第49話 朕、再起す
戦乱は過ぎたものの、シンハ王国のウォードの町は未だに混乱のさなかにある。朕たちは民衆の涙を前に座して果実を待つわけにはいかなかった。
「モモ、こっちは軽症だ。化膿止めを渡してくれ」
「受諾。残りわずか故、慎重に使用求む」
「任せておけ。ほらお嬢ちゃん、お兄さんに足を診せてくれないか」
泣きじゃくる少女のスネに傷薬を塗り、アニエスとマリカが煮沸して乾燥させた包帯を巻く。
ヴィレム傭兵団改め、ローエン・クルセイダー。なんとも中二的エッセンスの濃い部隊名だが、猫の手も借りたい今は、手足となって動いてくれる人材は貴重だ。
「ハゲのおじちゃん、ありがとう!」
「ハ……ぐむ、ああ、気にしないでくれ。おにいさんの言いつけ通り、包帯は毎日変えるんだぞ」
「うん! お礼っ」
朕の頭部。不毛の荒野に女神の口づけがされた。報酬としては十分すぎる。朕が頑張る理由は未来ある子供たちの命をつなぐことだ。
その使命の前には、頭髪の有無など些末なことである。
「神様、こちらに。苦しんでる男が放置されてます」
「神じゃないっての。まあ問答しても仕方がない。どれ、診せてみろ」
せき込んでいる初老の男性が、硬い床の上で苦しみの声をあげている。朕は他の者を下がらせると、男性の診察にうつった。
「眼球に異常なし。手足に壊疽もない。ふむ、痰が出ているな。発熱も少々……か」
一般的な所見では肺炎。だが朕は医者ではない。故に鑑定魔法を使う方が確実だが……さて。
朕が壁上から飛び降り、鬼のような速度で帝国軍に突っ込んでいったことは知られている。今更魔法を使っても問題はないだろう。朕は自分の利便のために使用を封印していたのだが、こうして苦しむ無辜の民を前にしてまで貫こうとは思わない。
『鑑定—―病状把握—―』
全身が発光するのがネックだな。周りにいた者が一斉に祈り始めるのが非常に辛い。
「やはり肺炎か。敗血症まではいっていない。まだ軽傷の範囲か。ふむ、レンサ球菌……細菌性だな。薬も重要だが、必要なのは生活環境と栄養状態の改善だろうな」
必要なのは抗生物質。それもペニシリンだ。
南大陸で薬効成分のあるアオカビを培養するのは、砂漠でダイヤの粒を探すレベルで難しい。
朕は一つの判断を強いられている。
結論から言おう。ペニシリンはある。朕は帝国から持ってきている。創造神から授けられた収納魔法に、およそ役に立つものは入っているからだ。
朕は悩む。南大陸の科学技術の発展に、この手が介入をしてもよいものかと。
本来であればこの男性の命運は尽きている。死すべき運命なのは避けられない。
南大陸の舵取りは、南大陸に住まう人々が担うべきであり、他者に依存して得る安楽は長続きしない。
さりとて、救える命を見捨ててもよいのか。
朕は性善説の信奉者ではないが、目の前にいる哀れな者を素通りしていくほどの冷血漢にはなれない。
「おとうさん……死なないで……お父さん……!」
「あなた……ああ、神様、どうか……」
一人救えば切りがない、と人は言う。
目の前にいる者を救い、他者を救わないのは偽善であり矛盾だと。
朕はその考えは間違っていると思う。本来他者に手を差し伸べるのは自由意志であり、なんら義務を背負っていない者は助けたい人物を選べる立場にある。
偽善で結構である。
朕は、目の前にいるこの男を救いたいと思った。だから助ける。
それが朕の自由な決断であり、誰も嘴を差し込むことはできない。人に冷水をかける暇があるのであれば、貴様が救ってやればよかろう。
『収納魔法』
空間に現れる暗渠に手を突っ込む。
うむ、これぞ。薬瓶と注射器、そして腕を縛るゴムとアルコール消毒だ。
やってやろうではないか。
技術流出、大いにするべし。作れるものならば作るがいい。
「モモ、来てくれ。これから俺の持つ特効薬を見せる。次にモモに研究してもらいたいものだ」
「新薬……吾輩感激。ぜひ見学望む」
「病に苦しむ人々よ、我が前に集え! 今から薬を分配するぞ!」
溢れる辛苦を飲み込めずして、何が皇帝か。何が聖者か。
朕の大盤振る舞い、とくと味わうがいい。
――
一か月経過した。
もう起き上がるのもだるい。マジで疲れた。
最後には注射器を打つ手が、ぷるっぷる震えてたしな。まさか町中の人間が殺到するとは思わなんだ。どさくさに紛れて兵士や、隣町の奴まで来てたぞ。
ちなみに注射器は使用後に完全洗浄魔法で、新品同然にしている。回し打ちはしているが、不潔ではないぞよ。
そしてペニシリンも品切れ。看板だ。あとは南の人が頑張ってくれることを期待しよう。
夜中に発熱があれば往診に行き、夜明けに吐き気があれば診療に向かう。
可能か不可能かで言えば、朕は寝なくても生存できる。だが疲れるのは常人と変わらない。
夜中に呼び出されて、寝るまで歌を歌ってくれとかほざいた兵士は、体を縄でぐるぐる巻きにして、家の屋根から吊るしておいた。
南大陸人はちょっと元気になると調子こく癖があるらしい。今後の統治者は教育に苦労することだろう。
「モモ、マリカ」
「すー。すー。」
「うへへへへ、ねずみうまぁ……すぴー。すぴー」
マリカがモモの服の袖をもぐもぐと嚙みながら、二人ともぐっすりと寝ている。
キサラやシャマナの罰当たり組も獅子奮迅の働きをしてくれた。流石は聖職者、患者からの信頼度が段違いで高い。
アニエスは最初戸惑っていたが、地味な仕事を黙々とこなしてくれた。機材の準備、包帯の煮沸、清掃活動、食事の準備。流石は近衛騎士よと感心するものだ。
「ローエン様、ラミレス将軍と町長がお呼びです。是非とも庁舎へお越しくださいとのことで」
アルバート・ヴィレム。すまんな、こき使って。お前は人生の中で、最も人命を救った一か月になったのだ。誰が褒めずとも、朕が称賛しよう。
「今行く。この子らを起こすなよ、これまでよく働いてくれたからな」
「ええ、眠っている娘さんは世界の宝です。無粋な輩は近寄らせないよう警護しておきますよ」
――
「我らが神よ、お呼びだてした無礼を平にご容赦くださいませ」
「気にするな、今更だ。で、どうした?」
「
スタンピード、とな。異なる生活習慣を持つ魔物が徒党を組み、何者かに
組織されたかのように人間を襲う現象だそうだ。
通常に言語として出てくるのだから、南大陸では過去何度か起きている災害の一つなのだろう。
「わかった、みなまで言わなくていい。俺たちにも参戦しろってことだな」
「神様のお手を借りるは不敬でございますが、なにとぞ迷える人民をお救いください」
「そうへりくだられると調子狂うからやめてくれ。普通に話せ。結論から言うとOKだ。ただし詳細な情報を先に提出してくれ」
「斥候の報告では、オーク種、ゴブリン種を中心に、その数約3千と。現有戦力では対抗する術がありません」
「大規模にもほどがあるな。他の冒険者や兵士、近隣の町はどうだ?」
「可能な限り救援要請を出していますが、期待は薄いかと。どこも自分の町を守るのに必死ですからな」
兵力分散の愚を犯すか。敵はまとまった機動兵力を出してきてるのだ。こちらも最大戦力でぶつかるのが定石というに……。
仕方がない。アノ手を使うか。なるべくなら避けたかったが、町が瓦礫になってしまってはこれまでの頑張りに意味がなくなってしまう。
「一つ頼みがある」
「我々が生き残れば、なんでもお応えしましょう」
朕はその言葉を待っていたよ。
「冒険者のランクをCに上げてくれ。この戦いが終われば、俺は冒険者として旅立つ。多少箔漬けしてくれてもいいだろう?」
「あなたという方は……まったく無欲ですな。いいでしょう、シンハ王国の兵を預かる身として、冒険者ローエン・スターリングの門出を祝いましょう」
「そうこなくてはな。よしよし、やる気がもりもりわいてきたぞ」
南大陸は朕を飽きさせることを知らないらしい。
空前規模の魔物との戦闘か。よろしい、これこそがファンタジーの真骨頂よ。
朕は討滅の剣を執る。我が刃、折れるものならば折ってみよ!
抜き放ったサーベルがボキリと折れる。
あ、逝った。
「すまん。何か武器貸してくれんか」
「えぇ……」
だ、大丈夫大丈夫、朕すごく頑張るから。ね、ね? 貸してプリーズ!
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