第36話 リーゼル王国王都にて

 朕の抜け毛は行くところまで行ってしまったようだ。どうも馬に齧られた際に、根こそぎ持っていかれたらしい。

 痛みが少なくて済んだのは、もう毛根が死滅していたからだろう。創造神様の加護はなぜ決定的敗北をお許しになるのか。天界の基準が朕にはわからないよ。


 リーゼル王国の王都リシアンまでの道中、約一名を除いて誰も朕の頭を見ようとしなかった。気持ちはありがたいけど、伝わってくるんだよね、こう配慮してますよ的なオーラが。


「ローエンローエン、ちょっと馬車のペース早くないっすか?」

「そうか? いや、特に急がせてはいないんだが……気をつけるよ」

「あんまりハゲしくすると、お馬さんたちが可哀そうっすよ」


 おい狐。にやついてるの知ってるんだよ。さりげなくセンテンスに含ませて、朕を煽りたいんだろうがその手には乗らんぞ。これでも北を統べた皇帝ぞ。多少の論戦や罵倒は受けた年月が違うわ。


「安全運転で行く。用がないなら荷台で休んでていいぞ」

「ちぇ、面白くないっすー」


 相手にするとつけあがるからね。こういうのは言わせておいてスルーするのが一番効果的なんだよね。

 その後も散発的にマリカがおちょくりにきたが、すべて無視して通した。こんなん付き合ってられんよ。


 流石に王都近くになると、逃げてきた住民や行商人が増えてくる。流行り病が蔓延しているのだから、一刻も早く立ち去りたいのだろう。みな足早に移動している。


 馬はほとんどいないことから、この二頭仕立ての馬車は相当に高位の人物が乗っていると思われているのだろう。みな恐ろし気な様子で道をあけてくれる。

 なんかすいません。朕たちは破戒僧とカスタネット楽師の集まりなんですよ。中身はとても見せられないね。


 さて、人が多いということは当然トラブルも多く発生する。

 車軸が折れた手押し車の前で立ち尽くしている人や、道端で子供を預けようとしている母親もいた。


「お願いします、子供だけでも連れていってください!」

「誰か……お父さんの足がつぶれちゃったよぅ」

「しっかりしろ、ここで産むと踏みつぶされるぞ」


 胸が苦しい。彼らは疫病さえ発生しなければ、今頃は王都で日常を謳歌していたはずなのだ。朕たちにできることは何もない。一人を救えば全員に手を差し伸べなくてはならなくなる。

 ジンの仕業かどうか断定はまだできないが、病を食い止めることこそが朕たちのなすべきことぞ。

 物事を成すときは痛みが生じる。大事の前の小事は構っていられないという人間もいるが、朕は1700年経っても割り切ることはできなそうだ。


「幌を開けるなよ。一人乗せれば次々と乗ってくる。俺たちの目的を忘れるな」

 自分に言い聞かせるように、パーティーメンバーに強く伝えた。聖職者組は耐えきれないのか、ひたすらに祈りの言葉をささやいていた。

 

 門番もおらず、放置されている城門とは恐れ入る。誰何の声もないことから、かなり深刻な具合であろうと予測できた。

「ペストマスクは持ってきてるな。全員つけろ。見た目的には人間やめちゃった系になるが、多少の防疫効果はあるだろう」


 病の実態がどのようなものかはわからない。中世のペストマスクなど、薬局で売ってる紙マスク以下の性能かもしれないが、ないよりマシと考えよう。いきなり血や体液が飛び散って、眼球に入って感染なんてことになったら洒落にならん。


 町は死体の山。


 ではなかったよ。

 あれ、意外にきれいだね。もっとこう黒死病よろしく、手足が壊死した体があちこちに転がってると思ってた。


「これのどこが疫病なんだ? 人通りがほとんど無いことを除けば、別に異常はないようにも思えるが」

「どうなのでしょう、まずは教会に行ってみましょう。緊急時は施薬を行う場所になりますので、ローエン様が求める答えがあるかと」


 キサラの言にみな頭を縦に振る。なるほど、南大陸では病院とか診療所ではなくて、教会で対処するのが普通なのね。信仰の力とか、民間療法で治すんだろうか。


「了解だ、行こう」

 闊歩する馬車を、三階建ての石造りの住居から、ちらりと除いてくる目が光っている。ロックダウン大失敗の王都では、誰もが疑心暗鬼になっているのだろう。


 ジェリングにある大聖堂と比較して、リーゼル王国の教会はとても質素であった。建物自体も小さく、造りも木造だったりレンガだったりと、ちぐはぐだ。

 旧ディアーナ教圏なので、キサラとシャマナを前面に出せばある程度の自由は利くだろう。忙しいところ申し訳ないが、ちょっと朕にも事情を教えてほしい。


「異端審問官、キサラ・シャルロウです。ここの責任者はいらっしゃいますか?」

「審問官様……たしか廃教をされたはずでは……いえ失礼しました。すぐに司祭様をお呼びしてきますので、少々お待ちください」


 流れる汗をぬぐいながら、シスターたちが忙しそうに走り回っている。床には所狭しと患者が寝かせられ、一様に苦悶の表情を浮かべていた。

「致死率は低いが、ダメージは深そうだ。ミィ、シャマナ、モモ。余計な場所に触れるなよ」

「へへへ平気だし。ざこに言われるまでもないから」

 駄目そう。うーん、マリカと一緒に馬車の見張りに残してきた方がよかったかもしれない。13歳にこの光景はきついものがあるか。


 やがて奥から恰幅のよい初老の男性が現れた。ゆったりとした黒の司祭服に、聖職者が被る丸い帽子。つい先ほどまで患者を診ていたのか、腕まくりをしていた。


「お待たせしました。当教会を預かっております、ヘルマンと申します。まさかご神体に直接浴する栄誉を与えられるとは思いもよりませんでした」

 あ、朕の話はもう出回ってるのね。まあいいさ、この際なんとでも呼んでくれ。この事態を解決するほうが先決だから、いちいち突っかかるのはよくない。


「ローエンです。初めまして。早速ですが本題に入りましょう、この病は正体がわかっているのですか?」

「いえ、皆目見当がついていません。高い発熱と咳、嘔吐、それから全身に赤い点のようなものが現れます。幸いにして死亡者は少ないのですが、それでも50名に1人は亡くなります」


 麻疹ましん……だろうか。いや、微妙に違うな。

 麻疹だとすれば南大陸の栄養状態から考えて、もっとガンガン死者が出ていてもおかしくない。近くにいる患者を見てみると、確かに赤い麻の実のような発疹が出来ている。


 接触感染、飛沫感染、そして空気感染。

 あまりにも倒れて寝ている人が多いことから、そのどれもが考えられる。朕は病原菌に耐性があるので大丈夫だが、他のメンバーをここに置いておくのはまずい。

 おそらくは看護している司祭やシスターたちもそのうち罹患してしまうだろう。


「キサラ、シャマナ。ミィを連れて馬車まで戻ってくれ。マリカから煮沸した水をもらって石鹸で手を洗ってから乗り込んでおいてほしい」

「ですがローエン様、この状況を見過ごすというのは、あまりに酷で……」

「今のところできうることは何もない。モモ、危険地帯に突っ込ませて悪いが、俺を手伝ってくれるか」


 肯定、とうなずくモモ。素晴らしい覚悟だ。朕もこれは気合いれんとね。

「未知の病原が相手の戦いだ。自分の身の安全を最優先にして、なるべく感染者と接触しないようにしてくれ。ペストマスクはグロいが、きちんとつけておくんだぞ」

「了承。まず患者の血液必要。解析する」


 教会の端の一つを占領して、馬車から次々と調合機材を運び込む。

 見えぬ相手には剣は振れない。これからは気力とひらめきの勝負になるだろう。


「では始めよう。王都洗浄大作戦の開幕だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る