第32話 怪奇レポート007.本を開くたびずれる栞 㯃
草むらの中を進むこと数十分。
ようやく辿り着いた洋館の外壁はツタで覆われ、窓ガラスは割れ、ホラー映画にでも出てきそうなおどろおどろしい雰囲気に満ち溢れていた。
「もしかして、入るの?」
「もちろんっス!」
いつもなら逃げ出す真藤くんが、今日はなぜか先陣を切って進んでいく。
結城ちゃんは結城ちゃんで夢の図書館に魅入られてるけど、真藤くんも何かしらのモノに憑かれているんじゃないかと思うくらいの豹変ぶりだ。
「お邪魔しますっスー」
真藤くんは入口の扉が外れていて押しても動かないと察すると、思い切り体当たりをして強引にこじ開けてまで中へ入り込んでいく。
扉の隙間から見えた建物の内部に私は息を呑んだ。
「ここ、夢で見たお屋敷と同じです」
かなり荒れ果てているが、中の構造には見覚えがある。
リーリエちゃんが出迎えてくれた玄関ホールだ。
真藤くんを追いかけて恐る恐る中へ入ると、夢で嗅いだのと似た甘い匂いがふわりと鼻先をくすぐった。
壁には亀裂が入り、建物全体が埃っぽい。
飾られている絵画はずいぶんと色あせているし、ここが廃墟になってから長い時間が経っているようだ。
ボロボロながら原形を留めていたソファーに積もった土埃を軽く払うと、小津骨さんは羽織っていたカーディガンを敷いてから結城ちゃんを座らせた。
流れるような動作に思わず惚れてしまいそうになる。
「うわっ、危ないっス!」
本棚のある広間の方へ向かっていた真藤くんが声を上げながら後ずさった。
何事かと思って近くへ行ってみると、腐った床板に大きな穴が開いているではないか。
「危うく落ちるとこだったっス……」
「こんな所でケガしたら洒落にならなさそうだから気を付けてね?
廃墟探索をしてた人が錆びた釘を踏み抜いて敗血症になったんだったか、そういうような話を聞いたことがあるし」
「マジっすか!?」
真藤くんの顔がスッと青ざめる。
「命の危険があるぶんお化けより怖いよね」
「いやいや、お化けも十分怖いっス!」
笑い合う余裕も生まれ、私たちは本棚が待つであろう広間の扉を押し開けた。
「……え?」
「なんすか、これ……」
私たちは思わず息を呑んだ。
そこに広がっていた空間は清らかな光に包まれ、澄んだ空気で満たされている。
見上げる限り続いていく高い高い本棚に三方を囲まれた広大な空間。
それは、夢で見たあの図書館そのものだった。
「あら、香塚さん? どうして……」
リーリエちゃんが目を丸くして私の顔をまじまじと見つめる。
いつもにこやかで人形のような彼女には似つかわしくない表情だった。
「リーリエちゃんこそ、どうして」
「なんスか、こーづかさん知り合いっスか」
真藤くんが私とリーリエちゃんを交互に見る。
「この子が例の挿絵の子ね?」
「そうです。あと……」
かつかつかつ、と規則的な足音が近付いてきた。
「香塚様、来訪はお断りしたはずですが」
きつく睨みをきかせながら睡さんが私たちの前に立ちはだかった。
その背後に隠れるようにしてリーリエちゃんがこちらの様子を窺っている。
「結城ちゃんを返してもらいに来ました。用件はそれだけです」
「結城……? そんな方は来ておられませんが」
睡さんは眉をひそめて私を広間から押し出そうとする。
「でも……」
「
「いるっス。ゆーきちゃんは、ここにいるっス!」
上品なしぐさで私たちを追い出そうとした睡さんとリーリエちゃんを振りほどき、真藤くんは図書館の奥にずいずいと進んでいく。
正面の本棚の前に着くなり、おもむろに本棚に並んだ本を引きずり出した。
バラバラと音を立て、床に投げ出される本。
それは夢で見たのと同じ、誰かの夢が綴られた色とりどりの本。
真藤くんは開いたスペースに足をかけ、よじ登っては適当な段の本を抜いて投げ捨てる。
それを繰り返してあっという間に二階くらいの高さまで登って行ってしまった。
「怜太! 危ないから降りてきなさい!」
これにはさすがの小津骨さんも慌てたようで、真藤くんを呼び戻そうと声を張り上げた。
「私、行ってきます」
きっとここは現実じゃない。
それなら、夢の中でリーリエちゃんたちが教えてくれた
大切なのは信じる気持ち。
そう繰り返しながら、私は床を蹴った。
月面を飛び回る宇宙飛行士のように私の体はふわりと浮き上がる。
平泳ぎをするように手足を動かして、真藤くんのしがみつく本棚に向かった。
「真藤くんっ」
「ぎゃっ!?」
私が飛んできたことに驚いたのか、真藤くんは両手を放して身をすくめた。
まずい。
このままじゃ……――。
落下を始めた真藤くんの手を掴むと、そのまま引き上げて共に浮かぶ姿を想像する。
けれど、真藤くんの体は思っていた以上に重たかった。
引きずられるように落下しながら、私は地面に体を打ち付ける覚悟を決めた。
「っ……、え?」
激突の瞬間。
優しい腕が私たちを包み込んだ。
「おつぼねさん」
真藤くんがその人の名前を呼んでから、しまった、という顔をした。
「なるほどね。理屈はわかったわよ」
ぴょんぴょんと軽く飛び跳ねる小津骨さんは、まるでトランポリンの上にいるかのように段々と高い所まで飛び上がることができるようになっていく。
特に説明はしていないけれど、この空間のことを把握し始めているようだ。
「みんなどうしたんスか」
ただ一人、怯えた顔で身をすくめる彼を除いて。
「で? 怜太、結城さんはどこにいるの?」
「う、上っス。その緑の本が詰まってる段の……」
真藤くんが指さしたのは遥か頭上、建物で言えば三階か四階くらいの高さになりそうなところにある棚だった。
そこには確かに人影がある。
「ゆうきちゃぁぁぁぁん!!!!」
思い切り声を張り上げて呼んでみるが、反応はない。
「私、行ってきます!」
強く力を込めて床を蹴り、空高く舞い上がる。
……はずだった。
「えっ?」
一瞬浮き上がった体はすぐに地面へと引き戻されてしまう。
「うっ……」
「うわっス!」
小津骨さんは地面に片膝をつき、真藤くんは潰れたカエルのように手足を投げ出して床に倒れている。
何が起こったのかと周囲を見回すと、険しい顔の睡さんがいた。
「あなた方、いい加減にしてください」
激しさはない。
淡々とした、事務的な口調。
それなのに身がすくみそうな威圧感がある。
「ねえ、すい。あの人何者なの?」
睡さんに歩み寄ったリーリエちゃんが、気持ち悪いものを見るような目で私を見ている。
いったい、なんのことだろう?
「……わからない。どうしてあの人だけが立っていられるのか」
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