた氷室が目を細めた。


「そっか」


伸びて来た手がスーツに零れる髪を優しく撫でる。


慣れた仕草に心臓が跳ねて、ああ本当にあの頃とは何もかもが違うんだと思い知らされた。


そして、目の前に立つ大人の彼を、やっぱり素敵だなと思った。





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