異端の来訪者

「……暇ね」


 普段は客が使う長椅子に腰掛ける小雪が、両手で頬杖をつきながら力のない溜息を吐いた。

 しぶとい残暑が撤退し、過ごしやすい気温となってきた今日この頃。それすなわち、冷たい物の需要が激減するということ。

 ならば氷菓を売りとする氷楽庵の客足が遠のくのは当然の帰結と言えるだろう。

 小雪の隣で水出しのお茶をすすった冷良は、水出し特有のまろやかな甘味をゆっくり味わい、とろけた思考で応じる。


「夏に蓄えは十分出来たんでしょ?」

「そうだけど、こうも閑古鳥かんこどりが鳴いてちゃ気が滅入るってものよ」

「僕が来た時は客いたじゃん」

「そこから一回も注文入ってないじゃないのよ」


 氷菓が売りの氷楽庵といえど、普通の甘味も提供している。

 とはいえ、普通の甘味で勝負するとなるといかんともし難い。立地が良く長年の積み重ねがある大店おおだなに、ぽっと出の妖が安い土地で営む小店こだなは歯が立たないのだ。


「これはもう、私も積極的に営業かけるしかないかしらね」


 そんなことを言った小雪は着物をはだけ、胸元を大胆に露出させた。色仕掛けで男を引っ張ってくる気満々である。



「止めてよまた氷楽庵がそういう店だって思われちゃう」

 美人で、あからさまに服を着崩したなまめかしい女性の客引き。男がそういう店だと思ってしまうのは、仕方ないと捉えるべきか下衆だと捉えるべきか。同じ男として擁護ようごしたいところではあるが、巻き込まれて舐め回すような目で身体を見られた冷良としては二度と御免である。身体の起伏が乏しい、いや絶無の冷良に鼻の下を伸ばしていた男には心の中で変態親父の称号を送っておいた。


「確かに、今はおすみちゃんがいるものね」


 お澄ちゃんとは、奉神殿で働き始めた冷良の代わりに配膳係として雇われた女の子だ。近所に住まう四兄妹の末っ子で、家計を少しでも助ける為、割が良い氷楽庵の店員募集にいの一番に食いついてきたらしい。仕事ぶりは真面目で働き者、今も店主の小雪が長椅子に座ってだらけているというのに、自分は立っているのも仕事の内だと固辞して立ち続けている。基本的に人使いの荒い小雪が身を案じる程度には良い子だ。


「……僕は?」

「大丈夫、お触り以上に進もうとしたら氷漬けにするから」


 その気遣いは優しいのか厳しいのか。そこはかとなく漂う上下関係を憐れまれたのか、お澄ちゃんには苦笑いされてしまった。

 と思ったら何かに気付いたような表情を浮かべる。


「あの、店長。私も冷良ちゃんみたいに派手な衣装で客引きするべきなんでしょうか?」

「ぶっ!」


 冷良の脳裏に嫌な記憶の数々が蘇る。


「駄目よお澄ちゃん。あなたはうちの従業員だけど、それ以前に他所様から信頼をもって預かった娘さんなの。そんな恰好なんてさせたら親御さんに顔向け出来ないわ」

「他所に顔向け出来ないような恰好を僕にさせてたの!?」


 至極真っ当な大人らしい物言いをしても、過去の所業は残念ながら真っ当とは言えまい。


「何よ、あなたいつも言ってたじゃない。もてたい、目立ちたいって」

「少なくともあんな格好で目立ちたいと思ったことは一度も無いやい!」


 欲しいのは魅力で惹きつけた異性の視線であって、色物衣装で吸い寄せた奇異の視線ではない。男の好色な視線は絶対にお断り。

 小雪はやれやれと言いたげに肩を竦める。


「全く、我儘わがままなんだから」

「至極真っ当な要求だと思うんだけど」

「昔は大人しく着てくれてたじゃない」

「子供だったから服装に頓着とんちゃくしなかったんだよ」

「ああ、冷良が近所の悪戯いたずら小僧共を次々とたぶらかして、大人から『魔性の冷良ちゃん』って恐れられてた頃が懐かしい……」

「待ってそれ僕初耳!」


 単なるじゃれ合いだったつもりが衝撃の新事実!


「あなた昔から男子とよくつるんでたでしょ?」

「そりゃあね」


 遊ぶならやはり同性の方が気楽だ。


「距離感も近かったわね?」

「そう……なのかな?」


 自分ではよく分からないが、少なくとも話しかけるだけで怖気づいたような記憶はない。


「互いの身体を触ることもよくあったわね?」

「普通でしょ?」


 女子がどうだかは知らないが、男子なら格闘ごっこや相撲で揉みくちゃになることなど珍しくも何ともない。

と思っていたら、何故かお澄ちゃんがお盆で口元を隠し、真っ赤な顔で戦慄していた。


「ま、魔性の冷良ちゃん……」

「何で!?」

「男引っかけるならしっかり繋ぎ止めて常連にするのよ」

「やらないよ! え、何!? 僕の認識やばいの!?」

「無理して直そうとしなくていいのよ、あなたはそのままが一番なんだから……売上的に」

「今何か付け加えたよねぇ!?」


 今後の生活における身の危険を感じて必死に詰め寄る冷良だが、明らかに面白がっている小雪はのらりくらりと気のない受け答えばかり。

 だが、そんな意地の悪い笑みがとある方向へ向くと、怪訝けげんそうな表情に変わる。

 冷良もつられて小雪の視線を追ってみると、不自然な人波の動きと遠くからでも分かるほどかぶいた服装の人影が視界に入った。

 人影はきょろきょろと首を巡らせながら、ゆっくりとこちらへ近づいて来ている。何かを探しているようだが、周囲の住民たちは波が引いていくように離れてしまう。

 あまりに目立つ格好から厄介事の気配でも感じているのだろうか? 花の都の民はそこまで狭量ではない筈なのだが……。

 そう思っていた冷良だが、人影が徐々に近付いて来るにつれて住民たちの気持ちを察していった。

 でかい。まだ離れているのに、その存在感は既に大人の男が傍にいる時と大して変わらない。近くにいる大人たちがまるで小人のようだ。

 そして天高く屹立きつりつする二本の無骨な角。

 鬼の大男だ。

 とはいえ実際のところ、人間ではなく鬼として見るならば小柄な部類だ。やや窮屈きゅうくつかもしれないが人間の生活に混ざることも難しくはあるまい。

 ただ、そのあまりにごつい肉体と鋭い眼光が、和を良しとする社会の営みと致命的なまでに噛み合っていなかった。触れた瞬間にその剛腕で握り潰されてしまうかのような、危うい近寄りがたさが滲み出ている。

 が、修羅場を潜り抜けてきた冷良からすればただの見慣れない珍客、興味の赴くまま大男を凝視していると、不意に目が合ってしまった。そのまま大男はこちらへ向かって歩いてくる。

 間近で見るとやはりでかい。背丈は七尺(約二二〇センチ)を超えているのではなかろうか? 手足など冷良の首よりも太い。羨ましい。

 そうして呑気な感想を抱いていた冷良だが、隣から後じさる足音が聞こえて我に返る。


「あ……ぅ……」


 そうだ、自分が平気でもお澄ちゃんは平気ではない。ただでさえまだ小さい子供なのだ、七尺近い大男など巨人とそう大差はあるまい。

 すぐさまお澄ちゃんの盾になろうとしたところで、同時に小雪も立ち上がる。


「うちに何か御用?」


 大男の視線が小雪に移る。常人であれば恐怖で失神しそうな眼光を前にして、小雪はむしろ喧嘩上等と言わんばかりの雰囲気。幼かった冷良を連れてあちこちを旅していた彼女も、ちょっとやそっとでは怯まない。

 大男がおもむろに口を開く。


「一つ尋ねる、この都の偉い奴にはどうすれば会える?」


 思いの外、と感じるのは失礼かもしれないが、大男の口調は落ち着いたものだった。


「偉い奴って……ざっくりし過ぎよ。相手の名前とかは分からないの?」

「知らん」

「……質問を変えましょう。あなたはどこから、何の用で花の都にやって来たの?」

「妖の都より伝言を伝えに来た。相手に偉い奴をと指定されている」


 妖の都。

 この世界で唯一、神ではなく妖を頂点とした都。住民は殆どが妖であり、人間とは違った社会を構築している――という噂だけなら聞いたことがある。

 というのも、各地を旅していた間、小雪が何故か妖の都には寄り着こうとしなかったのである。今まで特に理由を気にしたことは無かったが、妖の都という単語が出てきた瞬間、小雪が目を微かに細めたのは少々気にかかる。


「差し支えなければ内容を聞いても?」

「……忘れた」


 やる気あるのかこいつは。


「そういえば、お前はどうせ忘れるだろうからと書状を持たされていた」


 と、大男は懐から書状を取り出した。無造作に指でつまみ上げてぴらぴらと揺らしており、明らかに適当な扱いだ。

 男が小雪に書状を差し出す。


「私が見てもいいの?」

「他の者に見せるなとは言われていない」

「じゃあ遠慮なく」


 いいのかそれで。巫女としての教育も受けて価値観が人間の常識に寄っている身としては、色々と心配せずにはいられない。

 小雪は書状を流し読みして、すぐに勢いよく閉じてしまった。


「……見なきゃ良かった」


 目を覆って天を仰ぐ様を見る限り、小雪にしては珍しく心の底から衝撃を受けたようだ。


「大事なの?」

「すっごい大事ね。私たちの判断で勝手していいものじゃないわこれ。さっさと幕府に放り投げるのが吉ね。はい」


 小雪から書状を受け取る。


「分かった」


 小雪は冷良をよくからかうが、下らない嘘を付いたりはしない。彼女が厄介ごとと判断したのなら、大人しくしかるべき筋へ連絡を入れるべきだろう。


「じゃあ書状を僕の上司に渡してくるので、ええと……お名前は?」

「酒呑童子」

「げほっ!」


 むせたのは小雪だ。冷良は開いた口が塞がらない。

 酒呑童子。世界に三体しか存在しない、個体として名をはせた大妖怪の一体だ。一説にはあらゆる鬼を統べる頭領であり、神々と同等の力を有しているのではないかとも噂されている。少なくとも、妖でその名を知らぬ者はいない。

 そんな男がただの伝者? 受け取った書状が一気に重くなったように感じる。


「と、取り敢えず上にしてくるので、酒呑童子さんは少しだけここでお待ちを……」

「ちょっと!」


 小雪が肩に腕を回してきたと思ったら、そのまま後ろへ向けてしゃがまされる。


「この男をここに置いてく気!? やめてよ客が寄り付かなくなるし、何よりお澄ちゃんが耐えられないわ」

「あ……」


 大男もとい酒呑童子の放つ威圧感は凄まじい。小雪が矢面に立ったとはいえ、ただの少女であるお澄ちゃんは今も泣きそうに――いや、泣きながら全身を震わせ、けれど決して目立つまいと必死に気配を消している。この状況が続けば冗談抜きで精神に異常をきたしかねない。


「けどなあ……」


 冷良の唯一の上司である幹奈は今日も奉神殿で働いているのだが……この男を奉神殿まで連れて行ってもいいものだろうか?

 いや、駄目だろう。ただの伝者とは言いつつ、この男どうにも得体が知れない。

 もし万が一、こいつが奉神殿で急に暴れでもしたら? そうなった時に咲耶姫と散瑠姫を守り切れるか?

 否だ。噂に聞く酒呑童子の力が本物なら、自分と幹奈の二人掛かりでも歯が立たない。巫女として、女神の身を危険に晒すことは絶対にあってはならない。

 なら、奉行所ぶぎょうしょにでも駆け込んでみるか? この手の政治が絡みそうな話は本来巫女ではなく幕府の領分だ。

 が……冷良は幕府への繋がりを持っていない。巫女衆とは比べ物にならない複雑さの幕府を相手に、巫女という身分がどれだけの説得力を持たせられるか。最悪今日中に上層部の耳まで届かないなんてことも。その場合この男の扱いはどうすべきか……考えたくもない。本来こういうことで悩むのはお偉いさんの役目ではないのか。

 奉神殿は駄目、奉行所も駄目、そしていつまでもここに留まっているわけにもいかない。八方塞がりだ。


(んあ~!)


 天を仰いで頭を掻きむしりたくなるのを誰が非難出来ようか。


「ん……?」


 見上げた先、遮る物の無い青空の下で冷良たちの頭上を横切る影が一つ。

 鳥ではない、烏天狗からすてんぐだ。肩に大きな鞄を下げているのを見るに郵便屋の者か。

 ――瞬間、冷良に天啓てんけいが降りる。


「冷良?」


 急に立ち上がった冷良に小雪が怪訝そうな声を上げるが、今は説明している暇が無い。

 空へ腕を伸ばし、開いた手の先に拳大の氷塊を生成、狙いを定めて――発射。頭上へ放たれた氷塊は、狙い違わず空を飛んでいた烏天狗の顔面を掠めていった。

 まさかの不意打ちに仰天した烏天狗は、羽ばたくのも忘れて落下しそうになるも途中で立て直す。地上で両手を振る下手人に気付くと、怒りの形相(?)で降りてきた。


「いきなり何しやがんでいばーろー! もし羽にでも当たったらどーしてくれるんでい!?」

「ごめんごめん、急ぎだったからつい。一応当てないように狙ったよ?」

かすってんだよ! ほら、羽!」

「まあまあ、結果的に直撃はしなかったんだし」

「手前が言うことじゃねーだろ!?」


 ごもっとも。


「ったく……んで? 一体何の用でい? 俺ぁまだ今日の配達があんだ、話は早目にしてくれい」


 ねちねちとしつこく引きずらない。こういった竹を割ったような気質の者が多いのは妖の良い所だ。


「実は急ぎで奉神殿に届けて欲しい物があるんだ」

「あん? そういうのは店舗に渡してくれよ。宛先が花の都内でお急ぎ便なら、遅くても半日ありゃあ――」

「今! すぐ! 届けなきゃなんだよ!」

「……配達業にも色々と決まりがあんだ。特に、配達員は個別で勝手に依頼を受けちゃあなんねー」

「そ、そこを何とか……駄目?」


 小雪直伝・上目遣い! こてんと首を傾けるのが重要。


「あん? 首でも痛ぇのか?」


 そういえば相手は烏だった!


「うぅ……」


 困った、色仕掛けが通じないとなると後は賄賂わいろくらいしか思いつかない。とはいえ、良い男が賄賂なんてせこい真似をする訳にはいかない。いや、事は小雪が厄介事と断言するほどのもの、むしろ主義を曲げてでも最善を尽くすことこそが良い男なのだろうか?

 あーでもないこーでもないと悩む冷良を見かねてか、腕を組んで黙っていた烏天狗はやれやれとでも言いたげな溜息を吐いた。


「奉神殿宛てって言ったか、よっぽど大事な用事なのかい?」

「……凄く」

「あーったく、そんなしょぼくれた顔見せんなよ、そういうの苦手なんだよ俺ぁ……仕方ねーな、おら、届け物寄こせ」

「え? さっき駄目だって言って――」

「野暮なこと言わせんじゃねーよ! 届けるのか届けねーのか早くしろ!」

「あ、う、うん! 小雪さん、紙と筆!」

「はいはい」


 小雪が店内から持って来てくれた紙と筆を受け取る。

 詳細を説明している暇はない。酒呑童子、妖の都、合流地点など要点だけをさらっと記して烏天狗に渡す。


「お願い」

「任せな、俺にかかりゃ奉神殿なんざひとっ飛びよ」

「信用してるよ。あ、そうだ、お金お金……」

「いらねえよ。もしばれたらえらい目に遭いそうだし、何より宵越よいごしの銭は持たねえ主義だ。代わりに今度会った時に飯でも奢ってくれりゃあ十分でい」

「おお……格好いい」


 細かい金銭でけちけちしない。小雪なら鼻で笑いそうだが、無骨で男らしい生き様には惹かれるものがある。

 冷良の感想で烏天狗は照れたように頬をかき、羽をはばたかせて宙に浮かぶ。


「そんじゃ、後は任せな!」

「はーい、ありがとー!」


 奉神殿へ向かって飛び去る烏天狗へ両手を振って見送り、酒呑童子に向き直る。


「という訳で、少し僕について来てもらえたら嬉しいなーと……」

「分かった」


 待たされた挙句、更に歩くということで機嫌を損ねていないか不安だったのだが、良くも悪くも変化の無い表情からは内心が全く読み取れない。妖でここまで感情が表に出ない輩は非常に珍しい。

 お澄ちゃんのことは小雪に任せ、幹奈との合流地点に向かう冷良だった。

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