第4話

 八月の終わりごろ、荒川の土手ではいくつか大きな花火大会が開かれる。土手沿いのマンションに住んでいる人は、それこそ特等席で見ることができる。僕のマンションもそういう意味ではなかなか立地がよくて、両親も楽しみにしていた。

 でも僕はわざわざ人ごみの中で花火を見ることにした。両親を少しがっかりさせたのが心苦しい。


 花火大会の2日前。僕はいつものように素振りを終え、コンクリートの川岸に座って川を眺めていた。1メートル横に別所さんがまっすぐ立って、いつものように対岸を見るともなしに見ていた。強い風がふいて髪が乱れても、なんのお構いもなし。すその長いスカートがバタバタ音を立てていて、それも気にすることなく、真剣な顔をしている。

「別所様。花火大会は、やはり空から御覧になるのですか?ここら辺のマンションの住人は、知り合いを呼んでパーティをする者もあるようですが」

 別所さんはこちらを見ないで、うんうんとうなづいた。この2週間くらいで分かったけれど、彼女はあまり口数が多くない。僕も口数は少ないほうだけれど、別所さんが相手だとつい、いろいろ話してしまう。僕が関心のある、宇宙とか存在とか抽象的な話もする。別所さんはちゃんと聞いてくれて、返答も面白い。こういうやり取りができる相手は、僕にとって貴重だ。花火大会に一緒に行きたいと思った。

「どうでしょう別所様。人間に混じって、下から花火を眺めるというのも面白いと思いませんか。混雑はわずらわしいですが、舞台は土手ですから、別所様もお楽しみいただけると思います。是非お供させていただきたいのですが」

 別所さんがこちらを見て、首をかしげてちょっと考えている。その仕草が本当に精霊みたいだ。ちょっと怖い。

「よきにはからえ。ただ、わたしは疲れたらすぐに帰るぞ。人間は嫌いではないが、混雑は苦手だからの。時におぬし、この遊びはたいそう気に入ったぞ」

「ありがたきしあわせ」

 抽象的な話で頭が疲れたときに、僕がふざけてこの遊びを始めたら、別所さんは恐ろしく精霊の役がうまく、そしてとても楽しそうだった。僕もこういう事は嫌いじゃないので、本気で精霊のシモベを演じた。やっているうちに、それが自然な感じがしてくるのが不思議だった。


 花火大会当日の土手の雰囲気は、なかなか素敵なものがある。お昼ごろから地域の方々が準備を始めて、夕方に向けてだんだんと盛り上がってくる。お祭りと似ているけれどちょっと違う。独特の良さがある。

 夕焼けが終わると、いつもはひっそりとするはずの土手に、大勢の人が集まってくる。昔は土手の通り沿いにたくさんの夜店が出たらしいけれど、今は混雑を緩和するためにかなり規制されている。それもあって照明も少なくて暗いので、人の目が光っているように見える。闇の中に浴衣の女性が美しい。ざわざわしながら、まだ1時間以上先の開始時間をみんなが待ち望んでいる。映画や舞台が始まる前にも少し似ている。人々の、わくわくする気持ちが伝わってきた。

 別所さんとは、近くの橋のたもとで待ち合わせた。決めていた時間の10分前に僕はついた。人ごみを眺めていたら、背中をつつかれた。別所さんは気配を消すことができるらしい。それとも僕がそうとう鈍いのか、いつも別所さんの接近を察知できない。

 別所さんは美しかった。黒い浴衣だった。大人っぽい。

「すごい。きれいだね」

 僕はこんなセリフを簡単に言える男子じゃない。でも別所さんには素直に言える。なぜだろう。

「ありがとう。これね、お母さんの浴衣。我ながらイケてると思うな」

「いや、イケてるイケてる。なんかオレ、みっともないなぁ。普段着で」

「なに、男は服装などあまり気にせんほうが本当じゃ。まいるぞ」

 イケてる精霊とデートだ。身に余る光栄だ。しかしデートはすぐに終わった。

 別所さんと人ごみの中を歩いていく。方々から声がかかった。役員の腕章をつけている人が、ゆかりちゃん!こっちにきなよ、と言って強引に別所さんを連れて行った。別所さんの正式名称は、「別所ゆかり」という。僕は後ろからついていった。

 着いた先は町内会の大きな席で、もう宴会が始まっている。別所さんが顔を見せるとみんな大喜びだった。ゆかりちゃん、ゆかりちゃんと言って、食べ物や飲み物が回ってきた。僕はそのおこぼれにあずかる。ゆかりおねえちゃん〜と言って、小さい子が群がってくる。ほんとに人気がある。でも土手の精だからだろうか、小さい子もわきまえていて、ゆかりちゃんにあまり迷惑をかけないようにしている。なぜか僕が子供たちに叩かれたり、引っかかれたりした。

 そういうお座敷が3つ4つあって、ゆかりちゃんフィーバーだった。最後に少し小さめの老人会の席に落ち着いた。

「ごめんね鈴木君、大変だったでしょう」

「いや全然楽しめたね。面白かったよ。ゆかりちゃん、ほんとに人気があるんだね」

「もう死んじゃったんだけど、わたしのおじいちゃんが庭師だったの。わたしは小さいころからおじいちゃんに引っ付いていたから、自然と顔見知りが多くなって」

 僕の横に座っていた、妖怪のようなおばあさんが話に割り込んできた。

「ゆかりちゃんは木やお花とお話ができるからねぇ。菅原さんもねぇ、本職なのに驚いていたよねぇ」

 意味が分からない。

「菅原っていうのは、お母さんの苗字なの。お母さんのお父さんが、さっき言った庭師のおじいちゃん。わたしね、なんか、人よりも自然のほうに興味があるみたい。だからね、わたし土手の精」

 説明が足りない。もっと聞きたいことがあるけれど、備え付けのスピーカーが花火の開始を告げた。今は花火を楽しもうと思った。老人会の席は優先的によい位置なので、見事な花火を堪能した。

 花火が、「ボカン」とはじけるたびに、体に空気の振動が伝わってきて凄い。女座りで花火を見ている別所さんがまた美しく、花火とどっちを見たほうがいいのかと、僕は馬鹿なことを考えた。先ほどの妖怪のおばあさんが、うちわで彼女に風を送っていて、別所さんが、どこぞのお嬢様のように見えた。妖怪のおばあさんと、精霊のお嬢様というのは出来すぎの光景だ。「納涼」だな、と思った。

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