第2話 第九師団東スヴァキ部隊女子部

 女はリラと名乗った。スヴァキ大学の学生で、国文学を専攻していたらしい。


「男子はみんな徴兵されちゃってね、スヴァキに残っている学生はほとんど女子だよ。特に人文学系の専攻科はいつの時代だって最初に潰されるのさ」


 ティレアヴィルスは胸が痛んだ。スヴァキ大学といえばこの国の最高学府だ。厳しい受験を乗り越えた国で一番のエリート候補生が集う大学である。ティレアヴィルスもこれから入試を受けるはずだった。自分がこれから行く先の先輩が顔に迷彩ペイントをして軍用ジープを運転している。ショックだ。


「あんたは、名前は?」

「ティル」


 短縮形だけ名乗った。実際にそう呼ばれたのは幼少期だけ、呼んだのは母親だけだ。王室ゴシップが好きなメディアがそう書くこともあるようだが、何度か不敬罪で摘発されて検閲を受けている。


「年は?」

「十八」

「思ってたより若いな。まだ子供だ」

「リラはいくつなの?」

「二十歳」

「そんなに変わらないよ」

「十代と二十代の溝は大きいよ」


 やがてひとつの建物の前にたどり着いた。トタン屋根のバラックだが、そこそこの大きさがある。スヴァキが空襲で木っ端微塵になってスペースが空いたから建てることができたのだと思われる。


「十八ということは高校生じゃないの? 宮殿で何してたの?」


 ティレアヴィルスは答えられなかった。財務省や法務省の官僚ですら名乗らないほうがいいのに、行政権の長である王族はいったいどういう扱いを受けるというのか。


「ま、答えにくいならいいよ」


 そう言ってリラはジープを降りた。ティレアヴィルスもそれに続いた。


 リラの手にはジープの後部座席にあったライフルが握られている。


 バラックの中に入ると、大勢の人間が詰めていた。だいたいは女性のようだ。スヴァキ大学の女子学生だろう。


 若い女性が防弾ベストを着てライフルの手入れをしている。


「おかえり」


 斜め後ろから声を掛けられた。男の声だ。


 振り向くと、杖をついた男が立っていた。年は三十代くらいだろうか、バラックの中にいる他の大学生たちと並ぶとかなり年がいっているように見えた。筋骨隆々とした体躯に軍服をまとっているから、きっと本職の軍人だろう。


 男は左足の大腿部に包帯を巻いていた。怪我をしているらしい。怪我が原因で前線を離れたのかもしれない。


「生存者はいたか」


 リラが答えた。


「この少年一人です」


 男が目を細めた。なんとも言えない複雑な表情だ。


「名前は?」


 慌てて答える。


「ティル・アバーナです」


 アバーナはこの国で一番多いファミリーネームだ。嘘をついた。本名はカイサリーエ王朝カイサリーエ家第一王子ティレアヴィルスである。


「学生か?」

「高校生で、夏休みに教育科学省でインターンをすることになっていて、そのあいさつまわりで宮殿にいました」


 これも嘘八百だ。バレないか不安で汗をかく。声もちょっと震えた。

 しかし男はそれ以上突っ込まないでくれた。


「よし、じゃあお前にも銃をやろう」


 鳥肌が立った。


 男がリラを呼んだ。彼女はライフルを持ってきた。男は彼女からライフルを受け取るとティレアヴィルスに差し出した。ティレアヴィルスは動揺した。そんなものなど触ったことがない。


「持っていろ」


 男の声は特段厳しいわけではなかったが、有無を言わさぬ響きがあった。


「何もすぐ撃てるようになれとは言わない。だが自分用を持て。いつ何が起こるかわからん。もしもの時に備えろ。撃ち方はリラに教われ」

「エベル軍曹」


 リラが軍曹にすがるような声を掛ける。


「十代の子供ですよ」

「そうだな、可哀想だ」


 口先ではそう言ったが、軍曹は頷かなかった。


「だが今ここにいるというだけでもうだめだ。ここは戦場で最前線だ。お前は逃げ遅れた。もう戦うしかない。銃を持て。でないと死ぬぞ」


 ティレアヴィルスの手がぶるぶると震えているのに気づいたのだろう、軍曹はティレアヴィルスの肩を優しく叩いた。


「大丈夫だ。真っ先に死ぬのは軍人の俺だからな。お前が戦うのは俺が死んでからだ。お手本になってやるから見ていろ」

「エベル軍曹は――」


 ようやく声が出た。


「どうしてここにいるんですか? 女子部隊を結成するための教官なんですか?」


 軍曹が唇をゆがめる。


「俺が所属していた第九師団は壊滅した。俺は病院にいたからかろうじて生き残った。その病院で看護助手として働いていた女の子たちが立ち上がってできた即席の部隊がこの東スヴァキ部隊女子部だ。俺は無理はしなくていいと言ったんだが、戦って死ぬか捕虜になって酷い目に遭うか、と言って泣く女の子たちを見たら戦うしかないと思った」


 ティレアヴィルスはふたたび言葉を失った。


「あいつらは俺たちを同じ人間だなんて思っちゃいないのさ」


 次の時だ。


 ぱあん、という何かが弾ける音がした。


 バラックの戸が開いて若い女性が飛び込んできた。顔に迷彩ペイントを施してつやのある長い髪をひっつめにした女性だ。彼女もきっと東スヴァキ部隊の一員でもとは大学生だったのだろう。


「敵襲! 敵襲!」


 いつかは友達や家族やもしかしたらいたかもしれない恋人と語り合うためにあった彼女の声が、今は銃声に掻き消されようとしている。


 ぱらぱらぱら、ぱらぱらぱら、と雨のような音が聞こえてくる。


 女性たちがライフルを抱えて出ていく。


 みんなの熱気に押されて、ティレアヴィルスは軍曹の手からライフルを取った。しかしそれをどう使えばいいのかはわからなかった。重い。硬い。鉄のかたまりだ。


 出ていく女性たちに背中を押されて、ティレアヴィルスもバラックの外に出た。


 ちょうどバラックの出入り口の斜め前に壁の残骸がある。出ていった女性たちはその壁に隠れて銃撃を開始していた。正面から飛んでくる弾が壁を削る。コンクリートの細かな破片があちこちに飛び散る。


 視線を銃弾が来るほうに向ける。黒いプロテクターをつけた人間が数名こちらに銃口を向けている。敵軍の兵士だ。ヘルメットと頬当てで顔が見えない。男か女かもわからない。本当に人間なのかもわからない。人型の悪魔かもしれない。


 このままだとみんな殺される。


 ティレアヴィルスも銃を構えようとした。


 手が震えて銃の先端を固定できない。


「ぼさっとしてるんじゃない!」


 リラの怒鳴り声が聞こえてきた。銃声に掻き消されそうだったが、結構な声量だったようでなんとか届いた。


 二の腕をつかまれる。後ろに引っ張られる。


「中に入りな! 防弾ベストも着てないあんたじゃすぐ死ぬよ!」


 彼女の言うとおりだ。自分は布の軍用ジャケットしか着ていない。


 リラに連れられてバラックの中に戻った。


 恐慌状態のままリラの話を聞く。


「いいかい、軍曹はああ言ってたけど、無理はしなくていい。がんばらなくていい。いや、逃げることをがんばれ。生き残ることをがんばれ」


 また別の女性が防弾ベストを持ってきてくれた。ティレアヴィルスはリラにライフルを渡してそれを着用した。

 防弾ベストを着終わると、リラはふたたびティレアヴィルスにライフルを持たせた。そして、胸に小さな箱を押し付けてきた。その箱には銃弾と書かれていた。


「持ってて。使い方は後で教えるから、ひとまずわたしの荷物を減らすと思って」


 頷いて受け取った。そして、防弾ベストの胸にある大きなポケットに押し込んだ。


 ややして銃声が止まった。女性陣がバラックの中に戻ってきた。表情は硬いのに無理して明るい声を出している。


「西側に見回りに出てきた子たちが帰ってきて挟み撃ちにできた」


 どうやら東スヴァキ部隊女子部にはもう少し人がいたらしい。バラックの中にいた人間は胸を撫で下ろした。


「移動するか」


 軍曹が言った。


「ここに武装した人間がいることがバレたんだと思う。この建物を捨てよう」


 後から入ってきた女性が言う。


「十時の方向、徒歩三十分程度のところに地下のあるマンションを見つけました。そこに行きましょうか」

「そうだな」


 一同はそれから一時間くらいで荷物をまとめてバラックを出た。ジープは三台しかないそうで、分乗しても間に合わないとのことだ。結局ジープは荷物だけを積んでピストン輸送、人間の大半は二キロほど歩いた。


 途中、スヴァキの中でも大きな通りを歩いた。ブランド品を売る店舗が並んだ高級店街だったが、今は誰もいなかった。ショーウインドウのガラスが砕けて散乱している。ティレアヴィルスは上質なスニーカーを履いていたが、ガラスを踏むじゃりじゃりとした音を聞くたびに女性陣と同じ軍用ブーツが欲しいと思った。しかし口に出せない。装備は限られている。




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