可愛くない俺は妹のアレを絶対にくんかくんかしたりしない……。そのに

 そして俺は躊躇とまどいもなく、ノートパソコンの画面上に表示されたをクリックした……。


 軽い作動音と共に、新しいウィンドウが立ち上がる、この妹フォルダは他のアプリと紐付けされているのか!? 未祐の奴、今度は一体どんなトラップを仕掛けたんだ。

 アニメ同好会の活動で俺はとんでもないアフレコにつき合わされたり、わんこの着ぐるみを着せられて熱中症で酷い目にあわされたりろくなことがなかったから。


「また【先孕】関係のどエロい内容の何かじゃないのか!?」


 二度あることは三度あるというが、俺は完全に警戒モードに入っていた。

 しばらくノートパソコンの画面上に時計の針のマークが表示される。ずいぶん起動が遅いな、かなり重いファイルを開いているんだろうか?


 少しイラつきながら液晶画面を見つめる。おっ、やっと開きそうだ!!


「なっ……!?」


 画面に表示されるに俺の視線は釘付けになってしまう。このアプリは……。


 しばらくノートパソコンの画面を見つめたまま何も言えなくなってしまった。


 うにゃあ!? 


 いつの間にか入り込んでいた愛猫のムギが不思議そうに俺の足元にじゃれついてきた。ごめんな、今はちゅーるをお前にあげられそうにないよ……。


「……未祐、お前ってやつは本当に」


 液晶画面が涙で滲んで見える。


「……可愛い奴じゃないか」


 俺は勢いよく椅子から立ち上がった。驚いたムギが勢いよく椅子の傍から飛びのいたのが視界の隅に映る。


 上着と自転車の鍵の入った鞄を掴んで、俺は急いで部屋を後にした。




 *******




「はあっ!! はあっ!!」


 俺は勢いよく自転車ロードバイクを漕いでいた。

 目的地はもうすぐだ、家から自転車ならすぐに着く距離だ。だけどもどかしくてペダルをまわす足に力が入らない、その理由は分かっている、さっき見た妹フォルダのせいだ……。


 向かった場所は完全に当てずっぽうのヤマ勘だ、でも俺には不思議な確信があった。

 

 ……なぜなら、その場所は。


 ダンプ街道で有名な国道を自転車でひた走る、すでに日の落ちた時間帯なので、通り過ぎる車もまばらだ。もちろんダンプカーもいない、昼間はこの界隈に砂採り場が点在するため、ひっきりなしに大型のダンプカーが行き交っている。この道を昼間に自転車で走るのは本当に命がけだ……。


 赤い橋が前方に見えて来た。目的地はもうすぐだ。

 橋を過ぎて、急坂が待っている。小学生のころ心臓破りの勾配として俺たちの行く手を阻んだ道だ。


「ふっ……!!」


 自転車を立ち漕ぎに切り替え、急坂に向けて手元の変速レバーを操作しようと指を掛けるが、躊躇ちゅうちょして手をハンドルグリップの位置に戻した。


 子供のころはきつくて登れなかった坂道、いつも途中で足をついてしまった。

 それが悔しくて悔しくて、いつかこの坂道を足をつかずに登り切れたら……。

 そんな子供っぽい思い込みは歳を重ねるうちにいつか忘れてしまったんだ。


「子供っぽくて結構、馬鹿で何が悪い!!」


 俺は叫んだ、声の限り……。すぐに夜の静寂が戻ってくる。


 だけど俺の気持ちは晴れやかだった。あれほど急勾配だと思っていた坂道をするするとクリアしてしまったからだ、大人になるって悪いことばかりじゃないよな。

 今までの俺はどちらかと言えばマイナス思考だった。今日みたいにプラス思考に転じれば世の中はそんなに悪いもんじゃない……。

 今日、朝ご飯を食べることが出来た、家族といつもの会話を交わした、愛猫のムギが元気だった、他愛のない日々の中に本当の幸せがある。

 高級な洋服を買ったり、人に自慢出来る物をSNSにアップしたり、そんなことよりも輝きを放つもの……。


 自転車は坂道を登りきり目的地の建物が見えて来た。しかし俺が向かうのはそこじゃない。手前で右折して建物の脇道を進む。冷たい夜風が耳元を通り過ぎる。


 プラス思考で日々を生きて、何でもないことにも感謝の気持ちを忘れない、そのことを教えてくれたのは……。


「……未祐っ!!」


「た、拓也お兄ちゃん……!? どうして」


 俺の大切な妹、未祐、お前が教えてくれたんだ……。


「この場所に未祐が来ているって分かったの!?」


 ……こんなに暗い夜なのに辺りを明るく照らす照明は市営グラウンドの灯りだ。


「馬鹿、何年俺がお前のお兄ちゃんをやっていると思ってんだよ。未祐」


 そしてこのグラウンドは未祐のお気に入りの場所だったんだ。


「……未祐、お前がいつも自分の部屋の窓からこの場所を眺めていたことは知っていたよ。とても寂しそうな目をして見つめていた。その理由わけを俺は知りたい!! いや、正確には違うな、そのことを再確認したいんだ」


「拓也お兄ちゃん……!?」


 未祐の部屋からこの市営グラウンドは良く見える。俺の部屋からは真奈美の家の窓か見える位置のちょうど反対側に部屋は位置する。


「……もしかして、再確認ってことは、あ、あの妹フォルダの中身を見たの!?」


 未祐の細い肩がぶるぶると震える、明るい照明に照らされているので、こちらからも身体の動きが克明に見て取れた。俺はいつものように怒鳴られると思ったんだ……。


「……を見たの?」


 未祐の拍子抜けする返事に俺は驚きを隠せなかった。


「ああ、全部見たよ、……俺、泣いちまった」


「泣いたって、何で拓也お兄ちゃんが泣くのよ……。ずるいよ、昔からいつも私より先に美味しいところを持っていくんだ、学校でも家でも。そんなお兄ちゃんなんて」


 これまで未祐が堪えていたものが一気にこぼれ落ちる。


「お兄ちゃんなんて大……」「わんわん!!」


 ええっ!? 未祐が急にわんこになっちゃったのぉ!? わんわんって鳴いたよな……。


「ああっ!? 駄目だよ、急に吠えるとお兄ちゃんがびっくりしちゃうから!! わんちゃん、大人しくしてね……」


 未祐の足元にはコンパクトなケージが置いてあった。がさがさと中で動き回る物音がする。こ、この中にいるのは!?


「……未祐っ!? それはいったい何なんだ!?」


「何だって、わんちゃん以外に見える。ほらケージから出してご挨拶させるから!!」


 ケージの上面についている扉を開けて、未祐が抱っこしたのは……。


「そ、それはあのペットショップで見た白いわんこ!!」


「そうだよ、拓也お兄ちゃん、ビションフリーゼの男の子ちゃん、いまは八か月を過ぎて予防接種も済んでいるから、短い散歩も出来るんだよ。すっごいもふもふでしょう!! 頭の毛の形も丸くて綿あめみたいだし可愛いよね。でもごめんね、明日一緒に行こうって未祐と約束したのに、で先にこの子をお迎えしちゃった……」


 俺はこれまた予想外の展開に何も言えなかった。確かに未祐は俺とこの白いわんこを見に行きたいと言っていた。明日の日曜日に近郊のショッピングモールにあるペットショップに出掛ける予定だったから。


「……で、でもお前!? こんな高い値段のわんこ、どうして買えるんだ!! ま、まさか女子高生のエロい裏バイトでもして稼いだ金か!? け、けしからんぞ!! このわんこは真っ白でもふもふだけど、真っ黒なお金で買ったなんてかわいそうだぞ!!」


「……あのねぇ、拓也おにい、お宝のえっち本の読みすぎ!! 未祐がそんな真似するわけないでしょ。私が子供のころからコツコツ貯めた定期預金でこのわんちゃんをお迎えしたの、ちっともやましいことなんかないんだから!!」


 汚物を見るような視線で俺を見つめる未祐、少し普段の調子が戻って来たのかもしれないな……。


「……拓也お兄ちゃん、わんこの件はあとで家に帰ってからゆっくり話すよ。それにの件も追求したいし、でも今はあの妹フォルダのことが先!!」


「わんわん!!」


 んっ!? わんこの鳴き声と重なって未祐の話の途中が良く聞こえなかった。妹フォルダの件だって!?


「よしよし、元気だね。ペットショップではとても大人しかったから未祐は心配しちゃったんだよ……。真奈美ちゃんと店員のお姉さんと一緒に三人で君のお洋服を選んであげたのに。着せた途端に服を嫌がって一歩も歩かなくなったから。でもお外はやっぱり寒いから、毛布で包んであげるね」


 未祐のわんこに対する何げない語りかけを耳にして俺はとても驚いてしまった。

 幼馴染の真奈美と一緒にペットショップに行ったのか!? 

 本当の姉妹みたいと言われていた子供のころならいざ知らず、同じ君更津南女子に未祐が入学してからも、二人の交流はなかったはずなのに……。


「……喉が渇くといけないからお水を飲んでね」


 未祐が両腕に抱っこしていたビションフリーゼに携帯用の給水ボトルで水を飲ませた後、ケージの上に掛けていたひざ掛けの毛布を使ってわんこのもふもふな身体を包みこんだ。そして大きく深呼吸をした後でもう一度、俺の目を見据えながらゆっくりと口を開き始めた……。


「拓也お兄ちゃんは……。全部読んだんだよね、未祐の手紙」


 ああ、全部読んだよ、だから俺はこの場所にお前を迎えに来たんだ……。


「あの手紙には未祐のこれまでの想いが詰まっているの、拓也お兄ちゃんへ送る私の人生で一度きりの恋文ラブレターだから……」


 身体を毛布に包まれたわんこが不思議そうに俺たちの顔を見上げていた。



 次回に続く。

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