魔女の魔法学講義

 ルエンで聞いた噂話によれば、西の街道――つまり今わたしたちが使っている街道で盗賊団が暴れ回っているらしい。だからセラムスまでの道中で彼らの襲撃に遭うことは半ば覚悟していたけれど、今のところその気配さえ感じられないのは日頃の行いのおかげか(誰の?)ただの幸運の賜物か。

 などと言ってみても、これから先の安全を保証されたわけではないのだけど。

 ひとまず今のところは、一同平穏無事なことをまず喜ぶべきことだった――


「――ええと。食糧と水の補給の前に、まずは魔法屋? に向かうんですよね? 灯照石はまだ残ってるはずですけど、他になにか必要なものでもあるんですか?」

「ええ、そのつもりです。が、魔法屋に向かうのは別に買うものがあるからではありません。ただ、少しばかり寄る必要ができただけのことです」

 自分から言い出しておきながら、どうもシアは気が進まないようなのがよくわからない。ただそこを下手に突っ込むと墓穴を掘りそうなので、賢明な(?)わたしは余計なことはしないことに決めると、なにも言わずただ彼女についていくのだった。

 ――わたしたちが今いるこのアダンの町は、ルエンとセラムスのちょうど中間点にある。ルエンに比べると少し小さいものの、それでもドリード村に比べれば遥かに大きな町だ。

 町に着いてまず宿を取ったわたしたちは、留守番という形で宿にエストだけを残すと、残りの二人で買い出しに出かけることになった(ちなみにエストもついてきたがったのだけど、なぜかシアの猛反対にあっている。わたしは荷物持ちとしてむりやりついてこされたというのに、どうしてなのか正直よくわからない)。

 件の魔法屋というものが今ひとつどんなものか想像できないままシアについていくと、大通りを外れて路地裏の方に――怪しげな通りに入り込んでいく。見るからに柄の悪そうな、脛に傷を持っていそうな人たちとすれ違うたび首を縮こませてやり過ごすわたしとは違い、堂々と背筋を伸ばして先を歩く黒い魔女相手だと、すれ違う人たちの方がむしろびくびくしていたようだった。

 そうして辿り着いたのは、今にも崩れそうにも見えるあばら屋のような小さな建物。看板もなにもない、一見ただの廃墟に見えなくもないその場所の朽ちかけてそうな扉を開き、中に入っていくシアの後についてわたしも店内に足を踏み入れる。

「――おや、百年ぶりに客が来たかと思ったら、ずいぶん懐かしい顔が見えるじゃないか。相も変わらず、意味もない布きれぶら下げてるようだねぇ」

「わざわざ他人ひとを呼びつけておきながら、大した言い草ですね。……四年ぶりになりますが、相変わらずのようでなによりです、キーシャ」

(え? え? いきなりなに、なんなの?)

 入店するなりいきなり辛辣な言葉の応酬が繰り広げられ、わけがわからず入り口で立ち止まってしまう。

 外観に比べるとかなりマシではあるけれど、それでも狭く古くさい雰囲気を漂わせている店内は、雑多な商品が棚を埋め尽くしていてごちゃごちゃした印象を受ける。その狭い店の奥でランプの薄明かりと同化するように椅子に腰掛けているのは、とても小柄な顔中がくしゃくしゃの皺だらけになった老婆だった。

「四年ぶり、ね。おやおや、そんなにもなるのかい。暗黒大陸に向かったと聞いたときは、もう会うこともないんだろうねと思っていたけど、こうして無事なところが見られるとは長生きするもんだよ。ところで、今日はあの子とは一緒じゃないんだねぇ」

「ええ、【我が主マスター】は置いてきました。貴女と会わせると色々と面倒ですから」

 どうやら二人は古い知り合いのようで、わたしを(幸いなことに)放置したまま不穏な会話が繰り広げられている。あのシアと互角以上にやり合えている老婆――キーシャと呼ばれてた?――に、尊敬の念を覚えたわたしは思わず彼女を応援してしまうのだった。

「それで、わざわざ私を呼びつけた理由はなんなのですか? まさか、世界を救う旅に有用な魔具を融通してくれるとでも?」

「阿呆が。なんでわれがそんな無駄なことをせねばならんのよ。そんな貴重品、只でくれてやるほど耄碌した覚えはまだないからの。だいたい、お主にそんなもの魔具は必要なかろうて」

「――でしたら、私をここに呼んだ理由はなんだというのです?」

 答えをはぐらかすような相手の態度に、苛立ちを露わに再度問いかけるシア。すると老婆はかか、と歯を見せて笑いながら、

「そんなもの決まっておろうよ。暗黒大陸帰りの馬鹿者の面を拝もうかと、ちと思っだけのことさね。ま、余計なものがくっついておるから、マズい面は拝めんわけだがのぉ」

「成程。死ぬ前にもう一度だけ私の顔が見たかったと、素直に言えたなら見せてあげても構いませんが?」

 ぴしり、と空間が軋むような気配がした。すわ一触即発か、とわたしが緊急避難の覚悟を決めた次の瞬間、老店主が弾かれたように大声で笑い始める。向かい合うシアの方もヴェールで表情はわからないままだけど、ローブの動きで肩をすくめたようなのはなんとかわかった。

「……あのー、ちょっとお聞きしてもいいですか? お二人って、どういうご関係なんですか?」

 とりあえず言葉での戦争が終わったようなので、再戦を防ぐ意味も込めてそう問いかけてみる。すると真っ白のぼさぼさ頭を掻き回しながら、キーシャと呼ばれていた老婆がこちらを見るなり、なにやら面白いものを見つけたと言いたげに唇を歪めた。

「吾とこの馬鹿者の関係か? それを知りたければ、まずおまえさんが何者か教えてくれんとな。見たところ、魔法はこれっぽっちも使えんようじゃが」

「キーシャ。この娘は雑用をさせるための、ただの【下僕サーバント】です。貴女が気に掛けるような者ではありませんが。それより、いつものようにあることないこと適当に話して、相手を混乱させるようなことは避けて頂けますか」

 悪戯小僧の表情を露わにしたキーシャを強く嗜めると、シアがこちらに体を向けてくる。

「この偏屈老人と私はただの昔の知り合いです。五十年ほど前でしたか、旅の途中に偶然知り合い――気の迷いで一緒に旅をするようなこともありましたが。その後例の大戦などで色々あった末に当時の仲間はばらばらになったわけですが、それでも数年に一度程度ですが交流の機会もあったので、関係が切れることがなかった――それだけの話です。ええ、概ねこの奇矯者のせいでしたが」

「そこは戦友と言うべきじゃないのかねぇ。あの過酷な大戦を一緒に乗り越え、生き残った吾とお主の仲だというのに、ほんと薄情なもんよ。しかし嬢ちゃんや、あんたも災難だよねぇ。こんな薄情者の旅に付き合わされるなんてさ。なあ、そう思ってるだろ?」

「…………え゛? えぇ、と……」

 二人の関係を聞いていたはずが、いつの間にかわたしまで巻き込まれそうになっていた。錯覚かもしれないけれど、ヴェール越しに鋭く睨みつけてくる視線の圧力も感じてしまうし、ここはどうにかしてごまか――もとい、話題を変えて矛先を変えないといけない。

「そ、そんなことよりも、ですね。さっきわたしに魔法がぜんぜん使えないっておっしゃいましたけど、どうしてそんなことがわかるんですか?」

「ああ、そいつは嬢ちゃんから魔力オーラがこれっぽっちも感じられなかったからよ」

「オーラ……ですか?」

 耳馴染みのない単語にオウム返ししてしまうと、間に挟まる位置にいたシアが大きなため息をつく。

「キーシャ。勝手な言葉を作り出して他人を困らせる悪癖は、いい加減改めるべきでは?

 いいですか、【下僕サーバント】。そもそも魔法とは、魔法使いが魔素マナと呼ばれる元素を利用して世界を塗り替える現象です。故に魔法を行使するためには、世界に偏在している魔素マナに干渉できる必要があるわけですが。その干渉するための力、魔力の含有量には個人差があるため、魔力を持っていないか乏しい者では魔法を使えないということがこの世界の摂理となります。先程の発言は、貴女からその魔力がまったく感じられなかったからのもの、ということですね」

「はぁ……。そーですか」

(うわぁ……。ぜっんぜっんわかりません。なにを言ってるんでしょうか、この魔女様は?)

 ちんぷんかんぷんなまま生返事をするわたしの耳に、老婆の笑い声が飛び込んできた。

「相変わらずお主の解説は解りづらいのぉ。ほれ、嬢ちゃんもぽかんとしとるわ。ま、要は魔法を使うには魔力が必要なわけなんじゃが、嬢ちゃんからはその魔力がちーとも感じられんかったから、こりゃ魔法が使えそうもないわと判断した寸法さね」

「あー、はい。そう言われると、なんとなくわかりました。ありがとうございます」

 魔法を使える人がほんの一握りで、それも努力して使えるようになった人がいない理由が、キーシャの説明を聞いて――なんとなくだけど――はじめて解った気がする。でも、だとしたらアレはどういうことなのか。もうひとつシアを見ていて気になっていたことを、この機会に聞いてみようかと、わたしはさらなる疑問を口にしていた。

「だったら、シアが魔法を使うときに全然呪文を使わないんですけど。あれってどういうことなんですか? 普通は、誰だって呪文を使ってますよね?」

「それは――」

「それは、単にこやつが規格外の傑物じゃからな。魔力がありすぎるくせに、それをわざわざ呪文で制御する必要すらないとあっては、吾らのような並の魔法使いと比べる方がおかしかろうて。……しかし、シアか。成程、成程のう」

「キーシャ。余計なことばかり言う口なら、二度と開けないようにしてあげますよ」

 自分の言葉を遮られて勝手に答えられたことにか、それともそれ以外――偽名を使っていること?――についてかはわからないけれど。ぴしゃりと威嚇してきたシアに、キーシャが「おお、怖い怖い」とおどけたように口をつぐんだ。

「……えっと。つまりは、シアがとんでもない魔法使い――魔女だってことですか」

「どういう意味で『とんでもない』と言ったのか、少し問い詰めてみたいところですが……まぁいいでしょう。それよりも、私の魔法はただそう生まれついてしまったに過ぎませんから、称賛されるものでも誇るべきものでもありません。むしろ讃えられるべきは、【我が主マスター】だと思いますが」

 憮然とした口調で――まるで恥ずべきものだと言いたげに――わたしの賛辞を否定してくる規格外の魔女様。その態度に少し引っかかりを感じはしたけれど、それよりも相変わらずエスト息子至上主義なところに、思わず口元が緩んでしまうわたしだった。

 横目でちらりと見ると、どうやらキーシャも同感だったようで同じように口元をにやつかせていた。いろいろと癖のある人のようだけど、それでもこの一点に関してはわたしの同胞だと確信を抱けたことで、急速に親近感が湧いてくる。

 おそらく、この先もう二度と会う機会はないだろうことが少しだけ残念かもと、そう思ってしまえるくらいに――

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