全部持ってる男

 何度来てもここには慣れない。私は組長室の重厚な机に肘をつく男に目を向けた。

 この街一帯を縄張りにしている若き組長は、高そうなスーツに身を包み、上機嫌に手元で新しい葉巻を弄んでいた。その太った指には趣味の悪い宝石が強欲そうにいくつも輝いている。

 でっぷりと脂の乗った顔は三十代半ばやそこらにしか見えないが、その手でこれまで一体何人の邪魔者を消してきたのだろう。まあ私達も、その邪魔者消しに大概加担しているんだけど。

 無論彼も常に命を狙われる立場を自覚しているようで、傍らには二人の若衆を置いている。姿は見えないが、入ってきた扉の裏にもひとり潜む者がいると私の熱源感知センサーが告げている。相変わらず用心深い男だ。

 私とメロの報告を聞き終えたボスは、満足そうに頷いて形だけの労いの言葉をかけた。

「昨夜もご苦労だった、メロ」

 彼は低い声で嗤って葉巻を目の高さに上げると、そばの若衆がすかさずその先を切った。

鳥飼組とりかいぐみの野郎共、俺らにカチコミかけようなんて計画していたみてえだがな、カシラが急にその気が失せてやめたって情報が入ってる。いい気味だぜ」

 別の若衆がうやうやしく差し出したライターで葉巻に火を点け、一服する。深々と吐き出した煙が私達の方に届いた。

 路頭に迷っていたメロはこの男に目を付けられてからというものの、指図されるがままに目標ターゲットの記憶消去を請け負っている。殺せば他所の組に角が立つのだろうが、メロが奪うのは命じゃなくて記憶だ。周りの目には、目標ターゲットが何か突然気が変わったかボケが来たかのように映るのだろう。要らぬ因縁を付けられる事もないから組としての損失は最小限に済む。

 それなりの報酬で便利な鉄砲玉ヒットマンを雇い、彼の裏社会での地位は鰻登りのようだった。

「この街の金も女もヤクも、全部俺の思い通りだ。そうだろう?」

「はっ」

 葉巻を切った男が小さく頭を下げて同意した。それ以外の答えは許されないのだろう。しかし実際、この辺りの裏世界を牛耳っているのは彼だ。彼の言う通り、その掌でどんなものも思いのままにできるのだろう。人も、金も、その身に有り余る欲はすべて。

「鳥飼組が戦意を失ったことで俺の縄張りシマに手出しできる連中が減った。しばらくは好き勝手して――おい、止まれ」

 朗々と語っていたボスが短く制した。長い話に飽きたらしいメロは、部屋の隅の本棚に目を向け、手を伸ばそうとしていた。切れ長の一重が彼女を射抜く。

「そこらの本棚モンに触れてみろ、たちまちお前は蜂の巣になるぞ。忘れたか」

「そうだっけ」

 ぽかんと口を開け、初耳、といった表情でピンク頭を掻くメロ。とぼけているのではない。どうやら本当に忘れているようだ。用心深いボスの、来客襲撃者用の隠し銃の在処を。この部屋はそんな物騒なもので溢れている。そのどれもひとたび触れればスイッチが作動し、全身穴だらけにされてしまう。私の身体ボディでだって防げるか自信がない。

 ボスは煙と一緒に大きく溜息を吐いて、ぎろりと私を睨みつけた。

「おいポンコツ、ちゃんと面倒見とけ」

「はい」

 気の短いボスの気が変わらないうちに、メロの手をそっと握った。しかし彼女は私の手を振り払いそうな勢いで身を乗り出して激高する。

「おい……今ムーの事ポンコツって言ったか?」

「メロ、ほら、暴れないでください」

 よせばいいのにボスに掴みかかろうとするメロを、後ろから羽交い絞めにする。暴れ犬のように手足をじたばたさせる少女を、ボスはゴキブリでも見るような目で見下ろしていた。さっき葉巻の世話をしていた男達が殺気立つのが分かった。

「ムーはあたしの家族で友達だ! ポンコツって言ったこと取り消せクソが!」

「そいつらを外に捨ててこい」

 聞いてられんといった様子で男達に顎で指図する。屈強な彼らは私達を易々と抱え上げて扉を開けた。ピンク髪を振り乱して、メロはまだ暴れていた。

 組長室の扉が閉まる間際、ボスの溜息交じりの台詞が聞こえた気がした。

「そろそろか。便利だったんだがな」

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