第25話 副団長の覚悟

 ユーニの思わぬ力の発動によって、地上での戦いは一変していた。

 アイリスたちを喰らおうとしていた無数の死屍たちは一人残らず消えていて、目の前に立っている相手はいつの間にか朱音のみとなっていた。


「ちっ、まさか霊獣族が仲間におったなんて……」

 

 力の解放と泣き疲れによってコルンの胸元で眠っているユーニを睨みつける朱音。尋常ならぬ力の重圧から身を守る為に、彼女自身もかなりのエーテルを消費していたのか、すぐに大技を仕掛けてくる様子はない。

 そのことに気づいたアイリスは、側にいる仲間たちに向かって静かに呟く。


「今から私が隙を作るわ。その間にあなた達は逃げなさい」

「で、でも……」

 

 副団長からの言葉に、思わず戸惑った表情を浮かべるコルンとシズク。けれどもそんな彼女たちに向かってアイリスは冷静な声音で言葉を続ける。


「最悪なのはここで全滅してしまうことよ。あなた達が飛空艇まで戻ることができればまだ活路は残されているわ」

「……」

 

 その言葉に副団長としての覚悟を感じ取ったのか、黙ったままアイリスのことを見つめる二人。


「何をさっきからごちゃごちゃ話してんねん! これぐらいでウチに勝てたと思うなやッ」

 

 再び怒涛の言葉を発した朱音が、そのまま続け様にパチンと指を鳴らした。するとその瞬間、彼女の目の前に現れた巨大な鎌がアイリスたちに向かって勢いよく襲い掛かる。


【防壁展開・エーテルウォール】

 

 自分たちに向かって一直線に飛んできた相手の攻撃を、アイリスが展開した光壁が防ぐ。 

 それと同時に「行きなさい!」と声を上げた彼女の言葉に、その場で顔を見合わせたシズクとコルンは小さく頷くとすぐさま走り始めた。


「はっ、一人も逃がすわけないやろッ!」

 

 背を向ける相手に向かってそんな言葉を発した朱音は、再び指を鳴らすと今度は無数のナイフを生み出す。

 そしてそれらが逃げるシズクたちに向かって一斉に放たれた直後、アイリスの身体が青い燐光に包まれた。


【属性展開・アイスドーム】

 

 アイリスの周囲に青い光が放たれた瞬間だった。それは次々と巨大な氷の壁を生み出して彼女と朱音がいる場所を囲っていくではないか。


「なっ!」


 自分が放った技がアイリスの術によって遮られ、さらには氷の中に閉じ込められてしまった朱音が驚きの声を漏らす。


「これでもう追いかけることはできないわね」

「……」


 敵を己の術の中に閉じ込め、鋭い瞳で相手のことを睨みつけるアイリス。するとその強気な視線を受け取った朱音が、「はっ」と笑い声を漏らす。


「こんな氷程度でウチを閉じ込めれるわけないやろ!」


 朱音はそう叫ぶとまたも生み出した大鎌を頭上に広がる氷に向かって勢いよく放った。

 直後その鋭い刃先と破壊力によって氷はガラスのごとく粉々に粉砕されてしまう。

 ……だが、


「――ッ!?」


 大鎌の一撃によって頭上に大穴を空けたはずが、それは朱音の視界の中で瞬く間に再生され始めたではないか。


「無駄よ。この氷は私の意思そのもの、割れたところで何度でも再生するわ」

「ちっ……」


 アイリスの言葉を聞いて、面倒だといわんばかりに舌打ちを鳴らす朱音。

 けれども彼女はすぐに表情を戻すと、今度はニヤリとした不敵な笑みを浮かべる。


「まあそれやったらさっさとアンタを殺せばいいだけか」

 

 急激にエーテル量が上がった相手を前に、アイリスが咄嗟に身構える。すると彼女の目の前で、朱音は握りしめている箒を地面へと突き刺した。


【死霊降臨・骨竜りゅうこつ大蛇だいじゃ

 

 朱音が術を解き放った瞬間、彼女の足元に黒い影が広がり始めた。そしてその直後、生まれた影の中から骨だけとなった巨大な蛇が姿を現す。


「――ッ!」


 勢いよく自分へと飛びかかってきた骨の大蛇を、アイリスは咄嗟に飛び退けるとすぐさま反撃を開始。


【属性展開・アイスフロスト】

 

 アイリスの術によって大蛇は一瞬にして氷漬けにされてしまい、そしてすぐに氷ごと粉々にされてしまった。


 だが、それに安堵したのも束の間。

 粉々にされたはずの大蛇の骨は再び影のような状態に戻ったかと思うと、今度は氷の中から染み出してきて、先ほどと同じく巨大な体躯を形成していく。


「無駄や無駄ッ! アンタの氷と同じでウチの蛇も倒したところで何度でも復活するで!」


 現れた時とまったく同じ姿に戻ってしまった異形の生物を前に、思わず舌打ちを鳴らすアイリス。

 するとその直後、彼女の視界の中に突然巨大な尻尾が迫ってきた。


「くッーー」

 

 アイリスは咄嗟に光壁を展開すると相手の一撃を寸でのところで防ぎ切る。

 だがしかし、凄まじい破壊力によって光壁はミシミシと音を鳴らしながらアイリスの目の前でひび割れていく。


「これならどうやッ!」

 

 身動きが取れず防御に徹する彼女を前に、朱音は箒を大蛇にかざすとさらに力を注ぎ込む。

 直後、一段と大きくなった大蛇の一撃が、アイリスの光壁を粉砕する。


「ぐっ……」


 咄嗟に大蛇の直撃からはま逃れたとはいえ、アイリスは衝撃によって後方へと吹き飛ばされてしまう。

 全身を強打して苦痛に顔を歪める彼女を見て、朱音が呆れた声で言う。


「それにしてもほんなアホやな。弱いやつなんてほっといて、自分だけでも先に逃げとけば助かったのに」


 膝をつくアイリスに向かって、そんな言葉を吐き捨てる朱音。けれどもアイリスは相手のことを睨み上げると、静かな口調で告げる。


「だから何度も言ってるでしょう……仲間を見捨てるわけがないって」

「……」

 

 痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がりながらも、それでもなお自分の意思を曲げないアイリス。

 そんな彼女の姿に、朱音が憎々しげにその口元を歪めた。


「人の家族も、友達も……何もかも全部奪ってきた獣人がほざくなやッ!」

 

 怒りの言葉と共に朱音が指を鳴らした直後、再び現れた大鎌がアイリスに向かって襲いかかった。

 それを彼女は咄嗟に防壁を展開して防ぐも、今度は真横から襲いかかってきた大蛇の攻撃に一瞬遅れをとってしまう。


「――ッ!?」


防壁もろとも吹き飛ばされてしまったアイリスが宙を舞った直後、辺りを覆っていた氷の壁が砕け散って消えていく。

 そして灰色の空の下に投げ出されてしまった彼女は、地面に激突する寸前何とか受け身を取って立ち上がる。


「はっ、氷が消えたってことはアンタもそろそろ終わりやな」

「……」


 肩で息をしながら、全身の激痛に耐えるアイリス。そんな彼女の姿を見て、朱音は冷め切った口調で言う。


「そもそもここは人間のための世界や。獣人のアンタらに居場所なんてないし、ましてや弱い奴には生きる資格なんてない」

 

 殺気の増した声音で朱音が告げた言葉に、アイリスの胸の奥で黒い影が疼く。


 わかっている。

 この世界は弱者である限り、奪われ続けるしかないと。だから自分は、かつて失ってしまったのだと。


 憧れも、大切な絆も、唯一あった自分の居場所も。

 自分が弱かったせいで、自分が臆病だったせいで。

 大好きだった姉は、この命の身代わりとなって、人間たちに連れて行かれてしまったのだと……


 無意識にあの時の情景を思い出してしまったアイリスは、思わず強く歯を噛み締める。 

 そして彼女は痛む身体に鞭打ちながらも、再び強い瞳で相手のことを睨みつけた。


「なんやねんその目は。まだ諦めへんつもりか?」


 苛立った声音と共に鋭い目で睨み返してくる朱音。それでもアイリスが怖気付く様子はまったくない。

 彼女の心は、メビウス飛空艇団に入った時からすでに覚悟は決まっている。


 これから先どんな脅威が立ちはだかろうと、あの時のように後悔しない為に、自分は大切な繋がりは守り抜くのだと……

 

 互いに譲れないものを持った二人が、再び構えて己の身体からエーテルを放った時だった。

 突如として彼女たちの足元が激しく揺れ始めた。


「――ッ!?」


 揺れと共に倒れてきた建物を咄嗟に避けた二人は、慌てた様子で周囲の状況を確認する。


「ちっ、さては天閣のやつしくじったんやな……」


 大樹を見上げてそんな言葉を呟いた朱音は、再び目の前にいるアイリスのことを睨みつける。


「悪いけど、もうアンタと遊んでる暇も無くなったわ。次で終わらせてもらうで」


 そう言って握りしめている箒に強大なエーテルを注ぎ込んでいく朱音。

 そして彼女はアイリスのことを睨みつけたままクスリと笑う。


「でもまあ一人寂しく死んでいくのは、兎のアンタにはピッタリちゃう?」


 馬鹿にした声音でそんな挑発の言葉を口にした相手に、アイリスはただ静かな声で「……そうね」と答える。


「一人なら……誰にも遠慮する必要がないわね」

 

 そう言って、何故か小さく微笑むアイリス。その直後、朱音を映す彼女の瞳が、異様なまでの強い輝きを帯び始めた。そして、


ーー【獣人解放・鉄血の兎】。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る