第3話

 学校からそんなに遠くないところに、白雪さんの家があった。

 それより女子の家に行くのは久しぶりだから余計に緊張してしまう……。もう俺が心配しているようなことは起こらないって知っているけど、それでも人の家に入るのはちょっと怖いっていうか……。俺にはまだ慣れていないことだった。


「誰もいないから、緊張しなくてもいいよ。雨霧くん」

「はい……」

「私の部屋は二階だよ」


 俺はお邪魔しますと言いながら、階段を上る白雪さんについて行った。


「ごめん……。ここ、私の部屋だけどあんまり使わないからベッドに座ってて」

「はい……」


 床にはたくさんの本が置いていて、白雪さんはすぐ黒の扉を探す。

 机の上にも、その下にも、全部本だらけでこの人がどれだけ本が好きなのかよく分かる部屋だった。その中にはわけ分からないタイトルの本もたくさんあったけど、人それぞれ好みが違うからさりげなく白雪さんのベッドに座った。


「あっ……、見つけた。ちょっと埃が溜まってるけど……」

「いいえ……! あ、ありがとうございます! 本当に……助かりました」

「あら……、そんな顔も作れるんだ。雨霧くん」

「えっ……?」


 そばに座る白雪さんがまた俺の前髪を後ろに流す。


「ふーん」

「ど、どうしましたか……?」

「ありがとう……だけ?」

「す、すみません……。ほ、本! 貸してあげます! 本なら……けっこう持ってるし。好きなジャンルとか……、ありますか?」


 そして二人の間に静寂が流れる。


 白雪さんがずっとこっちを見てるから、何も言えなかったけど……。

 早くここから出ないと……、この雰囲気に巻き込まれてしまうような気がした。てか、そう考えていても……白雪さんに触れてるままだから体が思い通りに動かない。この状況は……、まるであの時と一緒だ……。


 緊張しすぎて、俺は下を向いたまま白雪さんから目を逸らしていた。


「ううん……。私知りたいことがあるけど……、それを教えてくれない?」

「はい……? それってなんですか? 知っていることなら……」

「雨霧くん。人が話す時にはちゃんと目を見るのよ」

「はい……」


 いや……、白雪さんはそんな人じゃないから……。

 何も起こらない。何も……起こらない。


「そう。まずは教えてくれるのかくれないのか、それから聞きたい」

「俺にできることなら……」

「うん。それは雨霧くんができること」

「なら、教えてあげます……」

「うん」


 そう言ってから俺をベッドに倒す白雪さんに、すぐあの時の悪夢を思い出した。

 体が動かないほど怖くて……、俺は目の前の白雪さんを見つめるだけだった。

 彼女は一体何が知りたかったんだろう……?


 そしてさっと手をあげる白雪さんに、俺のトラウマスイッチが入ってしまった。


「ご、ごめんなさい……。ごめんなさい……。なんでもしますから、殴らないでください……」

「えっ……。いや……、そんなことしないけど……? どうしたの?」

「あっ……、あの……」

「不安なの? 雨霧くん」


 他に……、何か話題を……。


「その、どうして上巻だけ図書館で借りたんですか?」

「コーヒー溢したから。そして私が聞いてるんでしょ? 不安なのって……」

「よく分かりません……。か、勘違いでは?」

「なんでもしますから……、殴らないでくださいって…………。話さないと、殴られるよ? 私に殴られたい?」

「い、いいえ……。すみません」

「人が話す時には目を見るのよ」

「…………はい」

「ふーん。まずはやってから考えよう……」

「はっ———」


 そのまま白雪さんに、白雪さんのベッドでキスをされてしまった。

 なんでこんなことをするのか、それを聞く暇もなく……。積極的に攻めてくる白雪さんの前で俺は何もできず、ベッドの上で彼女とキスをしていた。それは温かくて、ぬるぬるする舌の感触だけが感じられる一時だった。


 抗えない。

 白雪さんに襲われてしまった。


「ふーん。こんなことだったんだ……。けっこういいかも」

「…………」

「雨霧くん?」

「は、はい……」

「教えてくれてありがとう」

「何をですか?」

「ファーストキスの味」

「はあ……? なんで俺とそんなことを……!」


 それより何がファーストキスなんだ……。

 体の姿勢も舌の動きも……、どうみてもそれは初めてじゃなかった。


「…………」


 人差し指でさっと唇を拭いてくれた白雪さんは、いつの間にか俺の体に乗っかっていた。


「私、雨霧くんならできるんじゃないのかなとずっとそう思っていたよ。そしてきっかけがあったらいいなと思っている時、偶然雨霧くんのノートを見ちゃったから」

「ノート……、ですか?」

「そこに、読みたい本がいくつか書いていたから……わざわざ黒の扉を借りたのよ」

「そんな……、俺じゃなくても。男はたくさんいるはずなのに! どうして!」

「私も女だから、惹かれる人にこんなことをするのよ……。どうしてなんか聞いちゃダメ……」


 指先で俺の唇をぎゅっと押す白雪さんが不思議だった。


「でも……、せっかくだし……。最後までやっちゃおうかな……?」

「か、帰ります。降りてください」

「私は嫌だから、雨霧くんがなんとかして……」

「白雪さん……!」

「あるいは、私と最後までした後にこの家から出る。その選択肢もあるよ」

「…………」

「少しは体の話を聞いてあげた方がいいと思うけど……、苦しそうに見える」

「はい……?」

「…………」


 また……キスされてしまう。

 なんで……、なんで……、なんでだよ……。


 布団を掴んだまま、白雪さんと長いキスをする。


「…………女の子の部屋に入ったらこうなるの。次はちゃんと注意してね……」

「嘘……ですよね」


 あの日は静かな白雪さんの部屋で、俺たちは誰にも言えない……そんな恥ずかしい行為をやってしまった。

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