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  • AI裁判について本当に考えさせられる作品でした。これは私の個人的な考え方ですが、人間は手段と目的をとり間違えてしまう生き物だと思っています。私はAIがいくら優秀だとしても、これが道具であって、神のように全能ではないと思っています。そんな感じで、無人兵器の倫理問題を書いた小説も書いてたり、、すいません、本当に個人的な考えですが。法は人間が作って、人間が運用するものであるので、AIに運用させてしまうのは、それは違うと思います。ですが、その人間に情が生まれるのは、それで良いと思います。だって、AIではなく、冤罪があれば、人間が責任をとれますが、AIには責任は取れません。だって、冤罪が存在しないとAI自身が言ってしまえば、それを証明できるのは、AIだけですから。最低限、2023年現在は、人間が裁判を行っていますし、過去の事例で、凶悪犯罪の基準が生まれたりしています。しかし、こんな未来が来てもおかしくないのが怖いところです。最終的な結論ですが、私は体験型感情尊重裁判を選ぶと思います。興味深い作品をありがとうございます。

    作者からの返信

    ご感想ありがとうございます。
    この作品は、理論をかなり飛躍させ、ある程度コメディ調に書いていますが、そういった問いかけとして受け取っていただけたことを非常に嬉しく思います。

    岩二光さんのご意見は、ごもっともです。人間が作った法である以上、責任を持って人間がそれを実行するべきでしょうね。きっと「AIも人が作ったものだから間接的には人が裁いている」と宣う輩もいるでしょうが、AIに任せてしまうべきではないのでしょう。
    しかし、作中ではAIに対する嫌悪感を覚える余り、感情を優先しすぎる人達が出てきてしまいます。その果てが、オオヌマの無罪であり、ササハラが無罪になる可能性です。私は、これが正しいことだとは思いません。

    AIというシステムへの極端な嫌悪が、逆に人間を人間でなくしてしまう。まさに本末転倒。感情の暴走と言っても過言ではありません。

    だが、この未来では、どちらかを選ぶしかない。

    岩二光さんが恐れているように、未来を迎えるのならば、この極端と化した二択が我々に立ちふさがらないことを祈っています。

    貴重なご意見ありがとうございました。