第44話

 阿久里さんの騒動の後、紬と駅で別れたあたしは、何となくそのまま家に帰る気にはなれず、一人電車を途中下車して、ノラオとエージの思い出の公園に足を向けていた。


 昔二人が座って語らった頃と同じ場所にあるというベンチに座ってスマホを取り出してみるけれど、まだ蓮人くんからの連絡はない。


 ―――まだ、阿久里さんと話をしているのかな……。


 さっきの一連の出来事を思い返すと、胸が鈍い音を立てて痛んだ。


 阿久里さんの言葉、真に受けていたらかなりグサグサくるものばかりだったなぁ……。


 蓮人くんとは何かにつけてお互いの正直な気持ちを伝え合っていたから、絶対にそんなふうには思われていないはずだって強気を保つことが出来たけど、それがなかったらメンタルやられて泣いてしまっていたかもしれない。


 あの口撃こうげきはそのくらいヤバかった。


 期間限定の関係、なんて言われた時には本当にドキッとしたし。


 もちろん蓮人くんは、少なくとも今はそんなふうには思っていないと思うけど……うん、大丈夫。多分、絶対、そんなふうには思っていないはず―――。


 なのに一人でこうしていると、何だかだんだんと不安になってきて、あたしは膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。


 ―――そんなふうには、思ってないよね?


 エージが見つかってノラオが成仏したとしても、あたしと蓮人くんの関係は切れないよね?


 もう友達だもんね?


 そう、友達―――……でも、あたしはもう、それじゃ満足出来なくなっていて―――その一歩先に進みたいと、そう思っているんだけど。


 機会を見て、蓮人くんにちゃんと告白して、出来れば彼氏と彼女になりたいって、そう思っているんだけど。


 もし、蓮人くんに告白したら―――……。




『―――えっ? オレ、岩本さんとはこれからも仲良くしたいとは思っているけど、それはあくまで友達としてで―――その、ごめん。そういうふうには考えてもみなかったから……』




 戸惑い顔で、ちょっと引き気味にそう答えている蓮人くんの姿が浮かんできてしまって、自分の勝手な想像の中なのに、思わず潤んでしまった。


 ―――あーもう、思考が阿久里さんの呪いにかかっちゃってるじゃん!


 ぶんぶん頭を振ってそれを打ち消そうとするけれど、一度浮かんでしまったその映像が頭から離れてくれなくて、ネガティブ思考に堕ちていきそうになる。


 やだ―――! そんなのやだよ―――!


 もし告白してそんなんなったら、もうツラ過ぎて耐えられない!!


 涙ぐみながらぎゅっと唇を噛みしめた、その時。


『―――らしくねぇなぁ。なぁに鬱々してんだよ、さっきから』


 溜め息混じりのノラオの声が頭の中に響いて、ネガティブ思考に突入しかけていたあたしの意識を違う方向に逸らしてくれた。


『肉食女に面と向かって啖呵を切った、さっきのあの勢いはどこ行ったんだよ』


 ノラオ―――あれ、聞いてたんだ。


『っつーか、嫌でも聞こえっし』


 ―――でも、その割にずっと静かだったじゃん? 一切口挟んでこなかったし。


『あー青春してんなーって思って傍観決め込んでたんだよ。オレみたいな大人からしたら、何か色々眩し過ぎてたまんねぇわ』


「青春って」


 思わずふはっ、と苦笑混じりに肉声をこぼすと、ノラオもちょっと笑みを含んだ声でこう返した。


『今のお前らみたいに青春真っ只中にいる時って、青春って言葉、小っ恥ずかしくて使えねーよな。オレもそうだったし。大人になったからこそ恥ずかしげもなく使える言葉っつーか』


 そんなもん?


『おぅ。そんなもんだ』


 あっ、今の言い方、おじいちゃんに似てた。


『うるせ。まぁでもよ、この時期っつーのはあっという間に過ぎていくモンだからな。今しかない貴重な時期なんだから、後悔だけはしないようにしろよ。今しか掴めねぇモンってのは、確かにあるからさ。先達として言えるのはそんくれぇかな』


 ……うん。


『だから悪ぃ方向に考えて身動き取れねぇまま過ごすなんざ、もったいねぇぞ。そんでオレみてぇに未練になって残っちまったんじゃ、シャレにならねーから』


 そう言ったノラオは、少し沈黙を置いてから、あたしにこう語りかけた。


『……お前の場合はさ、オレと違って堂々と自分の気持ちを主張しても何の弊害もねぇんだから。……オレはさ、エージに自分の気持ちが気付かれちゃいけねぇ、気付かれたら終わりだって、ずっとそう思っていたから。気付かれた瞬間、エージとの関係も、人生も何もかも終わっちまうって、それを心底恐れていたから』


 ノラオ……。


『オレの時代は同性愛なんて認められてなかったし、男が男に告白するなんて考えられなくて、オレには隠すって選択肢しか思い付かなかった―――だから、スッゲェ苦しかったよ。今の時代だって、異性間の恋愛に比べたら同性間は相当ハードル高いモンがあると思う。もちろん異性間だって、想いを伝えるってのはスゲー勇気のいることなんだろうなってのは分かるけど……でも、それでも、失敗したからって社会的に死ぬわけじゃねーし、失くすものは恋心だけで済むっていうか―――何か、上手く言えねーけど』


 ―――ううん、分かるよ。


 性別の枠に阻まれて、好きな人に好きって言えない風潮。LGBTに対する意識が肯定的になってきているとはいえ、現実的にはまだまだ難しい壁が立ちはだかっているなって、あたしでも感じるもん。


 誰もが生まれ持ったありのままの自分自身で、性別に関係なく好きな人に向かって堂々と好きだと言える世界には、まだ遠い。


 結ばれるか結ばれないかはまた別にして、後ろめたい思いをすることなく自分の心に素直であれる、そんな世界が一日も早く実現してくれたらいいのにと、そう思う。


 その為にはあたし達一人一人が多様な性の在り方をしっかりと認知して、その思想を根底へと広げていかなければならないよね。


『―――だからヒマリ。結果は保証してやれねぇけど、お前のタイミングで行ける時には行っておけ、ってオレは思う。例え上手くいかなかったとしても、それでお前とレントの縁が切れる、ってことは多分、ねぇと思うから』


 ノラオがこんなふうにアドバイスをしてくれるなんて、初めてだ。


 ―――ふふ。何だか心許こころもとないなぁ。


 嬉しくてあったかい気持ちになるのとは裏腹に、あまのじゃくに微笑んでみせると、ノラオがきまり悪そうに口を尖らせる気配が伝わってきた。


『っ、しょうがねぇだろう? レントの気持ちなんて、レントにしか分かんねぇんだから』


 ウソウソ、ありがとう。柄にもなく落ちてたけど、おかげで元気出てきたよ。


 うっすら涙ぐみながらお礼を言うと、ノラオはちょっと照れくさそうに『おぅ』と返した。


 姿が見えていたらきっと、ちょっぴり頬を染めながら後ろ頭をかいていたんじゃないかなって思う。


 ―――何だか初めて、ノラオが年上な感じがしたかも。


 そんなことを考えて思わず笑みをこぼしたその時、スマホに着信が来た。


 ! 蓮人くん!?


 急いで画面を見ると、それは蓮人くんからじゃなくて、おじいちゃんからの着信だった。


 ―――おじいちゃん!


「もしもし?」


 通話に切り替えると、スマホの向こうから少し慌てたようなおじいちゃんの声が聞こえてきた。


陽葵ひまりか? 今、話しても大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」

「あのな、実はさっき、実家の姉ちゃんから連絡があって―――」


 もしかしたら、確認をお願いしていた例の名簿が見つかったのかな!?


 ゴクリと息を飲んで言葉の続きを待つあたしに、おじいちゃんから伝えられたのは、意外な内容だった。




「―――え……?」




 自分のものかノラオのものか分からない鼓動が跳ねて、思考が一瞬停止する。


「……わ、分かった。とりあえず、確認してみる……ありがとう―――」


 動揺を抑えながらどうにかそれだけ言って電話を切ると、ノラオがひどく動揺している様子が伝わってきた。


 ―――ノラオ、大丈夫? 今の話を聞いて、何か思い出した?


『―――っ……―――』


 ダメだ。色々聞きたいことがあるけれど、あたしとは比べ物にならないくらいノラオの動揺と混乱の度合いが大きい。


 まずはあたしだけでも落ち着いて、分かるところから状況を整理しなきゃ―――。


 その時またスマホが鳴って、画面に蓮人くんからのメッセージが表示された。




 今、どこにいる?




 それを見た瞬間、様々な感情が込み上げてきて、溢れて、あたしはポロポロ涙をこぼしながら、この公園にいるということを送信した。するとすぐにこんな返信が返ってきた。


 今から行くから、待ってて。


 あたしは一人頷きながら、待ってる、と返した。


 ―――蓮人くん。早く、早く会いたいよ。


 聞きたいこと、伝えたいこと、確認したいことが、いっぱいいっぱいあるよ。


 蓮人くんは「今学校の最寄り駅に着いた」、「今電車に乗った」、「もうすぐそっちの駅に着く」、と短いメッセージを何度もくれて、あたしはその間に感情を落ち着けながら、蓮人くんに伝えるべきこと、蓮人くんに確認すべきことを順序立てて考えた。


 夏になってだいぶ日が長くなった空が深みを増した夕焼け色に染まり、園内の人影もまばらになってきた頃、蓮人くんは姿を見せた。


 あたしがベンチから立ち上がって手を振ると、それに気付いて小走りでこちらへ駆け寄ってきた蓮人くんは、息を切らせながらあたしをこう呼んだ。




「―――陽葵ひま!」




 驚いて、目を瞠ったままぎこちなく動きを止めたあたしは、胸がいっぱいになって、声に出すとまた感情が溢れて泣いてしまいそうだったから、代わりに、精一杯の笑顔でそれに応えた。

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