第13回 避けては通れない道

「ダメか……」


 諦めたのかとほっとしたのも束の間、矢野主将は意味不明なことを口にした。


「僕は所謂リバ可だ。男は刺しつ刺されつ」


「り……ばか? さしつ? なんすか、それ? 何かの専門用語ですか?」

「僕は君と出逢って以来、実にバリエーション豊かな妄想に浸る愉しみを得た。例えば、君に荒々しくレイ〇される場面を脳内に描きながら眠りに就いた時などは、この上なく気持ちの良い睡眠がもたらされたりもした」


「キャプテン……」

 さわやかなナイスガイのイメージが音を立てて崩れ去っていく。俺はもう、矢野主将という人がわからなくなってきた。

「そっちの方もありだったんですか。ほんと、いろいろ意外ですけど。ってか、そんなろくでもない妄想で気持ちの良い睡眠って……? 言っときますけど、俺は荒々しいことは嫌いだし、レ〇プなんて絶対にしませんから」


「誰にでもは訪れる。龍くん、さぁ、僕を……」

「いやです!」

「本当に、いやなのかな? 君の身体はそうは言っていないようだが。君の脚の付け根の周辺が硬度を増しているのは、僕の気のせいだろうか」

「……!? き……気のせいです」


 矢野主将の腕から逃れようともがいているうちに生じた摩擦で、はからずも俺の下半身が反応し始めていた。

 感じ易い自分が情けない。これが若さゆえの過ちというものか。否! 過ちは犯していない。


「最近まで中学生だった君は知らなくても仕方ないが、バッテリーというものは夫婦同然でなくてはならないのだよ。だからこそ、エースの球を受ける正捕手のことを『正妻』もしくは『愛妻』、さらには『恋女房』とも呼ぶだろう? レベルも中学と高校では雲泥の差だ。つまり、高校野球からは次元が変わるということだ。よって、バッテリーは一心同体でなければ戦い抜くことはできない。即ち、意思の疎通のみならず、肉体の疎通も必須要件となるのだよ。これは言わずと知れた公然の秘密、暗黙の了解、言わずもがなの常識、世の習いだ」

「えっ、ええ――っ!? そうなんですか!?」


 公然の秘密、暗黙の……ならわし? とにかく、そういうダークな面がいろいろあるとは‼

 知らなかった! 高校野球からはバッテリーは肉体の疎通が必須要件 !?

 だとしたら、球界の全ての投手と捕手はデキているということなのか !? 

 凄まじい妄想の嵐が、俺の頭の中で吹き荒れる。

 高校……大学……プロ……メジャー……。

 言われてみれば、中学の頃、高校野球を観戦していて、バッテリー間で親しげなボディタッチが再三行われているのを見て『仲いいんだなぁ』と感心したものだ。

 なるほど。そういうことができるのは、既にデキていたからなのか!


「そうなのだよ、龍くん。高校野球でバッテリーを組むということは、つまりそういうことなのだ。これは決して避けては通れない道だ」

「避けては通れない道……そういうものが、あったなんて……」


 俺は己の認識の甘さを痛感した。高校野球からは次元が異なるのだ。つまり、中学までの野球は、文字通り児戯に等しいものなのだ。


「さぁ、身を以って知りたまえ。避けては通れない道を」

「避けては……通れない……道」


 暗示にかけられたように、俺はその言葉を繰り返した。



 キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♪



 折しも、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。


「チャイムに邪魔されたか。龍くん、決して忘れないでくれたまえ。避けては通れない道を」

「避けては……通れない……道」


 バッテリーを組む以上は、いずれ矢野主将と俺は……!

 ということは、洋人もBL学園時代に複数の捕手と……!




 その日の部活では、矢野主将は俺と目を合わせようとしなかった。主将の普段の饒舌さは消え、バッテリーとして必要最小限の会話にとどまった。


 これでは一心同体どころか、意思の疎通さえままならない。俺はグランド整備を終えると、すぐに矢野主将を捕まえて詰め寄った。


「キャプテン、どうしたんですか? あなたらしくないでしょう。昼休みにあんなことがあったからですか?」

「……すまなかった、龍くん。あれから、僕は猛省した。あの時……僕はどうかしていたんだ。桔梗様の件を監督に考え直してもらうことはできないものかと中等部へ行く途中、君を見かけて、つい声をかけた。

 本当は、監督の言うことはもっともで、決定が覆されることはないだろうと半ば諦めていた。だから、少し自棄やけになっていたと思う。君の気持ちもお構いなしに勝手な欲望を晒したことを、今はとても後悔している。自分でも赤面するほどの積極さで迫って君を困惑させた。こんな僕に愛想が尽きただろうね」


 反省の色を滲ませてそう話す矢野主将は、昼間のことが嘘だったように平静さを取り戻していた。


「俺はショックでしたよ、キャプテンの突然のカミングアウトと豹変ぶりが」

「本当にすまなかった。心から謝る。忘れてくれなんて虫の良いことは言わないが、僕を嫌いになっても、この野球部のことは嫌いにならないで欲しい」


「嫌いになったりなんかできないでしょう。バッテリーですよ、俺たち」

 自分でも不思議なほど、俺は矢野主将に嫌悪感を覚えていなかった。

 ただ、暗示のようなものから醒めて落ち着いて考えてみれば、どうしても譲歩できないものがある。

「あれはあれ、部活は部活、って……そう簡単に割り切れるほど俺は器用でもドライでもないですけど、高校でも野球を続けると決めたからには生半可な気持ちで取り組みたくないんです。だけど、キャプテンが言っていた、その……避けては通れない道の『疎通』についてなんですけど、やっぱり俺には無理です」


「そうか。そうだよね。当然だ。貞操は尊いものだ。捨てるには相当の覚悟がいるはずだ」

「テーソーって……?」

「僕はいつでも待っているよ」

「待ってなくていいですけど」


「どうした? バッテリーで何か揉めてるのか?」


 神妙な顔で話し込む俺たちの様子を心配して、洋人が声をかけてきた。


「監督……何でもありません」


 そう言いながら俺は、『後で話す』という旨をアイコンタクトで洋人に伝えた。

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