第4話
行実晴という男はこの彼岸屋で神様を送り届ける『
彼岸屋とは神宿。
神々が休息を取り、この場所から各地方にある神事を行うための本殿へと向かうための経由旅館である。その地方への案内役兼、道中の護衛を務めるのが晴を含めた『護衛官』と呼ばれる者たちである。主な仕事は夕方から夜中、長いと朝方にかけて神様を目的地である神社や神域地まで送り届け、そしてお役目を果たされたのち再びこの彼岸屋へと帰すこと。
形のないもので言えば運や気象・現象なども含まれる。
そんな、ありとあらゆる事象を司る神様をこの彼岸屋は迎え、そして送るのである。
鳴は晴を見る。自ら頼んだとはいえ、まだ朝方は冷え込む。そっと確かめるように彼の手に触れると、ひんやりと冷たかった。今回も無事に神様を目的地まで送り届け、その足で鳴に会いに来たことは、この手の冷たさから明白だった。
晴は自らよりも鳴を優先する傾向にある。大方、自室に戻り徹夜越しの体を労わろうと眠りにつくところに、誰かから「鳴の様子がおかしい」とでも聞いてこの部屋に寄ったのだろうと鳴は推測した。帰宅のタイミング的にも、そう考えるのが妥当だろう。そのことを思うと無性に申し訳ない気分になる。
「晴」
「ん?」
「今回も、お疲れ様でした」
「ああ。無事に送り届けてきたよ」
「朝に、戻ったんですよね? ……春先ですし、寒かったですよね……」
「まあまあだな。送った場所も、割と南の方だったし」
今回の
(本来であれば、春よりも後に来るはずなのに……)
地球温暖化が少しだけ神様の世界にも影響しているのだろうかと、鳴は心のどこかで独りごちた。
「南、というと、どの辺りまで行ったんですか?」
「九州の方だったな。ほら、縄文杉とか、あっちの方有名だろ」
「ああ……」
「またこの季節がやって来るのかと思うと憂鬱になるが、これがないと春が来たって感じがしないから厄介だな」
「……はい。そうですね」
鳴も晴も花粉症を患っているため、あまりこの季節は来てほしくないというのが本音ではあったが、しかし晴の言う通り、杉神様が此岸に顕現しなければ春の兆しは一生訪れることはない。春に咲く淡い紅の桜が、日本には必要なのだ。
そう思えば花粉など、どうってことはない。神様が此岸に訪れるということは季節が正常に巡っているという確固たる証拠なのだから。
「……晴。近々入っている『御神送り』で、四季の方面に行く予定はありますか?」
少しして鳴は緊張した面持ちで晴にそう訊ねた。
鳴は『御神送り』を晴に依頼する身ではあるが、鳴に負担をかけさせまいと、そのスケジュールのすべては晴自身が管理をしている。鳴は自分の知らないところで東海方面に神客がいるかもしれないと賭けたのだ。
「東海に? 今のところは無いが……。何か頼まれ事か? なら予定を空けるぞ」
「そういう訳では……」
もうここまで話してしまったのだから、隠し通すことは難しいだろう。鳴は観念して『例のこと』を晴に打ち明けることにした。
「……晴の誕生日、何が欲しいか訊いたこと憶えてますか?」
「仕事に使えるものが欲しいとは言った記憶があるな」
「四季に、刀の製作をお願いしていて、それが完成したそうなんです。だから、」
「えっ」
晴は勢いよく鳴から手を離した。突然のことに鳴も驚き、そして離れてしまった彼の手の感触に少しの寂しさを覚える。
「四季って、あの〝四季〟か?」
「まあ、僕たちの共通の話題で出る四季は、あの〝四季〟しかいないですけど」
「ちょっと待てっ? 確かに俺は仕事で使えるものが欲しいとは言った。けどそれは刀とか武器とか、そういう系じゃなくて。なんて言うかな……こう、ちょっといい万年筆だとか、時計だとか、そういうのを想像していたんだが⁉」
「え、だって、晴の仕事には必要でしょう? 刀」
「どこの極道の回し
言われて鳴は指を折り、数を数え始めた。いち、じゅう、ひゃく、せん、と数えていく指は止まらない。晴の顔が段々と青褪めていく。
「……ざっと、五百万、といったところですかね?」
「馬鹿なのか⁉」
「馬鹿とはなんですか! せっかく四季が製作を承諾してくれたのに!」
「だからってお前っ、ただの従業員の誕生日にそんな大金……!」
「〝ただの〟ってなんですか! 晴は僕の大切な家族です!」
「いやっ、でもっ」
「それに! ……それに『
「……」
「大丈夫、経費では買ってません。僕のポケットマネーですから!」
「いや仕事用なんだからそこは経費で払えよ!」
晴も鳴も食い下がる気配を見せない。〝四季〟という刀工は、彼らが珍しく口論するほどに高級な骨董品を扱う者なのだ。
彼岸屋に飾る骨董品を依頼したならまだしも、鳴はあろうことか個人の使用目的での刀の製作を依頼したという。
それがどれほどまでの価値になるのか、知らない鳴ではなかっただろうに。
晴は、普段物欲が皆無であるがゆえにそこら辺の感覚が鈍い鳴に心底呆れたのだった。
「……はあ……分かったよ。ありがたく、受け取るよ」
「うん。最初からそう素直に言ってくれればいいんだよ」
「去年まではまだよかったが……今度からはちゃんと何が欲しいのか明確にすることを決めた。今決めました」
「しなくてもいいですよ。僕のポケットマネーは家族に使うためにあるんだから」
「だからそれが……! ……はあ」
もう何も言わん、と晴は頭を抱え、一生鳴という男に口で勝つことはできないだろうと悟ったのだった。
「では、四季には僕から、近く晴を向かわせる旨を伝えておきますね」
「おう」
ひとしきり言い合いが終わったのと同時に、タイミングを見計らったかの如く、坊ちゃん、と部屋の外から声をかけられる。
「はい」
鳴がその声に応じ部屋の襖を開くと、そこには本家で働く侍女が頭を下げていた。瞬間何かを察したのだろう、鳴の瞳に光が宿り始めた。
「春の王、櫻爾様が『奥の間』にお見えになられました」
「分かりました。すぐに向かうと、お伝えください」
――――〝春〟が来た。
そのことを自覚すると、不意に不安に駆られる。だが、そうも甘えていられない。
鳴は彼岸屋の当主としてあるために、大きく深呼吸をして気合いを入れた。
「俺も行くか?」
「……もう少しだけ、付き合って頂けますか?」
「この後、たんまりと睡眠時間がもらえるなら」
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