第2話

 結局、退勤時刻は夜11時半だった。勤務時間は16時間。1日で2日分働いたことになる。

 この4日間はこんな感じだったから……いや、計算するだけで具合が悪くなりそうだからやめておこう。


 家に着くころには日づけを越えていた。外から見るとアパートの窓はどこも真っ暗だった。

 立ちっぱなしの脚はむくみ、空腹は限界に達してむしろ何も感じなくなっていた。だけど、何かしら食べておかないとお腹が空いて目を覚ましてしまうかもしれない。明日……いや、もう今日だ、今日はできる限り長く寝るんだ。


 冷凍食品を温めるのと、カップ麺にお湯を注ぐのなら、どちらが楽だろうか。冷凍庫や戸棚を開け閉めしながら考える。

 冷食のパスタは600Wで4分30秒。うちのレンジは500Wだから換算するのが面倒くさい。お湯を沸かすのは電気ケトルの仕事だし、カップ麺にしてしまおう。こんな時間だけど。


 ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れる。静かな部屋に、ふつふつとお湯が沸く音がしはじめる。

 あれだけクリスマスのために働いたのに、チキンもケーキもプレゼントもない。クリスマスはわたしなんかのためにやって来ない。わたしは誰かのクリスマスのために身を削るだけだ。


「わたしのクリスマス、一生こんなんなのかな」


 睡眠時間を削って、空腹すら忘れるまで働いて、深夜にカップ麺を食べるようなクリスマス。

「普通」じゃないわたしが社会に貢献できる唯一の方法かもしれない。


 わたしはセクシャルマイノリティだ。

 10年前……18歳のころにそれを自覚した。


 好きな相手から性的な接触を求められたとき、強い拒否反応が起きたのだ。

 怖い、気持ち悪い、つらい。

 相手への好意も消え失せた。


 おかしいと思って調べたところ、こんな答えに辿り着いた。

 恋愛感情は持つけれど、性的感情を抱かないという、ノンセクシャル。


 ノンセクシャルを自覚したあとも、こりずに何度か恋をした。だけど、ハグ以上のことを求められると心に壁ができてしまうのだ。

 相手に正直に話しても「慣れれば大丈夫なんだろう」「いっしょに乗り越えていこう」とまるで理解していない反応をされる。

 好きだったはずの相手に、泣いて別れを願った。


 到底普通の恋愛なんかできるはずがない。それなら最初から恋愛感情なんか持たない方がマシだ。


 ずっとひとりで生きていく。

 そう決めたはずだけど。


 そっか。五十嵐さんは「普通」の人だったんだ。


 彼氏がいるのは知っていた。だけど、結婚、さらには子どものことまで視野に入るほどの付き合いだったなんてはじめて知った。

 また少し世界からはみ出したような気がした。足場はもうほとんど崖っぷちで、いつか完全に突き落とされてしまうような焦燥感に陥る。


 クリスマスイブの深夜にひとりで食べるカップ麺は、こんなに空腹なのに、悲しいくらい味がしなかった。

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