第7話

 放課後、あたしと喜多川くんは連れ立って駅前の眼鏡ショップを訪れていた。


 バイトの紬は確認の場に立ち会えないことを残念がりながら、検証結果を報告するようあたしに言い置いて、バイト先へと向かった。


「確認するだけだし、どれでもいいか……」


 そう呟いて店頭の眼鏡を試着した喜多川くんの姿は、燦然と輝いた。


「眼鏡が違ってもキラキラする!」

「本当に?」


 試しに他の眼鏡もいくつかかけてみたけれど、どれをかけても喜多川くんはキラッキラで、この現象には喜多川くんプラス何でもいいけど眼鏡が必須だということが分かった。


 ちなみにサングラスはかけてもキラキラが発動しなかった。


 この結果から想像するに、喜多川くんに似た「エージ」ってひとが眼鏡男子で、眼鏡を外すと実際の「エージ」との齟齬が出るから、喜多川くんが眼鏡をかけている時にだけ、このキラキラ現象は起きるんじゃないだろうか―――。


 そんな推論を話し合いながらいつもの眼鏡姿に戻った喜多川くんを見て、あたしは何気なく思ったことを尋ねた。


「ねえ、喜多川くんはどうして眼鏡? コンタクトにはしないの?」

「特に理由っていう理由はないけど……楽だから? コンタクト目に入れるの、何となく怖いし」

「あっは、それ分かる! 同じ理由であたしカラコン入れられないもん。あ、目はいいんだよ? これ裸眼」

「目がいいのはうらやましいな。カラコン入れたいと思ったことはないけれど」


 あたしはしげしげと喜多川くんの顔を見た。今の眼鏡も良く似合ってるし、元がいいからさっき適当に試着した眼鏡も全部それなりに似合ってた。このクオリティでコンタクトにしないのはちょっともったいないかもしれないなぁ。


「せっかく整った顔しているから、一回くらいコンタクトにチャレンジしてみるのもアリかなーって思うけどね。紬なんて今日、喜多川くんの素顔見てキャーキャー騒いでたよ。喜多川くんみたいな知的で整った顔立ち、紬どストライクだから」


 そう言うと、喜多川くんは耳まで赤くなった。


 お?


「―――や、そんな。オレ地味だし、別にそんなふうに言われるような顔じゃないよ」

「いや、充分整ってる部類に入ると思うよ? 世間一般的に見て普通にカッコいいって。眼鏡でちょっと気付かれにくいだけで」

「ちょっ、ホントやめて。褒められ慣れてなくて、どう反応していいか……」


 喜多川くんはますます赤くなって、首まで真っ赤になった。


 うわー、何ていうか、ピュア! 何コレちょっと可愛いかも。 


「え、自覚なし? 今まであんまり言われてこなかった?」

「あんまりも何も、初めて言われた……」


 そうなの? 意外! この顔面ならきっと小さい頃から整った顔をしていたんだろうに。


「岩本さんはそういうの言われ慣れているのかもしれないけど、オレはホントそういう言葉に縁遠くて」


 喜多川くんにそう言われたあたしはポカンと目を丸くした。


「は、あたし? 何で?」


 メイクやオシャレは好きだし、自分なりに頑張ってはいるつもりだけど、残念ながら薄っぺらい褒め言葉を数えるくらいしかもらったことがない。


 それこそ言われ慣れてないんですけど!


 口元を片手で覆った喜多川くんは、そんなあたしから視線を逸らしながら、思いも寄らぬ一撃をブッこんできた。


「や、岩本さん普通に可愛いし。小柄で、髪の毛ふわふわしてて、いつも元気で明るくて賑やかで―――オレからすると、岩本さんの方がよっぽどキラキラしている人に見えるから」


 ぶほぉっ!!


 特大ブーメランを食らったあたしは、喜多川くんに負けないくらい真っ赤になった。


 そっ、そんなガチめな褒め言葉、男子から初めて言われた―――! きゃ―――っっっ!


 あ―――ヤバいヤバいヤバい、これは照れるね!


 あたしが! あたしが悪かったです!!


 何かちょっと可愛いと思って、深く考えずに褒め過ぎてゴメンナサイ!


 何気ない褒め言葉がこんなにハズいなんて思わなかった―――!


 顔! 熱!!


 思わず手でパタパタ顔をあおぐようにしていると、急に瞼がずん、と重くなるあの現象が来た。


 ―――あ。ヤバ。


「え、ここで!?」って言いたくなるようなタイミングに、すぅ、と血の気が引いていく―――あせる間もなく眠気が襲ってきて、そのまま意識が闇に引きずり込まれていきそうになったあたしは、大いにあせった。


 ヤバ……ヤバい! 喜多川くん……!


 またあたし、喜多川くんを襲っちゃうかも……!


 気が遠のくような眠気から逃れようと、あたしは必死に抗った。消えていきそうになる意識の底で闇雲に足掻いていると、昨日とは違う現象が起こった。


 ―――え。


 突然グンッ、と襟首をひっ掴まれて、そのまま後ろへ思いっきり放り投げられるような感覚―――目を見開くと、そこには眼鏡ショップの風景ではなく真っ暗な闇が広がっていて、その闇の中でただ一箇所、前方に見える窓みたいなところから明りがこぼれているのが見えた。


 尻もちをつくようにして座り込んだあたしの前には人の形をした影が立っていて、性別も輪郭も定かでないその影から、機械音声みたいな、男とも女ともつかない声が漏れた。


『ソコデ大人シク見テナ』


 その瞬間、理屈抜きにあたしは悟った。


 この影は夢で見た、あの部屋で独り膝を抱えていた「誰か」だ。


 そしてここはあたしの深層意識だ。あたしはあの影に自分の内部、精神の奥底の方へと追いやられていて、影は前方の窓みたいなところから差し込む明りへと向かって歩き出していた。


 窓みたいなところからは外の風景が見えて、あの影が明りの下へ出て行った瞬間、主導権を乗っ取られてしまうと超感覚的に察したあたしは、慌てて立ち上がってその後を追ったけれど、何だか足が重くて、思うように動かせない。


「―――ま、待って!」


 あせりまくって叫ぶけど影は足を止めなくて、「窓」から見える喜多川くんがあたしの異変に気が付いて心配そうに声をかけている様子が映り、あせりが最高潮に達したあたしは、足がもつれるようになりながら火事場のバカ力的ジャンプをして、背後から影に抱きつくようにしながら、必死でその背に取り縋った。


 瞬間、あたしが触れた先から、影が纏っていた黒いモヤみたいなものが一斉に飛び散って、その下から、二十代半ばくらいの男の人の姿が現れた。


 色素の薄い柔らかそうな茶色の猫っ毛に、人懐きの悪そうな顔が印象的な、細身の青年。


 赤系の長袖タータンチェックのシャツの下に白Tシャツを着ていて、下はGパンにスニーカーという格好をしている。


 ―――!? 


 その姿に、あたしは愕然と目を見開いた。


 おと……!?


 まさかの、男!?


 その意外過ぎる正体に一瞬思考が停止したあたしのおでこを、そいつは容赦なくバチコーン! と平手で叩いて押し戻すと、あろうことか中指をおっ立てて舌を突き出してみせたのだ。


『邪魔。スッ込んでろ』


 そのまま華麗にジャンプするようにして青年は明りの中へと消えていき、一人暗闇の中に取り残されてしまったあたしは、やり場のない憤りにブチ切れた声を張り上げた。


「はッ―――はあぁぁぁぁッ!?」

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