古屋さんバイト辞めるって

四宮あか

プロローグ

「おつかれさまです」

 やばいやばい、急いで着替えないと終電に間に合わない。

 チラリと視線をやった更衣室の時計は、すでに23時21分を指しており、終電まで20分を切っていた。

 石井いしいミク♡とネームプレートが書かれたロッカーを慌ただしく開け、エプロンを外す時間すら惜しくて、居酒屋『さのさの』と書かれたエプロンの上からコートを羽織りショルダーバックをかけた。

 ロッカーの内側に張り付けてある鏡で、気持ちちょっと乱れたショートボブをさっと手櫛で治すと。

 ロッカーを閉め私は更衣室を後にしようとした。


「ちょっ、そのエプロンのまま行くの?」

 同僚の一人が流石にエプロンくらいは取ったほうがいいんじゃない? と言わんばかりにツッコミを入れてくるけれど、こっちはそれどころではない。

 2月1日。私は今大学のテスト期間真っただ中。

 本当ならバイトすら入りたくなかった。

 テストに持ち込むノートもまとめておきたいし、暗記科目にもある程度時間を使わないとまずい。


 終電を逃せば最後、この辺は飲み屋街。

 終電に乗り遅れたお仲間たちと駅前では壮絶なタクシーの取り合いが始まるのは必須。

 そんなことになれば、帰る時間が更に遅くなることは必須。

 何よりかにより、タクシー代なんか使っちゃったら、今日のバイト代のうちかなりの金額がタクシー代に消えちゃうし。

 それこそ何のために状態だ。


「コートのボタンしめるんで大丈夫です! お疲れ様です」

 ばたばたと更衣室の扉をしめて、早く店を出なきゃと思うときにかぎって店長が私を呼び止めた。




古屋ふるやさんバイトやめるって」





「えっ、そうなんですか?」

「うーん、困るよね」

 古屋さんというのは、一月前にチェーン展開している駅前居酒屋『さのさの』のバイトに採用されたばかりの女の子だ。

 私と学部は違うものの、同じ大学に通っている1年生同士だからこれから仲良くなれるかな? と思っていた相手だった。



 ミルクティー色のふんわりとパーマをかけられた髪を、バイト中はいつも可愛いシュシュで一つに結っていて、耳元は大き目のイヤリングが揺れる。

 ファンデとリップ程度でお化粧はおしまいの私とちがって。

 いつもメイクばっちり華やかで、私服もお洒落で可愛くて、なんていうか、古屋さんは私なんかよりもはるかに女子力が高いタイプだった。

 一緒なシフトになったことは両手で数えられるほどしかないけれど。

 初めてのバイトでもたもたしていた時期が長かった私とは正反対で、要領がいいタイプなのかあっという間にここの仕事を一通り覚えていた。

 明るく、話しも面白くて、店長の交代以降主要メンバーが次々とやめて行った後釜としてバイト先をこれから楽しくしてくれそうってのが私の古屋さんへの印象だ。




 40過ぎの笹木ささき店長は大きなため息をわざとらしくつくと、店の出入り口をふさぐかのように立つと話を続けた。

「石井ちゃんさぁ~。同じ大学だよね」

「えぇ、そうですけど……」

「ちょっとさぁ、学校で会って引き留めてくれない? 古屋さんしばらくシフトも入ってないんだよ~」

 しばらくシフト入ってないのは当たり前。

 同じ学校の私がテスト期間なのだから、同じ学校の古屋さんだってテスト期間だもん。


 

 新しい笹木店長は最初は大柄で眼鏡をかけたちょっと知的なクマみたいな男性だったから怖いと思っていたけれど。

 怖がられるからと気を付けているらしく、口調はいつも柔らかいし。

 怒鳴りつけたりするわけでもないし、悪い人ではないとおもう。

 ただ、ちょっと自分の思い通りになるまで、あくまで低姿勢でだけれど、お願いをする癖がある。



 私だって本来ならテストが終わるまではバイトのシフトは入らなくて、入るにしても早番で上がれるって前の店長の時はちゃんと決まっていて、大学1年の前期のテスト期間はその約束通り他の大学や専門学校に通っているバイトの子が、私が出れないときはちゃんとフォローしてくれて、私がシフトにはいることはなかった。



 移動してきた今の店長に変わって初めてのテスト期間。

 私はすでに2度目になる『流石にこの人数じゃ回らないからラストまで出てもらえないか?』って連絡がきて。

 やんわりと断ったんだけど、今のように……

 なんていうか、私が店長の納得のいく返事をするまでダラダラと連絡をし続けてきて。

 何度も鳴る通知音に根負けして、今日だって本当は出たくなかったのにバイトに出る羽目になった。



「学部が違うと全然会わないですよ。それに今はテスト期間だし……古屋さんも忙しいと思います」

 ちらりと掛け時計に視線をやると、すでに5分近く時間が過ぎている。

 もうそろそろ店を出てダッシュしないと本当に終電を逃してしまう。



「でも、人数減るとこっちもキツイんだよね。それに2月いっぱいでやめられたんじゃ、来月の送迎会シーズン大変なことになるのはバイトしてる石井ちゃんもだよ。先月だってもうすぐ就活だからって2人もやめちゃったし。ねっ、お願い。この通り」

 お願いという割に店長は出入り口をふさぐかのように立ち頭を下げる。

 そこに立たれていては、私は店を出られない。

 迫る終電の時間。



 バイト先でちょろっと話すくらいしかない相手を、一バイトの私が説得とか意味が解らないんだけれど。

 終電がこのままでは本当に間に合わなくなるし、そうなるとテストがって思いにまけて。

「わかりました。とりあえずいうだけ言ってみます」

 と言うしかなかった。

「うん、明日お願いね」

 私が承諾すると、ニコッと目を細めて笑うとやっと笹木店長は大きな図体を扉の前からずらして私の肩をなれなれしくポンポンと叩いてきた。







◇◆◇◆





 終電にはなんとか間にって、家につくとコートも脱がずにベッドに飛び込んだ。

 古屋さんの説得とかなんて言えばいいんだろう……

 気が重すぎる。

 電車に間に合ってホッとしいたのもつかの間、家に今だって頭の中をぐるぐる回るのは、タイプがぜんぜん違う古屋さんにバイト辞めないでねなんて、たかがバイトの先輩ってだけの対して仲良くもない私がどんな顔して言えばいいのよ……



 バイトやだな……

 はぁっと思わずため息がこぼれた。

 でも、大学の友達で私みたくもバイトで悩んでいる子が多いし……

 テスト期間全部バイトのシフト入れられた子とかに比べたらまだ私はマシだもんなぁ。



 大学に入学してすぐ始めた駅前居酒屋『さのさの』のバイトはすごく楽しかった。

 なんていうか、古屋さんみたいな楽しいタイプが沢山いたっていうのかな。

 話すのが苦手で仕事の覚えが悪い私に嫌な顔せずに、皆教えてくれて。

 バイト先のメンバーで遊びに行ったりご飯も行ったっけ。


 でも、今の笹木店長に変わってしばらくして。

 一つ年上でちょっと恋心を抱いていた他大学のヨッシー先輩が資格試験の勉強に集中しないとだからってやめた。

 好きな相手がバイト先からいなくなることは、かなりショックだった。

 そこからだ。



 好きな人が辞めたこともあってか、バイト先がなんだかおもしろくなくなった。

 バイトは仕事なんだから、面白い面白くないとかいうのがおかしいのかもしれないけれど……

 ヨッシー先輩がやめたのを皮切りに、ポツポツとやめていく人がでてきた。

 1月初めの新年会が終わるタイミングで、とうとうハルちゃん先輩と、フユト先輩も3年の今くらいから就活が始まるからってやめてしまったし。

 本当にヨッシー先輩が辞めたのを皮切りに、ほんの数か月の間にすっかりメンバーの大半が入れ替わってしまっていた。



 仲いい人や楽しい人が抜けてしまうだけではなく。

 人が続けてやめたせいでシフトがちゃんと埋まらなくなったのか、長くやってて仕事ができるメンバーが中心にやめてしまってせいで、人数が出ていても前のようにホールやキッチンが回らなくなったのか、こんな風にテスト期間にも関わらず連絡がしつこく着て出るような羽目になって正直なところ私はうんざりとしてた。



「古屋さん明るくて楽しいムードメーカーって感じだったから、また楽しい職場になれると思ったのに」

 本当ならテストのためにノートなんかをまとめておかないといけないのに、私の頭の中はぐるぐると『古屋さんバイトやめるって』ってことで埋め尽くされていた。




 古屋さんとシフトが同じになったことは両手で数えられる程度。

 私と同じ大学の違う学部に通っているらしいけれど。学部が違えば学内で姿を見かけることはあるかもしれないが、話したことなどない。

 私とちがって明るくて要領がよくておしゃれな女の子。

 そんな女の子を説得しに行くことで、私の人生はがらりと変わるのだった。



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