『第一章』おじさん、幼女を拾う。

『プロローグ』おじさん、一般傭兵さんを助ける

「ちぇ!毎度しけてやがるな!」


「うるせぇ!文句言ってる暇があるなら稼げるくらい腕上げな!」


 改めて聞こえるほどに大きく舌打ちをかましてやりながら、掲示板の6等級の区画から紙をちぎり取る。


 紙にはでかでかと『カボレア迷宮2階層のムカデ退治』と書かれている。


 4等級を目指す、5等級のオレにとっては、いくらにもならないしょぼい仕事だが、5等級の仕事はあらかた剝がされた後で、あとは危険なだけで得もない仕事ばかり。


 酒場と迷宮の管理を兼業してるくそババアの座るカウンターにバンっとその紙を叩きつけてやれば、そのままの脚で酒場を後にする。


 後ろにくそババアの怒鳴り声を聞きながら、虫下しをいくつかザックに詰め込み、やる気のない守衛もどきの脇を抜けて迷宮の入口をくぐっていく。


 一歩、二歩と足を進めるごとに、今まであった日の温かさが薄れ、煩わしい騒ぎ声が遠のく。


 代わりに襲いかかってくるのはぞくりとするような冷気と、生臭く、へばりつくような空気だ。



『迷宮』とは



 人類にとって、お宝の眠る穴ぐら、あるいは馬鹿でかい墓、あるいは過去の遺跡、などなど、結局のところよくわからない場所。


 地下だったり、でかい壁面だったり、あるいはバカ高い塔だったり、脈絡もない場所が『迷宮』として登録され、資格のないものは入ることすら許されない危険な土地。


 もっとも、今から下る『カボレア迷宮』は4等級の迷宮で、浅いところなら7等級の傭兵でももぐることを許されている程度の危険度しかない、いわゆる弱小迷宮だ。


 それでも、感じる気配はいやになるほどの死の気配に満ちている。実際、気を抜きすぎれば俺だって簡単にくたばるだろう。


「ま、だからってムカデごときに後れを取るほど鈍くはねぇがな」


 ソロ専門というわけでもないが、あいにくとつるんでた傭兵仲間がしくじって半月ばかり寝込んでいるせいでここ最近は安い仕事で食いつなぐ毎日で、少々鬱憤がたまっている。


 普段は一人なら受けない討伐系の仕事を受けたのも、腕がなまるのを危惧した結果だ。もっとも、本当に腕慣らしのための運動なようなものなので、稼ぎも期待はしていない。


 結局、警戒しつつ普段のペースで歩みを進め、一度も剣を抜かないで2層への階段にたどり着いた。


 まあこんなもんだと鼻を鳴らしつつ、今回のターゲットのいる階層のため、剣を抜いて周囲を見渡す。


 1回層よりも生臭さが増したように感じるここは、しかし潜りなれたより深い階層と比べればまだまだ身の危険を覚えることもない。


 ゆっくりと周囲を見渡し、苔がむしかけている壁や、ゆるい泥のような何かの積もる石畳を観察する。



「ちっ、近くにゃいねぇか。めんどくせぇ」



 人間大の足跡が残るこの場は、そうはなれないところに同業の輩がいることを教えてくる。


 3方向に分かれた通路の中でも、足跡の少ない方に向き直り足を進める。



 ここ『カボレア迷宮』は、大型の蟲がはびこる、地下に続く中規模サイズの迷宮である。


 ムカデやクモ、アリ、深いところには羽をもつ大型の蟲も出てくるが、総じて魔法に弱く、耐久も低い種類が多いので、ある程度の打撃力がある傭兵にとってはある程度の安全マージンを取って戦えるが、あまり稼ぎにはならない、そんな迷宮だ。


 この2層ともう一つ下の3層では、人間の子供と変わらないサイズのムカデが大量に繁殖しており、ちょっとした酸なら防げる、初心者向けの防具の素材になるので、低等級の傭兵が小銭稼ぎによく出向いてくる。


 ただし、大量に、と言われるほどに繁殖しており、腕のない傭兵が勇んで殺され、その肉体を貪られまた繁殖する……というループが完成しており、定期的に間引き依頼が張られる。


 もっとも、一定以上の実力があれば、的が大きく、素材を気にしなければ小規模の火の魔法が使えればいいカモでしかない。


「…お、居やがったな」


 きちきちとぞわつく音を耳に捕らえる。


 剣を構えなおし、辻になっている目の前の通路に目をやり、一気に駆けていく。


 向かって右手から飛び出すオオムカデの頭部を縦に割り、そのまま振りぬいた勢いのまま跳びあがり、胴を踏み砕いてさらに奥に駆ける。


 奥に2匹、球になるように重なっているところから、目の前のやつらがだとあたりをつけ、剣を突き出し、重なる地点を貫く。


 ぎしぎしと気味の悪い音を立てながら縫い付けられたムカデを踏み砕き、ホトケを見る。


「あー、もうちょいあとに来ればよかったぜ」


 まだ大半の肉が残った状態の、若い同業者の首元のタグを剣でひっかけて回収し、ついでに装備なんかが残ってないか漁ってみる。


「お、こいつぁ…」


 左手首に残る鈍い銀の輪っかを拾って、こびりついたものを拭ってやれば、やはりだった。


「物は2流だが魔力がこもってる、いい拾いもんだ。ま、こいつはオレが有効に使ってやるよ、えーっと、アルト?くん」


 革袋の酒をかけ、火をかけてやる。動かなくなったムカデどもから討伐部位を抉り取り、さらに奥に進む。


 それから苦も無く、5匹のムカデを狩り、ふぅと一息つく。


 腕はなまっていない、と思う。しかし、このあたりのムカデ程度ではあまり実感が薄い。


 すこし危険だが、虫下しもあるので、3層に赴くのもいいだろう。


 蟲の数も増えるが、普段は5層あたりで活動してるのだし、と下りの階段に向かう。



 ぞくり



 身震いした。目を瞠り、その場で剣を構えなおす。


「な、んだ?おい、おい、一体……」



 ぞくりぞくり



 震えが強くなる。ここをまっすぐ進めば、3層へ続く階段がある。


 いつもとは違う通路を通っているとはいえ、弱小迷宮といわれるに足る貧弱な生物しかいないこの迷宮で、4等級に届きうる実力を持つ自分が怯えるほどの存在など、居るはずもない。



「異変、か?それとも、集団で事故死でもあってレイスでも生まれたか?」



 稀に起こる、アンデッドの自然発生などによる危険な魔物が、浅い階層に居座る現象のことを『異変』と呼ぶ。


 めったに起こらないが、こうした『異変』は、迷宮の変化が起きる前触れともされており、傭兵にとってはあまり歓迎された出来事ではない。


 なにより、今回の『異変』は、中堅どころの傭兵である自分が身の危険を感じるほどの存在感を持っている。


 引き返そう。


 手に余る。


 そう判断するや否や、剣を鞘に納め、踵を返す。


「くっそ!」


 それがトリガーだったのか、背後に感じるぞくぞくする気配がこちらにすごい勢いで近づいてくるのを感じる。


 足音が響くのも気にせず、全力で走り抜けるも、気配の主の方が足が速いのか、あるいは宙に浮いているのか、こちらが逃げる速度よりも、気配が近寄る方が早い。


「っは、はっあ、く、ぉおおっ」


 すこしの欲で足元をすくわれる。迷宮に潜るものにとって、常に隣にある死の危険が、ほんの少しの欲で顔を出した形だ。


 その顔を出した死の気配に息が乱れる。


 きちきちち


 自分が通った後のムカデの死骸を食らうために、他のムカデが周囲にいるのだろう。ムカデの足音が聞こえる。


 ムカデを踏みつぶすにしても、身を守るための剣は腰に納まっている。虫下しは火をつけねば効果はない。



 万事休す。



 脳裏にちらつく『死』の存在にぐっと喉が鳴り、一か八かを考えさせる。



 そんな時



「あん?えらくにぎやかだなあ……おいおい、そんなに走ってどうしたんだい」


 ぬ、っと辻から顔をのぞかせる、薄汚れた男。



 馬鹿か!気配も感じ取れない三流が!



 そこまで出かけた言葉を飲み込み、つっかえながらも警告を吐く。焦って男が棒立ちにでもなれば囮にできるし、尻尾を巻いて逃げ出すならば、ムカデ避けになるかもしれない。


 打算に満ちた善意が舌先からこぼれだす。


「っ異変だっ、とっととにげっろ…!」


 詰まり詰まりの言葉は、思ったほどの大きさにはならなかったが、しっかりと男には届いたらしい。


 片眉を持ち上げた男は、だらしない猫背のまま、何もわかってないように棒立ちになっている。


 使えねぇな、と内心で罵りながら、男の脇を駆け抜け、男の出てきた辻に飛び込む。


 ムカデを殺す実力は持ち合わせていたのが不幸中の幸いだな、と思いつつ、踏み込む。


 ずる


「はっ?」



 そこには、ムカデの死骸があった。


 そして、たまたま踏み込んだところに転がっていた。


「がっあっ!?」


 ぐしゃりと音が耳に届く前に、ムカデの体液にまみれる。


 なんてことはない、ものを踏んでこけたのだ。



「おい、おい、大丈夫かい?」



 緊張感のない声が響く。それが無性にイラつく。しかし、転んだ拍子に肺の空気が抜けきってしまい、大きくせき込んでしまう。


 服のおかげで傷こそないが、打った膝がじくじくと熱を持つ。



 ここまで



 こんな奴と死ぬのか



 悔しさと苦しさに涙がにじむ。


 状況をいまだ理解してない猫背の男がこちらに近寄ってくる。


「おーい、大丈夫かい?勢いよく転んじまってまぁ……とりあえず立てそうかい?」


「…って、めぇ、さっき、いった、だろうが!とっとと逃げろ!」



 息を整え叫ぶ。呑気に手を伸ばし起こそうとしてくる男の手を払いのけ、剣を抜いて構える。


 くそ、足が痛む


 こんな調子じゃ走って逃げることもままならない。ならば、とっても悔しいが、こいつを逃がして、この状況を伝えさせるしかない。


「いいか、よく聞けくそ野郎、くそったれなことにいまこの迷宮では『異変』がおきてやがる!お前はさっさと逃げてこのことを上の連中に伝えろ!」


「ああ、そういうのいいから、足痛いんなら座ってなよお」


「てめ、状況わかってんのか!」


「あー、はい、はい、いいからいいから、ほら、ムカデの中なんて気持ち悪いだろうに、とりあえず落ち着きなさいってえ」



 すぐそこまで迫っている気配



 辻のすぐ裏にいる。すぐそこに。


 ずるり、とゆっくりと壁から延び出てくるやせこけた腕。そして続く、目が落ちくぼんだ、歯をむき出しにした恐ろしい形相の顔。



「あ、あ、うそだろ……」



 上位アンデッドであるレブナントだ。


 腐って動きのとろいゾンビやグールと違い、生前の肉体の強さを引き継ぎ、アンデッド特有の無尽蔵の体力と強力な毒を宿す爪を持つ、危険な不死者。


 ゾンビやグールとぱっと見では判別も付きにくいこともあり、かなりの被害を出すアンデッドであり、何より最悪なのは、人間をいたぶり、その血肉を貪るという点である。そして、それができる程度には強い魔物である。


 深く絶望し、それでも剣を手放さないのは、なけなしのプライドか


 自嘲気味に自分の状況を変に冷静に見ている。


 男はまだ気づいていないのか、あるいは諦めているのか。


 棒立ちのまま動かない。いや、オレと同じで動けないんだろう。


 逃げろとも言えず、じっとレブナントと男を眺めてしまう。


 わざとゆっくり動いていたのをやめたのか、一気に走り出すレブナントに、思わず目を閉じる。




「うーん?珍しいね、こんなところでレブナントかあ」




 ひどく、場違いな声。


「これは焦っちゃうねえ……お兄さん、ちょっとまっといてくれるかい?」


 滑るような動きのレブナントがすぐそこに迫っている。にもかかわらず、ヘラリと笑みすら浮かべる男に、なぜか苛立ちを覚える。


 しゃら、と


 涼やかな音とともに、ぼとりと何かが落ちる音。


 突き出された量の腕が落ちたレブナントが、しかし、男の首筋にかぶりつかんと大口開けて迫る。


 しゃら、しゃら


 三度、涼やかな音。


 ぼとり、どしゃり。何かが落ち、それなりの大きさのものが倒れるような鈍い音が響く。


「アンデッドは切ったくらいじゃ死なないのが面倒だよね、小金稼ぎにちょうどいいんだから、あんまりこういうのは勘弁してほしいよね?」


 手際よく油をまいては火縄を種火に火をかける。


 しばらくの間、のたうつオレにとっての『死』をぼうッと眺める。


 はっと気づけ、思わずその場に立ち上がり、傍らでムカデの討伐部位を抉り、素材になる部位を引っぺがしている。


「んー?おや、お兄さん、大丈夫かい?おじさんもちょっと疲れちゃったし、一緒に戻ろうか」


 先ほどと同じようなヘラリとした笑みを見せる男の顔をじっと見る。


 少し間を開けてああともうんとも言えないうなりと一緒にうなづいて、レブナントの燃えカスとムカデの死骸を後にする。


 行き同様に道中蟲にも出くわさず、「んー今日はあんまり稼げなかったねえ」とぼやく男をしり目に安堵する。


 男がじゃあこれで、というのを呼び止め、剝ぎ取ったムカデの部位証明を押し付ける。


「いいのかい?いや、わるいねえ、お兄さんはいい人だねえ」


 とへこへこと頭を下げる男に、またも無性にイラつきつつ、水をかぶって汚れを落として、仕事失敗の報告と罰金を支払いに酒場に行く。


 涼やかな音を奏でる見事な剣技と、しかしその技に見合わない隙だらけで無防備な佇まい。腰の低い態度。ちぐはぐな男の様を思い出しつつ、くそババアの罵りに生返事を返す。


 さすがのくそババアも様子がおかしいことに気づいたのか、どうしたと聞いてくる。


「……なあ、えっと……あー、その」


「何だい、煮え切らないね!言いたいことがあるならはっきり言いな!うっとうしいのは嫌いだよ!」


「……いや、なんでもねぇよ。とりあえず酒くれよ」


 ぱちりと銀貨を差し出せば、何なんだいと文句を言いつつ酒瓶とグラスを出してくれる。ぼそりとありがとうよといえば、「どうしちまったんだか」と呆れられる。


 忘れよう


 ぐびり、と酒瓶から直に酒を煽る。


「あ、やべ、『異変』報告忘れてた」


 結局、くそババアに罵られ、報告の報酬を受け取った。


 ちょっと黒字だった。

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