第五章・十の紋章

先程から眠っていた、峠之内冥児が顔を上げる。

面倒臭そうな表情を浮かべて、まだ話が続いているのかと思えば、教室から出ていこうとしていた。


「ちょ、ちょっと待って、何処に行くつもりだ?」


邑南敬一郎がそう聞くと、峠之内冥児が睨みを効かせて言った。


「つまんねえ、あんたの話を聞いてても、俺は強くなりそうもねえ」


と、そう言っていた。

その言葉に邑南敬一郎は涙を流しそうになっていた。


「ああ、まあそうだね…いや、多分ボクよりもお前たちの方が強いと思うけど…それでも」


邑南敬一郎は覚悟を決めていた様子で、峠之内冥児の前に立つ。


「ボクはお前たちの教官だ、その役割を担う以上は、ボクの話を聞いてもらう」


「弱いやつが、話をしたところで意味ねえだろ」


「弱い強い云々じゃない、これが社会の縮図だ、階級の差こそが上下関係を生む、強さが問題じゃ無いんだよ」


邑南敬一郎は若干震えていた。

それもそうだろう。

峠之内冥児、問題児とされる彼は、幼い頃から末路不和神霊が作り出した秘境神域にて鍛錬を積んでいる子供だ。

基本的に討伐対象である神格を失った神霊だが、稀にその存在を保護し、巫覡かんなぎを育てる為に祀霊と戦わせる事があった。


「それに、そんなにも戦いたいのなら、ボクが場所を用意してやる、お望み通りの喧嘩の場所だ」


その言葉を聞いた峠之内冥児は、眉を上げる。


「じゃあ、そこで、かくづけしてもいいんだな?」


「…内容的には、模擬戦闘と言う事になるけどね、式織、十景、それでいいかい?」


邑南敬一郎は二人に聞く。

春夏秋冬式織と宍道十景は頷いていた。


「(多少、順番が変わってしまったけど…まあ、問題は無いだろう)」


模擬戦闘、これは一応、施設案内と言う事で、訓練場を案内する事になっていた。

だから、訓練場の使用一環として実際に運動をすると言う名目での戦闘を許可するのだと、邑南敬一郎は思っていた。


そうして、移動した先、訓練場にて、邑南敬一郎は事前に、あるものを持ってきた。


「さて、模擬戦闘を…と、言う前に一つ、入会おめでとう、三人とも、巫覡かんなぎとして、お前たちにはこれを渡しておく」


それは、大き目のハンカチだ、布の真ん中には、四角の線が刻まれており、その中央には『十』の字が刺繍されている。


「十月機関に属する巫覡かんなぎの証明だ、これを、見える所につけるんだ」


そう言って、邑南敬一郎は自らの腕を見せる、邑南敬一郎の腕には腕章の様に『十』の紋が付けられていた。


「これが『月窮』になると羽織が貰えるんだよ、…って、聞いてるか?」


三人は十の紋章を取り付けていて、邑南敬一郎の言葉など聞いていなかった。


真っ白な空間だった。

壁自体が発光しているので、何処までも同じ空間が続いている様に見える。

遠近法が狂ってしまいそうだったが、唯一、この部屋の外観を損なう茶色の扉が出口としての役割を得ている。

これが真っ白な扉であれば、確実に、この何もない部屋の中で、迷ってしまう自信があった。


「とにかく、倒しても、問題はねぇんだよな?この中だったら」


物騒な事を言う峠之内冥児に、眼鏡を指先で押し上げながら邑南敬一郎が頷いた。


「あくまでも模擬戦闘の形式だ、殴るのも蹴るのも術式を使うのも許可する…だが、 今後の生活に支障が出る様な怪我だけは、ボクが止める、絶対にだ」


その言葉を聞いた峠之内冥児は、手に握り締める十の紋章をポケットに押し込むと、部屋の中心に立つ。


「どっちでもいいぞ、どうせおれが勝つんだからな、てめえら両方ぶっ倒して、おれが最強だって事を証明してやるよ」


拳を固めて、両方の拳の拳骨を勢い良く叩き付ける。

その余裕さは一体何処から出てくるのか、邑南敬一郎はそう思いながら二人の方を見た。


上機嫌に鼻歌を歌いながら、出て来たのは宍道十景だ。


「じゃあ、こんどはぼくとあそんでよ、メイジー」


「…おれに言ってんのか?その言い方、気持ち悪いからやめろ」


あはは、と笑いながら黒いマスクをずらして、口を出すと、舌先を伸ばした。


「えー?かわいいでしょ?ぼくの事もシンジーって呼んで良いよ?」


「気持ち悪いって言ってんだろ、二度も言わせるなよ、てめえ」


歯軋りをしながら、怒りを抑えている峠之内冥児。

彼の表情を見ている宍道十景は、なんとも面白そうに体を左右に揺らして、上半身を傾けた状態で、目を細める。

泣き黒子が、定位置からやや上昇すると、天使の微笑みを浮かべた。


「メ・イ・ジ・ィ」


あは、と突発的な笑い。

その言葉と共に、峠之内冥児は完全にキれた。


「二回やめろっつってもよぉ、三度目を言うのはバカのする事だ、バカは死んでも治らねぇ、だから死ねぇ!!」


峠之内冥児が叫ぶと共に、『甲城纏鎧』を使役。

脚部を限定的に神力が纏ったかと思えば、半透明な神力は鋼色を帯びた。


「(神力が…あれほどまでに物質に近づけるなんて、なんて練度なんだッ)」


邑南敬一郎は思わず関心してしまった。

万物を形成する源、神力は無論、そのまま使役する事で十分な効力を発揮する。

だが、巫覡かんなぎは更に鍛錬を積む事で、神力を物質に近づける事も可能である。


「ははっ、いいよ、いいよお、メイジー!ぼくを抱き締めてよ、二人でまっかな血を浴びようよ!!」


両手を広げて、宍道十景は、敢えて峠之内冥児の攻撃を受け入れる態勢に移った。


『金印』と『火印』の二つによって産まれる『鋼印』。

単純な金属とは違い、何度も叩き編み込まれた『鋼印』は『金印』からの不純物を排した戦う為の力だ。


「(凄いな…あれは、こないだのよりも、強い)」


春夏秋冬式織が思うこの間とは、一年前の話…三刀屋剣也との戦闘である。

あちらは『刀印』と呼ばれる『鋼印』が進化した先にある武器形態型の七曜冠印。

だが、三刀屋剣也の七曜冠印は、峠之内冥児の練度よりも劣っているのが良く分かる。

それ程までに、峠之内冥児の武装形態には鬼気迫るモノが感じられた。


「(止めるべきか…ッ?)」


邑南敬一郎は自らの手を伸ばし、神力を放出しようとした。


「ぐ、おぁああッ!!」


背中から神力を噴出させる。

『鋼印』の七曜冠印は攻防に置いて言えば無類の万能性を誇る属性。

単純に、最強の矛と最強の盾を同時に使用しているに過ぎない。


だが、その欠点を挙げると言えば、攻防以外の全て、だろう。

鋼印は実物に近づけば近づく程に戦闘力は増加していく反面、実物に近づけば当然重量と言うものが掛かる。

とすれば、ネックとなるのは重量であり、どうしても単純な速度や小回りに欠けてしまう。


それを補う為に、峠之内冥児は『流繊躰動』と『天飛上落』を使い、神力を放出させての速度上昇を行っている。

これで、速度に対する欠点をカバーする事は出来ている。


だが。


「しゅんっ」


宍道十景が、言葉を口遊むと共に間に割って入ったのは、邑南敬一郎だった。

周囲には花弁が散っている。その花弁は、桜と同じであり…邑南敬一郎の七曜冠印は、希少な『桜印』であった。


周囲に花弁型の神力を飛ばし、更に自らの術儀を混ぜ合わせる事で発生させる弱体化の流れ。

『酔風』と呼ばれる邑南敬一郎の術儀は、桜の花弁に触れたものを一時的に酔わせる事が出来る、と言ったデバフ能力である。


花弁に触れた峠之内冥児と、宍道十景。

峠之内冥児は、体に力が入らず、足に展開させた鋼印を思うように動かせずにいた。

同時に、宍道十景は、腕を伸ばしていて、間に割って入った邑南敬一郎が、その手を握っている。


「それまでだ」


冷や汗を掻きながら、邑南敬一郎は呟いた。

その決定に対して、峠之内冥児は叫ぶ。


「何、きゅうに、とめてやがる」


「殺そうと、したからだ」


邑南敬一郎の言葉に、峠之内冥児は怒りを浮かばせながら言った。


「この程度、まだ本気すら出しちゃいねえ、それで死ぬくらいなら、死んだほうが良いだろうがっ!!」


「お前じゃない」


邑南敬一郎は峠之内冥児に言う。

遠くから見つめていた春夏秋冬式織は、宍道十景を見ていた。


「お前…首、狙ってたな?」


峠之内冥児は、宍道十景を睨んだ。

彼の手には、細長い枝の様な、真っ白な棘が生えていた。

今では、邑南敬一郎が受け止めているが、このまま止めなければ、宍道十景は峠之内冥児の首を搔っ切っていた。

だから、邑南敬一郎は止めたのだ。


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