季節も冬に移り変わり、寒さが一段と増して感じられる今日この頃。冬は無性にベッドから出たくなくなってしまうのは私だけではないはず。


 起きないと遅刻してしまうので、寒さに震えながら窓に掛けられているカーテンに手をかけ一気に両手で開く。


 部屋の窓から映る外の景色は一面の白銀世界。秋にこの窓から見ていた世界とはまるで別世界。雪があるだけでこんなにも私の住んでいるこの街が幻想的に見えてしまう。


 悴む手を握り締め、リビングへと朝ご飯を食べるために足を進める。


「行ってきます」


 玄関の扉を開くと同時に冬の寒さを纏った風が、私を通り越して家の中へと入り込んでゆく。


 私の住んでいるこの街は雪国には位置していないので、そこまで雪自体は積もることはないが、歩くと足跡が付く程度には積もってはいる。


 上を向いて息を吐き出す。白い煙状のものが宙に綺麗に映し出される。


「綺麗だなぁ」


 ゆっくりと息を吸い込む。どうして冬の空気はこんなにも美味しく感じるのだろう。乾燥しているからと言われてしまえば、それまでだが私にはそれ以上の何かがあると思っている。


 特に冬の夜は空に映る星々や家から溢れ出ている日常生活の光までもが、幻想的すぎてエモさを感じれられてしまうほど。これは冬にしか体験できない一年の中での私の小さな楽しみの一つ。


 真っ白な地面に私の靴の跡をつけながら、歩みを進めていく。三年間乗り続けてきたお決まりのバス停を目指して。あと数ヶ月したらこのバス停を本当に使わなくなってしまうと考えると少しだけ寂しい気もしてしまう。


 季節が移り変わっている頃には、私は大学生になれているのだろうか。年末に受けた最後の模試の結果では、B判定だった。一応合格圏内まで学力をなんとか向上させることはできたが、これでもまだ不安は取り除けない。


 平日は五時間以上、休日は十時間以上勉強に費やしてきただけはある。努力は私を裏切らず、身についているようだった。"過信"だけはしてはいけない。結果的にそれで落ちることなんてこともよくある話だ。


 彼とは一緒に帰った日から時々バスの中でも会ってはいたが、互いに自分のすべきことに専念していたためか、ほとんど二人の間に会話はなかった。


 寂しいと思ったことはなくはない。でも、それ以上に彼と同じ大学に行きたいという気持ちの方が大きかった。だから、そのくらいの我慢は屁でも無かった。


 年明けには幼馴染の二人と学問の神様が祀られていると言われる、この辺りで一番大きな神社にも行って、合格祈願をしてきた。当然二人は既に推薦で大学が決まっていたので、私のために祈ってくれていたみたい。


 幸太は相変わらずお参りの時に『恋歌は大学に合格するぞ!!』と口に出して、美羽に思い切り頭を叩かれていたが、こればかりは庇いようがない。周りにすごい人だかりができていたのに気にせず、言い放つのは幸太らしい。


 お守りを買っているときにさらっとそのことについて幸太に聞いてみたが、返ってきた答えは...


『口に出した方が願いは叶うだろ!!だから、神様に啖呵を切ってやったぞ!!!』


 幸太にしてはなかなかいいことを言っているなと、一矢報われてしまった。ただ、言い方が神様に喧嘩を売っているようにしか聞こえなかったのはどうなのか。


 二人の進学先はバラバラになってしまった。幸太は東京の大学に、美羽は隣の県の大学に進学。二人の進学が決まった時は自分のことのように喜んだのを覚えている。二人は『次は恋歌の番だ』と背中を押してくれたのが懐かしい。その言葉のおかげもあって今まで挫けずにここまでやってこれた。


 しかし、今までずっと三人で過ごしていたのが、離れ離れになってしまうのは悲しい。いずれこうなってしまうことは少なからずわかってはいたが、いざ離れるとなると色々な思いが込み上げてくる。


 二人は言葉や行動にしないだけで、私のことを陰ながら支えてくれていたのを私は知っている。これを口に出すのは野暮なので、黙っておくことにするが、それほど二人は私の支えとなっていたのは確か。


 思い出に耽ている間に、目的地のバス停にまできてしまっていた。とりあえず、今日でこのバス停を使うのは高校生では最後。残りの高校生活は自由登校になるので、私は家に籠って勉強をするつもりでいる。だからこれが高校生最後のバス登校になる。きっと卒業式などの日は幼馴染の二人と自転車で登校すると思うから。


 受験当日まで会うことがない彼。去年のこの時期に見かけた彼が今では私の中で、大きな存在になってしまっているのが不思議でたまらない。気になるから、いつしか好きへと変わってしまっていた。恋を手懐けることは不可能だとこの一年を通して学んだ。


 屋根にほんのりと白い雪を積もらせたバスが私の前に止まる。うっすら車内の温度と外気温の温度差で曇りがかっている窓から、コートを着た人がちらほら見えてくる。


 扉が開き車内に乗り込むと冬とは思えないほど、暖房の効いた車内に心が和らいでしまう。家の暖房とはまた違った暖かさがここには存在する。


 三年間守り続けてきた定位置も今日でさよなら。名残惜しさはあるが、この席も私のことを覚えてくれていたら嬉しいと思ってしまう。"今までありがとう"と願いを込め、ゆっくりと座席に腰掛ける。シートがじんわりと私のお尻から体を温めてくれる。


 電車やバスで寝過ごしてしまう人の気持ちが、最後の最後で分かった気がする。


 彼が普段乗ってくるバス停のアナウンスが車内に流れる。"ドキッ"普段よりも心臓の鼓動音がクリアにより鮮明に私の耳まで届く。


 バスが止まり、私の視線は扉一点に注がれる。乗り込んでくる人たちに自然と視線がロックオンされてしまう。


 乗り込んでくる数人の人集りの中に、想いをよせている彼は当たり前のようにそこに存在していた。寒さで鼻の先がトナカイみたく赤く染まっているのが、可愛らしい。首にはマフラー、手には手袋。防寒対策もバッチリらしい。


 次彼に会うのが、受験日当日だと考えると、ひどく先のことのようにも感じる。


 再来週には大学共通テストが迫っている。きっと私と彼は受験会場が違うはずなので、その日は会うことができないだろう。となると、私たちが次顔を合わせるのは三月の二次試験。つまり志望する大学のキャンパス内でということになるはず。


 二ヶ月間は彼と会うことを我慢しなければならない。少々きついけれど、合格すれば、晴れて私たちは同じ学校に通えると考えると残りのラストスパートも苦ではない。


 この時の私は、大きな勘違いをしているとも知らずに合格するためにがむしゃらに走り続けていた。それが、後に私たちに大きな変化を与えるというのに...


「おはようございます。恋歌さん」


「おはよう、叶多くん。再来週だね、共通テスト」


「そうですね、もうこの時期になったかって感じです。この時期は風邪も流行するので、マスクも必須ですしね」


 この時期は空気が乾燥しているため、風邪などの病原菌にかかりやすい季節でもあるのだ。どうしてこんな時期にと思った時もあったが、今更そんなことを思ったところで現実は変わらない。何より風邪にならないよう健康に気を遣うことの方が大切でもある。


『それよりも勉強をしろ!』と言われそうな気もするが。


「私、今日で学校登校終わりなんだ。だから、明日からは家で勉強三昧だよ。きついど、良き春を迎えられるように頑張るよ!」


「・・・今日で終わりなんですね。頑張りましょうね?」


 彼にはピンときていないらしく、少し首を傾げている。"私、何か変なことを言ったかな"何度思い返してみてもおかしなところは一つも出てこない。


 もしかしたら、彼の学校は超進学校だから受験日ギリギリまで学校で受験対策の勉強があるのかもしれない。だから、彼には今日で登校が終わりということにピンときていないのだろう。


「叶多くんのおかげで、今の私があると言っても過言ではないほど、君には感謝してるよ。ほんとありがとね」


「いえ、僕は何もしてないですよ。いくつもの枝分かれした人生の分岐点の中から、今の道を選んだのは恋歌さん自身です。僕は、ただその背中を押してあげたにすぎません。大きな一歩を踏み出したのは紛れもなく恋歌さんなのですから」


「そうだよね。私が選んだ道・・・後悔しても私が選んだのだから・・・」


「後悔してもいいんですよ。でも、後悔しても何も変わらない。時間は遡りませんから。大切なのは、自分の歩いてきた道と向き合ってしっかり認めること。例え、失敗して人に馬鹿にされるような人生を歩んでもそれが自分なのだと。ここで、『誰かのせい』『あの時』と現実逃避したところで、その先の人生が明るくなるわけがないのです」


 心に深く抉られるように突き刺さるほど、心強い言葉。私はこの言葉を一生忘れないだろう。これから先、どんなたくさんの言葉や思い出が刻まれていこうとも。


 きっと人生生きていれば、後悔することも出てくる。その時は、この瞬間を思い返そう。そうすればきっと、また新たにスタートを切れるはずだから。


「叶多くんはすごいね。そんな風に考えているんだね、私にはそんな考えは出てこなかったよ・・・改めて尊敬するよ」


 彼の目を見て今まさに胸に抱いていた胸中を真摯に吐き出す。感謝と尊敬の意を込めて...


「僕は・・・恋歌さんの方がすごいと思いますよ。何事にも真っ直ぐで、すると決めたからにはひたすら努力するのを惜しまない。人に見えないところでもあなたは一生懸命・・・それに、僕の心を・・・」


「ん?最後の方、よく聞き取れなかったや。もう一回言って?」


「何も言ってませんよ!それじゃ!」


 バスのアナウンスが私の耳には届いていなかったらしく、彼の背中を追って見ているとバスは彼の高校前で停車していた。


 笑顔で何かを受け流されたような気もしたが、今回は許してやろう。それに私は決めている。合格発表の日、もし二人で合格できたらその場の勢いに任せて彼に告白すると。


 悴む指先をカイロで温めながら、雪降る中傘を差しながら一人孤独に歩く。あのカイロをもらった日以来、私もカイロを常備しているのは彼には絶対に秘密。


 緊張と動悸で朝食のパンを吐き出してしまいそうなほど、心臓の鼓動が家を出た瞬間から鳴り止まないでいる。周りを歩いている人たちも皆、顔色が優れてはいない。きっと緊張で私と同様に普段の自分を見失ってしまっているのだろう。


 ここにいる人たちはこれから、自分との戦いの時間が始まる。常に孤独。頼れるのは今日まで頑張ってきた自分自身のみ。それ以外に頼れるものなどない、勝負の世界。泣いても笑っても一度きりの真剣勝負。


 高く聳える受験会場の大学へ足を踏み入れる。後ろからも続々と私の後を追うかのように、たくさんの若者たちが続く。今日は大学共通テスト当日。


 今日のために私は夏から死に物狂いで、人生で一番勉強したのではないかと思うほど勉強に励んだ。もしかしたら、この先もこんなに勉強する日々はないかもしれないが。


 ここまで頑張ってくれたのは、美羽や幸太や彼のおかげ。そして家族の支えもあってのこと。今日もここまで朝早いにも関わらず、お母さんが送り届けてくれた。


 私を気遣ってなのか、昨晩は饒舌だった母も今朝の車の中では一言も喋らず、淡々と運転していた。私も英単語帳を車の中でも眺めていたけれど、時々ルームミラーで母が私のことを間接的にチラチラと見ていたのは気づいていた。


 きっと母も私と同じように緊張しているのだ。大事な娘の人生を賭けた戦いがこれから始まろうとしていたから。


 母は私が車から降りるときも何も声をかけてはこなかった。『頑張ってね』の一言くらいは欲しかったなと今、歩いていて思う。


 それだけでも私の大きな力になるのだから。母のことだから、なんとなくではあるが気持ちは痛いほど伝わっているのでそれで十分なのかもしれないな。


 無事に手続きを済ませ案内された教室へと足を踏み入れる。ピリッとした空気感がそこには広がっていた。皆参考書を睨むかのように怖いぐらい見つめている。張り出されている座席表を書いた紙を見て、自分の座席へと足を進める。


 時より、同じ学校の生徒同士で話している子も数人はいたが、とても大声で話せるような雰囲気ではなかったらしく、周りを見ながらコソコソと話していた。私にもこの場に友達がいたら、話していたのだろうか...いや、ないな。


 今頃、彼も私と同じように椅子に座って一限目の準備に備えているはず。そう考えるだけで、私は一人じゃないのだと感じる。


 鉛筆や消しゴムの準備をしようと、鞄から筆箱を取り出しチャックを開く。鉛筆、消しゴム...なんだこの紙。


 昨日の夜に入れた覚えのない手紙が、一枚小さく折り畳まれて入っている。手に取りゆっくりと折り畳まれた紙を開いていく。



『恋歌へ』


 手紙でごめんね。きっと当日の朝はお母さん、あなたに何も声をかけることができないと思うから、手短にこの形で気持ちを届けます。


 恋歌、今日まで本当に頑張ってきたね。辛いこともあったよね。それでも負けずに立ち向かい続けたのには何か理由があるのよね。


 あなたにはその場にいる人たちよりも優れているものがあるのよ。何かわかる?


 "勝負強さよ"


 あなたは中学生の頃は日本を背負って戦っていたんだから、このくらいの勝負なんてことない!それにあなたは私の自慢の娘。負けるはずがないわ。


 自分との戦いだけれど、あなたの周りには私たちがいることを忘れないで。


 大丈夫よ!あなたがこれまで積み上げてきた努力は無駄になんてならない。バスケはやめてしまったけれど、あの時の努力は今あなたの力になっているのよ。


 だから、今日と明日精一杯頑張りなさい。美味しいご飯を作って待っています。


 最後に...


  恋歌、頑張れ!!!誰よりも応援しているわ。

                        

                                           『ママより』



 手紙にはうっすらと涙の染みができていた。母は泣きながらこの手紙を書いてくれたのだろう。泣きながら手紙を書いている母を想像するだけで、私の涙腺までもが崩壊しそうになる。ずるいよ...


 泣きたいのをグッと堪え、紙を丁寧に折りたたみ鞄の中へとしまい込む。二日目の試験の前と二次試験の前に、必ず読もうと胸に誓いながら。


 試験官の監督たちが五人ほど、真っ黒のスーツに身を包み厳粛な様子で教室に入室してくる。手には大量の問題用紙を抱え。


 一枚一枚試験官が受験者の前に紙を配り渡る。その間、私の手はスカートに手汗を染み込ませながらその瞬間が来るのをただ静かに待ち続ける。


 全受験生に問題用紙を配り終え、手元の腕時計で時間を確認する試験官。


「それでは始め!」


 静寂な教室に高らかに響き渡る勝負の鐘の音。私の長き戦いが今始まる。






























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