第5話 大脱出


どのくらいの時間、気を失っていたのだろう…。

頭からキンキンに冷えた水をかけられ、俺は意識を取り戻した。

後頭部がズキズキ痛む。痛む箇所を抑えようとしたが、両手は後ろ手に縛られ、そればかりか両足も体もがんじがらめに縛りつけられている。

意識がハッキリしてくると、どこかの無機質な部屋の床に、俺は横たわっていた。


「バケツで氷水かけられて、ようやく気がついたかい?ダンディーの旦那☆」

目の前には黒ハットの男が立っていた。

男の横には、ゴリラのような大男が控えている。

どちらも2サイズは小さいと思われる真っ赤なタンクトップと白いスパッツが、黒い肌にピッチピチにフィットしていた。

おそらくこいつが壁の中へ小田切を拉致った男だろう。遠くからでもゴリラ並みの太さに見えた腕は、近くで見ると象の足並みと言い換える必要を感じた。

そして、サングラスもマスクも外した黒ハットの男の顔は、間近で見て初めて、麻薬密売人として銀河中に重要参考人手配されている人物に間違いないとわかった。

「やっと思い出したぜ…てめぇ流しの龍か…」

「銀河一の呼び声高い刑事さんに名前を覚えてもらえてるたぁ光栄だね☆」

「ここはどこだ?」

「ここは元警察署だよ☆もちろん今は廃墟だが、元警察署が悪党のアジトになってるなんて笑い話だろ?」

「確かにな。…てめぇ、小田切はどうした」

「小田切?そりゃあ、あんたの連れのことかい?名前は知らねぇが、あんたの連れなら…ほら、あそこにぶら下がってるぜ☆」

流しの龍が指差す方を見ると、ガラス越しの隣の部屋に、なぜか素っ裸で逆さ吊りにされている小田切がいた。

「小田切に何をした」

「俺は薬で眠らせただけだ☆ただ、コイツがね☆」

龍は大男の方へ頭をクイっと傾けた。

「そこのゴリラ男が何だ?」

「コイツ、やたらあのお兄ちゃんがお気に入りでね☆多少ケツの穴は広がっちまったかも知れねぇなぁ☆」

「な……(-△-;)」

その言葉の意味は簡単に理解できた。

無意識にケツの穴がキュッと閉まる。

「俺のケツはそう簡単に開かねぇぞ!」

「心配すんな☆ダンディーの旦那には、色々と教えてほしいことがあるんだよ☆」

「俺がそれに答えるとでも?」

「まさか☆何を聞いたところでマトモに答えちゃくれないことぐらい俺でも解る☆」

「そのためのゴリラ男ってわけか…」

「確かにコイツはドSだから口を割らせる役目には適任なんだがな、コイツよりもっと効果的なもんがあるんだよ☆」

「………」

「へへへ、コレだ☆」

龍は、何か薬剤の入った注射器を摘まんで見せた。

「シャブか…」

「チッ、チッ、チッ☆」

龍は顔の前で注射器を左右に振りながらニヤケている。

「こいつはヘブンと言ってな、強制自白剤と筋弛緩剤が合わさったもんだ。少量の投与でシャブより飛べるってんで、東京シティのクソガキ共の間で大流行なんだ☆もちろん非合法だがな☆」

「そんなもんで俺が口を割るとでも?」

「どこまで強がってられるかな?見てみろ、ヘブンならあの棚の中に腐るほどあるんだぜ?( ̄ー ̄)」

龍が顎で示した先にあるガラス戸のロッカーには、薬剤入りの注射器が何十本も入ったプラスチックケースがいくつも納められている。

「あれを全部売りさばけば、あんたら刑事さんの年収の何倍にもなるんだ☆せっかくの金儲けのネタを、なるべく余計なことで使いたくねぇんだ、早いとこ素直になってくれよ?」

「ナメんなよ?」

「そうイキがるなって☆旦那を痛ぶるのはコイツに任せて、俺は野暮用で少し出掛けてくる。戻るまでには素直なイイ子になってることを祈ってるぜ」

龍は小指を立て、ヤらしい顔で舌舐めずりをしながら腰を前後に振った。

「チッ…」

「ま、せいぜいヘブンの打ち過ぎで死なねぇようにな☆」

そう言い残し、注射器をゴリラ男に手渡すと龍は部屋を出て行った。


「グフ♪ グフフフ♪」

大男は俺と二人きりになると、ブサイクな顔をより一層ブサイクにして近付いてきた。

グローブのような大きな手に握られた注射器が、まるで爪楊枝のように見える。

「なあ、注射はやめようぜ…俺は注射が大の苦手なんだ…」

「グフ♪ グフフ♪」

「こいつ、言葉通じねぇのか…」

俺は近付く大男から逃げるべく、ロープでがんじがらめの状態で、まるで尺取り虫のようにヘコヘコ進んだ。

「待て!待て!止まれって!」

「グフ♪ グフフ♪」

簡単に追い付いた大男は、片手で両足首を掴むと、80kgある俺の体を左手一本で軽々と持ち上げた。俺も小田切同様、逆さ吊りにされたわけだ。

「ちょっと!逆さ吊りはやめねぇか?頭に血が昇っちまうよ…」

「グフ♪ グフフフ♪」

大男は、いよいよ注射器の針のカバーキャップを口に咥えて外した。

「まぁ待て!まずは話し合おう!な?」

「グフ♪ グフフーッッ☆」

これから起こる出来事を想像して興奮したのか、大男のテンションが跳ね上がった。

「その注射1本で幾らの儲けになるか知って…」

ブスッッ!

「ぐわ~~ッッ!!」

大男は何の躊躇もなく注射器を俺のケツに突き立てた。

「ゴリラ野郎!刺すなら刺すって言いやがれ!いきなりブッ刺されたら心の準備ができねぇだろが!」

「グワッハッハッハッ♪」

大男は、喚き散らす俺をおもしろがって、突き刺したままの注射器をグリグリし始めた。

「痛ぇぇぇ~ッッ!てめぇッ!ちったぁ情けってもんがねぇのか!だいたい何でケツなんだよ!注射っつったらフツー腕だろが!」

「グフ♪ グフ♪ グフフーッ♪」

焦点の定まらない恍惚とした表情の大男は、ケツの注射器を投げ捨てると、今度は逆さ吊りの俺の腹をサンドバッグのように殴り始めた。

ドスッ!「ぐぇ!」

ドスッ!「ぶはッ!」

一発一発がまるで象に踏みつけられてるような重量級パンチに俺は耐え続けた。

「てめぇ、きたねぇぞ!…こっちはグルグル巻きで身動きとれねぇってのに!」

ドスッ!「がッ!」

ドスッ!「げふッ!」

必死に今の状況から脱出する方法を考えた。

しかし、両手両足を縛られてる上に逆さ吊りの状態では思うように反撃できない。

「グフフーッッ☆ウホッ!ウホッ!」

大男の方は、ますます興奮のボルテージが上がってるようだ。

「もういいだろ?殴るのやめてくれたらバナナ1年分贈ってやるから、な?」

ドスッ!「ぐわ!」

薬の影響か、重量級パンチの影響か、徐々に意識が朦朧としてきた。

「くそ~…今の俺に残された攻撃方法はこれしかねぇ!これでも食らいやがれ!」

ガブッッ!!

俺は闇雲に、目の前の大男の体に思いっきり噛みついた。

「NO~~~ッッ!!!」

突然の激痛に叫び声を上げ、苦悶の表情でパンチの連打を繰り出す。

俺はどれだけボディーブローを食らっても、内臓が口から飛び出しそうになるのを必死に堪えながら、噛みついた顎の力を緩めることはなかった。

激痛に耐えきれなくなった大男は、ついに俺を放り投げた。

それでも俺は噛みついた体を放さなかった。

結果、大男の体の一部は肉体から切り離される運命をたどった。

「グオォォォ~ッッ!」

大男はその場にうずくまる。

放り投げられた俺はガラス戸のロッカーに激突し、ガラス戸は割れ、中からいくつものプラスチックケースが頭上に降り注いだ。

「痛ってぇ~…」

がんじがらめに縛られた状態では受け身のとりようもなく、体のあちこちが痛んだ。

周りは割れたガラスと、ケースの蓋が開いて撒き散らされた薬剤入りの注射器が散乱している。

俺はすかさず適当なガラスを拾い上げ、後ろ手にロープの切断を始める。過去に何度も経験してきた俺にとって、ロープの切断など手慣れたものだ。

いとも簡単にブツン!とロープが切れ、やっと体の自由を取り戻した。

「グオ……グオォ……」

大男はまだ体の一部を押さえて前屈みにうずくまったままだ。

大男のピチピチのスパッツの股の部分は血で真っ赤に染まり、よく見ると、大男が押さえているのは股間のあたり…。

「ちょっと待てよ?……ドSなゴリラ男は興奮してたし、逆さ吊りにされた俺の目の前にあって、ちょうど噛みつきやすい具合に張り出してた体の一部って……(-_-;)」

ぺっ!ぺっ!ぺっ!

噛みちぎった部分が判明すると同時に吐き気がしてきた。

「しかもそれって小田切のケツに…(-△-;)」

ぺぺぺぺぺッッ!

一瞬、気絶しかけた。

「ゴリラ男!てめぇ、よりによってとんでもねぇもんに食いつかせやがったな!バカヤロー!」

俺は腹いせに、手元に転がってた注射器を大男に投げつけた。

プスッ…

注射器は見事に大男のデカ尻に突き刺さる。

「こりゃ面白い♪」

俺は、手当たり次第にカバーキャップを外し、ダーツを楽しむように注射器を投げ続けた。

プスッ…「オ~ゥ…」

プスッ…「ア~ォ…」

大男は、注射器が自分のデカ尻に突き刺さるたびに、苦痛とも歓喜とも取れるなまめかしい声を上げていた。

気がつけば、手近な注射器はほぼなくなり、大男の尻には何十本もの注射器が突き刺さっていた。

「こりゃ死んじまったかな?…」

案の定、大男は白目をむいて口から泡を吹いて事切れていた。

「こんだけヘブンを打たれたら当然か…ま、俺を痛ぶったんだから自業自得ってやつだ」

ちょうどその時、窓の外で車の停まる音がした。

窓を開け外を見ると、黒塗りの車が3台、建物の前に停まるところだった。

ここが5階であることも、このとき初めて知った。

先頭の車から降りてきたのは流しの龍だ。

「あの野郎、女と野暮用ってのはブラフか…」

次の車から降りてきた人物を見て、俺は固まった。

「…スナイパー・ジョー!」

何人もの用心棒を引き連れて車を降りてきたのは、紛れもなくスナイパー・ジョーだった。

多勢に無勢、しかもこっちは丸腰で、大男との格闘のダメージも相当な上に、薬まで打たれた状態で、万が一にも勝ち目などないのは明白だった。

今は逃げるが得策と、ドアを開けた正面のエレベーターは1階へ降下を開始していた。おそらくジョーや龍たちが呼んだのであろう。

俺は仕方なく非常階段を使って建物から脱出し、近くにあったマンホールから地下へ潜った…。



大男に打たれた薬が効いてきたのか、徐々に意識は遠退き、足元もふらついているのを自覚しながら、俺はとにかく下水道を進んだ。

東京シティの地下に張り巡らされた下水道は車が通れるくらいの広さがあり、下水だけでなくガスや電気や水道などのライフラインのパイプが何本も壁際を走っていた。

そして驚いたことに、そこは、家を持たない連中の生活空間としても機能していた。

確かに、衛生面を除けば、治安の悪い地上よりも安全なのかも知れない。

ドラム缶に火を起こし焚き火を囲んで談笑する者、地べたに座り込んで食事をとる者、実に様々な人達がそこで生活していた。

そして、裸で寝ている男の子を見て、俺はとんでもないものを忘れてきたことに気がついた。

「小田切……(-△-;)」

俺はその場に倒れこみ、意識を失った…。



=つづく=

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