応報来たれり

『よう、びびって逃げるつもりかと思ったぜ』

『その言葉、のしつけて返したるわ』


にらみ合いの時間はごく僅か、事ここに至っては罵倒すらもはや余分。

 玉藻の背中に乗る冷良に対して言及はされなかったが、風の刃を放つ崇徳の目はしっかりと冷良を捉えている。手間が省けたくらいに思っているのかもしれない。

 馬鹿正直に真正面から飛んでくる攻撃などに当たる玉藻ではない。ひらりひらりと風の刃を躱しながら一気に距離を詰めようとしたところで、周囲に大量の瓦礫がれきが浮かんでいることに気付く。


『馬鹿が! お見通しなんだよ!』


 気炎を吐いているとはいえ、玉藻の身体は限界が近い。故にこその短期決戦を狙っていたが、それが裏目に出た。

 殺到する瓦礫群。大きな力をかけられているそれらは一瞬で圧壊し、駄目押しで貫いた雷によって黒焦げになって散った。

 それでも、中にいた玉藻は無事な姿を保っている。


『あん……?』


 崇徳が怪訝な声をあげたのは、玉藻が五体満足でいるからだけではない、その身体が氷によって覆われていたのが異様に映ったからだろう。

 驚いたのは一瞬、心当たりのある崇徳はすぐさま忌々しげに顔を歪ませる。


『小娘がぁ! ここは手前が入ってきていい戦場じゃねえぞ!』


 罵り合いに付き合ってやる義理は無い。冷良は玉藻を守った氷の鎧を消して、勝ち誇った笑みだけを返しておいた。

 分不相応上等、格だの何だの気にしていたら、この男に泡を吹かせるなんて夢のまた夢だ。


『やるやないの。勘定に入れるで?』

「望むところ!」


 不覚を取った玉藻だが、立ち回りを変えることはしなかった。狙いは変わらず短期決戦、ある程度は攻撃を躱すが、ここぞという所で前へと飛び込む。避けきれない攻撃はとにかく冷良が氷で防ぎまくる。

 霊脈を脱出してからこちら、どうにも調子が良い。何故か完治していた身体の傷は当然として、単純に妖力の出力が上がっている。でなければ、翼を失って弱体化しているとはいえ、崇徳の攻撃を氷で防ぐことなど出来はしなかっただろう。

 それに、危険への感知力も上がっている。危険が降りかかる場所に対して、黄泉と現世の境界を見ているような感覚になるのだ。

 当然、思い当たる節と言えば霊脈のこと。どうにもが、あそこが現世どころか幽世の常識ですら測れない超常的な領域であったことは今も強く覚えている。

 ともすれば背筋がうすら寒くなる変化を、今だけは意識的に都合よく捉える。でなければ、待っている末路は精神の摩耗ではなく肉体の死なのだから。

 吹き荒れる暴風、何度もとどろく雷鳴、飛び回る狐火に、内臓をあちこちへ振り回す遠心力。大見栄を切ったはいいものの、既に冷良も限界が近い。五感を認識する脳は悲鳴を上げ、込み上げてくる吐き気は、唇を噛む痛みで蓋をしている。

 このまま長引けば、冷良がいの一番に脱落する。守りの手を一つ失った玉藻も攻めあぐね、遠からずじり貧になるだろう。

 何か決め手が欲しい。漫然と戦ってるだけでは駄目だ。


「玉藻様、相談がお一つ」

『何や、何か用かいな!? もっと大きい声やないと分からんて!」


 雷鳴や風の音がひっきりなしに鳴っているのだからさもありなん。

 こんなことならもっと頭に近い位置に乗ればよかったと後悔しつつ、慎重に頭の方へ移動する。

 と――


『――っ、待ちぃ!』


 どういうことかと疑問を抱いた時には、身体が上に浮かんでいた。玉藻が正面から来た風の刃を下へ躱したのだ。


「あ――」


 掴んでいた玉藻の体毛が、指の隙間からするりと抜ける。


「うわぁあああああああああああああ!」 


 空中に放り出された身体が錐揉きりもみ回転し、あっという間に天地の感覚を失う。高所から落下し、何なら一度死んだも同然になった経験があろうとも、覚悟無しで空中に放り出されたら恐怖が先に来る。

 無駄だと理解した上で手足をばたつかせていると、不意に身体が持ち上げられる。助けに来た玉藻が巫女服の襟首を咥えたのだ。


『次はあらへんで!』

「申し訳ございません……」


 失態を犯した身としては平謝りする他なかった。

 とはいえ、図らずも玉藻の頭――正確には耳へ近い位置に移動することが出来た。この距離なら程々の声量でも聞き逃すことはあるまい。


「あの、お耳を拝借」


 思いついた考えを玉藻に話す。


『筋は通ってるように思えるけど……あんたは出来はるん?』


 試してみる価値はある、ただし冷良次第。玉藻の出した判断はそんな感じだろう。

 信用されていない訳ではない、だが信頼されている訳でもない。

 何かを試すことには大なり小なり危険が付きまとう。その危険を飲み込む為の一歩が足りない。

 試されている。策についてではなく、冷良自身が。


「やります」


 やれるかどうかではない、今あれこれ考えても、実行段階で不確定要素なんていくらでも出てくる。

 故に、必要なのは覚悟。何があってもやり遂げるという意志。

 その証拠に、返事を聞いた玉藻は獰猛どうもうに笑った――気がした。


『ええわ、乗ったる』


 咥えていた冷良を軽く放り上げ、頭の上に乗せて崇徳と向き合う。


『茶番は終わりかよ?』

『ちゃう、これから終わるんや』


 そう宣言して、玉藻は真っすぐ崇徳へ向かって駆け出した。


『はっ、馬鹿の一つ覚えかよ!』


 既に何度も繰り返した動きだ。崇徳は風の刃や雷で迎撃を狙う。きっとどこかでまた意表を突いた攻撃をしてくるだろう。今度もまた念動とは限らないし、冷良と玉藻が対応しきれる保証も無い。

 ならば、読み合いに付き合う道理も無し。

 冷良と玉藻がそれぞれ巨大な氷と炎を放ち、前方で衝突させる。

 直後、炸裂音と共に衝撃と濃霧が周囲に広がった。


『うおっ!?』


 ――沸騰している油には決して水を注いではならない。これは揚げ物の販売を生業とする商人たちの鉄則であるらしい。

 冷良が好奇心で話を聞いてみた商人によると、水は油よりも重いので混ぜると底に沈む。そして沸騰している油の温度は、水が沸騰する温度よりもずっと高いのだとか。

 では、沸騰している油に水を注ぐとどうなるのか?

 答えは――爆発だ。正確には、過剰な熱を受けた水が一瞬で気体に変化するので、爆発のような挙動を示すらしい。まあ、料理程度の規模だと爆発そのものに大した威力はなく、爆発で飛び散る高温の油の方がずっと危険らしいが。

 重要なのは水の爆発という現象である。

 水で出来ることは氷でも出来る。強い熱は大妖怪の狐火ならお茶の子さいさい。かくして、これほどの規模にまで拡大した爆発を引き起こしたのだ。


『はっ、こんなもんが俺様に効くと思ってんのか!?』


 しかし、高温の蒸気は崇徳の肌を焼くには足りなかった。撒き散らした霧も、暴風で吹き飛ばすことくらい訳はあるまい。

 ――だが、一瞬の目くらましとしては十分。

 背後から霧に紛れて飛び掛かってきた玉藻に、崇徳は反応することが出来なかった。


『うぎっ!?』


 崇徳の肩口から脇腹にかけて、獣の鋭い牙が深々と突き立っている。このまま噛み千切ってしまえば全てが終わるだろう。


『こ・ん・のぉ~!』


 当然、黙ってやられる崇徳ではない。上下の牙に手を掛け、腕力で押し返す。

 そこで崇徳は、太陽に紛れて空に浮かぶ不可思議な物体を目の当たりにしただろう。

 それは水にまみれた氷の球体。蒸気の爆風によって半ば融解しながらも、中にいる者を守り切った堅牢な外殻。中に誰がいるかなど、考えるまでもあるまい。

 ――冷良が提案したのは不確定要素を含む一か八かの賭けではない。目をくらまし、意表を突き、更に追い打ちまでを想定した、勝つための策。

 玉藻は自身が直接襲い掛かる直前、念動で冷良を空中へ飛ばしておいた。崇徳がそのことに気付かなかった時点で、既にこの構図は確定したのだ。

 役割を果たした氷の外殻を消し、刀を構え、切っ先を眼下の崇徳へ向ける。今の奴は玉藻に噛みつかれ、分かっていても攻撃を避けることは出来ない。冷良はただ重力に任せるまま、切っ先がぶれないように体勢を整えるだけで良かった。


『は、放せ! 放しやがれ!』


 事ここに至り、崇徳はようやく身の危険というものを感じたのだろう。泡を食って玉藻の顎を開こうとする。

 だが、必死なのは玉藻も同じ。今を逃せば次の好機がいつ訪れるのか分からないのだから。

 念動を解除された冷良の身体が落下する。勿体ぶるようにゆっくりと、やがて天から飛来する星のように。


『がぁ! あぁああああああああああ!』


 崇徳は抵抗する。迫る危機から、断罪の処刑人から、恥も外聞もなくもがく。

 もがいて、もがいて、もがき続けた末に――無駄という概念を、己の生で初めて実感する。


『お、俺様はこんな所で終わる男じゃ――』


 それが、暴虐を尽くした大妖怪の末路となった。

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