騎士ユディス=ファルマー

「この顔、やはりそうか。おまえ、スティリア王国元第一王女アデリア=ヴィルフォルドだな?」

 男たちの一人にそう言われた瞬間、わたしはローブの蔭に隠れて唇を噛み締めていた。

 ああ、とうとうこの時が来たかと思いながら。

 シアとエスト二人からじゃないのはちょっと予想外ではあるけれど、いずれわたしの素性しょうたいを問われることはもともと覚悟していたことだ。問題はまだわたしの在り方が固まりきってないせいで答えを用意できてないこと――なんて事情はあの二人に対してのものだから、この人たちにはなにひとつ関係はない。

 だから、余計な良心の呵責を感じることなく、わたしは男の問いを否定することができるわけであり、

「……なんの話ですか? わたしが、そのアデリア王女? に見えるということですか? よくわからないですけど、ただの人違いですね。だから、邪魔なのでどいてくれませんか。わたし、急いで行かないといけないところがあるんです」

 怪しまれないように堂々と(内心はビクビクものだけど)、とぼけてみることもできるのだ。

 もっとも、その抵抗に効果があるかと言えば――

「……だとさ。おい、どうなんだよ、その辺り」

「そりゃ、オレたちみたいなのに取り囲まれて王女様ですかと訊かれて、はいそうですって答えられる王女様なんざいるわけないだろ。少しはない頭使って考えろっての」

「ま、そういうことだ。おまえが王女ではないと否定したところで、そんなものなんの証明にもなりはしない。まして、その赤い髪に赤褐色の瞳は王女の特徴そのものな上に、顔は王妃様と瓜二つときてる。こう見えて王国騎士団の末席にいた身としては、直接王妃様の顔を見る機会くらいはあったわけでな。そんな俺がこう言ってるのだから、言い逃れができると思わない方がいいぞ」

 どうやら、あまりなかったみたいだった。最後の男が本当に王国の騎士だったかはわたしにもわからない。けれどこうまで言われると、確かに言い訳がしづらくなるのは間違いない。……もっとも、このわたしがもしそこまで諦めがよかったのなら、こうして今まで生き延びられていることもないわけだから。

「……わたしが王妃様と似ているから、王女様の可能性があるのはわかりました。でも、わたしの記憶だと、アデリア王女は帝国に征服されたときに王様や王妃様と一緒に殺された、はずなんですけど……それがどうして生きているんですか?」

 わたしは平然を装い、ありのままの事実を告げることで男の発言の矛盾を指摘する。途中のくだりで、胸にどうしようもない痛みを覚えさせながら。

 絶妙と思える会心の切り返しに、けれど、目の前の男たちは動揺する様子も見せてくれない。降り注ぐ驟雨しゅううに濡れた前髪を鬱陶しそうに払いのけると、

「それはその時死んだのが影姫だから、そういうことだろう? なぁ、王女様」

 目の前の元騎士が口元を嫌らしく歪めたのが、雨粒越しに垣間見えた。

「……っ!? どうして、それを……」

「おいおい、忘れたのか。言っただろう、俺は元は王国の騎士だと。王女に影姫がいたことくらい、公然の秘密として周知の事実になっているぞ。さあ、わかったら観念して自分が王女だと認めるんだな」

(そんな……わたしのことを知ってるのは、限られた人だったはずなのに。こんな、見た覚えもない、本当に騎士だったのかも怪しい人にまで知られているなんて……どうしてなの!?)

 想定外の事態に、混乱を止められなくなってしまう。でも、そうなった一番の理由は、本来そうなるべきだったはずだった――なのにそうはならなかった――嘘の現実を、第三者に本当の現実として扱われてしまったから、なのかもしれなくて――

「……じゃあ、わたしがもし、本物の王女だったら、どうするつもりだと言うんですか?」

 その混乱をどうすることもできないまま、わたしは男の言葉を事実上認めてしまう――迂闊な――発言をしてしまった。

「は、やっと白状したか。人間、なによりも正直になるのが一番だと、ようやくわかったようだな。さて、おまえが本物の王女だったらどうするかだと? 知れたこと、身代わりを用意して自分だけ生き延びるような卑怯者には、相応の罰を与えるべきだろうよ」

「ついでに言えば、【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】だったっけ。裏の方で手配書が出回ってる輩と組んでるだけでも問題だよな。悪名高き三大魔女の一角を使って、いったいなにをするつもりだったのやら」

「どうせ帝国に一泡吹かせてやって、あわよくば王国再興とでも目論んでたんだろうさ。さんざん味わった甘い蜜が忘れられねぇだろうからな。贅沢大好きなお姫様としては、よ」

「……ふざけたことを言わないでください。【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】とやらと組んだ覚えはありませんし、帝国に一泡吹かせるとか王国再興だとかなんなんですか!? そんなもの一度も考えたことすらない、ただの言いがかりです!」

 彼らのあまりに恥知らずな発言に、さすがに黙っていられず全力で抗議してしまう。甘い蜜とか贅沢大好きだとかのふざけた発言が絶対に許せないのもあるけど、そうでなくても王国再興だなんてありえないことくらい、わたしだってわかっているのだから。もうなにもかも、わたしの掌からはこぼれ落ちてしまったのだから。

「【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】と組んだ覚えはない、ねぇ。だったら、おまえが今被っている黒ローブはなんだ? 黒ローブを纏った手配書に似た女の姿をルエンで見たという目撃情報をこっちは手に入れていて、そしておまえに黒ローブ姿の同行者がいたのも仲間が見ている。別の仲間が使った魔力を一時的に消す魔法でそいつが倒れたこともな。そんな奴、例の魔女以外にいないはずだろう?」

「――っ! あれは、あなたたちの仕業だったわけなの!? いったいなにを考えているんです!? シアが、【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】だって証拠なんかどこにもないくせに、勝手に決めつけないでください! そもそも、もしも彼女がその魔女だったとしても、あんな大勢の人がいる町中で魔法を使うなんてありえません! もし戦いになってたらどうするつもりだったんです!? 一般人を巻き込んでも構わないと思ってたとしたら、あなたは騎士失格です! 恥を知ってください!」

 さらに広場で魔法を使った犯人が彼らの仲間だと明らかにされたことで、わたしの怒りはさらに膨らんでしまう。激昂のあまり男に詰め寄ってしまったけど、胸ぐらを逆に掴まれるとそのまま思いきり身体を突き飛ばされて、濡れた地面に無様に転がされる。そんなわたしを冷たく見下ろすと、自称騎士の男は軽薄な態度を改めることもせず言ってくる。

「騎士としての誇り、か。影を使って自分だけ生き延びた卑しい王女様に言われるとは、な。恥だとか、そんな高尚な代物など持ち合わせていない身としては別にどうでもいいが、おまえの方こそ王族として恥ずかしいと思わないのか?」

「そもそも、元々は【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】狙いだったわけだからな。まさか王女様まで釣れるとは思わなかったから最初は驚いたけど、こっちとしては一挙両得だから正直ツイてたよな。王女様をいただいた後はあいつを使って、今度こそ魔女狩り成功させて懸賞金で豪遊としゃれ込もうぜ」

「おいおい、喋りすぎだろ。ご機嫌なのはわかるけど、余計なことまで喋ってんじゃねぇぞ」

「――そう、いらないことを喋りすぎだ。だからこうして油断して間抜けを晒すことになる」

 不意に、新たな男の声が割って入ったかと思うと、余計なことを喋りすぎだと注意された男の体ががくんと崩れ落ちた。

「!? おい、どうした――」

「お、おい、こいつ死んでるぞ。なんのつもりだ、おまえ――」

「おまえたちのような輩に答える必要は感じないな。いいから、これ以上汚い無駄口は叩かず、黙って斬られておけ」

 雨と夜の闇の中に、一瞬鋭い輝きが走る。それも一度ではなく、数度。

 そして、気がつくとわたしを取り囲んでいた男たちは全員地面に倒れ伏していて、新たに現れた男の影だけがこの場で唯一立っているものだった。

「――大丈夫ですか?」

「え? あ、はい、大丈夫、です。ありがとう、ございます。えっと……それで、その、あなたは?」

 男たちを簡単に斬り伏せた剣を鞘に収めると、突然の闖入者は倒れたままのわたしに声を掛けながら、手を差し伸べてくる。その手を取ることもできないまま、わたしはたどたどしいお礼に続いて目の前の男の素性を尋ねかけていた。

 すると、彼はやにわに泥濘の中に片膝をついたかと思うと、

「この度は助けが遅れて申し訳ございません。アデリア王女殿下がご無事でなによりでした。私、スティリア王国近衛騎士団団長グランツ=ファルマーが一子、ユディス=ファルマーと申します。先刻殿下がこのアダンに来訪された報を聞き、馳せ参じた次第です」

 まさに騎士そのものの物腰でそう名乗りを上げてくる。これにどう反応したものか、王女らしく差し伸べられた手を取るべきか、それとも偽者の分を弁えてやり過ごすべきか、態度を決めきれないわたしはただ彼の姿を見つめ続けることしかできなかった。

 雨具代わりに上衣サーコートを頭から被っているので顔はよく見えないものの、声の感じからまだ若そうな印象は受ける。跪かれているため背の高さも判然としないけれど、立派に肉のついた上半身にかなり広い肩幅から、平均男性よりは高めな感じがあるようなないような? 正直よくわからないのだけど、少なくとも武装した男たちを簡単に斬り捨てたのだから、剣の腕がかなりのものなのだけは間違いないところだろう。

 さて、そんな彼がわたしが態度を決めかねている間もずっと片膝を突いたまま、わたしに手を差し伸べたままだったりするけれど、本当にどうすべきだろうか。

「あの……」わたしが口を開きかけたその瞬間、

「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って~~~~~っっっ!!!」

 突然、そうまたも突然、今度は聞き慣れてきた声が割って入ってくる。

 驚いて、反射的に声の方に頭を向けると、ものすごい勢いで裏路地を走ってきたエストが剣を振りかぶって目の前の男に斬りかかってきたのだった。

 とは言っても本気ではなかったのか、それとも単に男の反応がよすぎただけなのか。すぐさま立ち上がって背後に飛び退いた男に避けられて、エストの剣はそのまま地面に叩きつけられる。

 激しい金属音に、反射的にわたしは目を閉じてしまった。それから目を開けると、わたしを庇うような位置に――背を向けて――立ちはだかったエストが剣を構えて、わたしを助けてくれたはずの男に正面から対峙している。

「ああ、間に合ってよかった。大丈夫かい、お嬢さんレディ。いろいろと言いたいことはあるけど、ひとまず後にしようか。まずは目の前の危険を取り除かないとね」

「――なにがなんだかよくわからないが。私に剣を向けるなら、相手はしてやろう。来るなら来い、小僧」

 自然と一触即発状態になる二人に、わたしはたまらず制止の声を張り上げた。

「ちょっと待ってください、待ってよエストくん! その人、敵とかじゃなくて、わたしを助けて、くれた人だから! だから、斬っちゃダメ、だから――っ!」

 必死の懇願が効いてくれたのか、一瞬お互いに顔を見合わせるような動きを見せてから、剣を下ろす男と同じように剣を収めたエストがこちらを振り向く。

「……本当になんだかよくわからないんだけど。まぁ、詳しい話は後でたっぷり聞かせてもらうとして。まずは無事で本当に安心したよ。というか、ひどいことになってるけど大丈夫? ほら、立てるかい?」

 そうして全身ずぶ濡れになった状態で、闇夜に金色の髪を煌めかせた【救世主メサイア】が差し伸べてくれた手を、わたしはしっかりと握りしめるのだった。

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