第42話

 悪い冗談だと思った。

 それは城ケ崎も同じだったらしい。

 わたしたちはお互い無言で顔を見合わせた。


「……あの、何を言ってるんです? 支倉はせくらさんなら毒入りの寿司を食べて死んだではありませんか」

 綿貫はキョトンとしている。


嗚呼ああ、そうだったね。随分昔のことだから、すっかり忘れてたよ」


 突然、声も喋り方もガラリと変わった。

 それは確かに生前の支倉と同じ声と喋り方だ。


「だけどあれは僕じゃない。整形手術によって僕の顔そっくりになった、別人だ。顔が変わったショックで、どうも彼はすっかり自分のことを僕だと思い込んでしまったようだけれどね。同じように僕も顔を変え、綿貫リエのふりをしていたというわけさ」


「…………」


 とても信じられるような話ではない。

 出まかせに決まっている。


「嘘です。そんな苦し紛れの言い逃れで誤魔化そうとしても無駄です」


「あれれ? おかしいな鈴村すずむら君。確か君はさっきまで僕を庇ってくれていたのではなかったかな? 君は僕と城ケ崎君のどっちの味方なんだい?」


 そんなこと、分からない。

 しかし、真実をこんな形で有耶無耶にされることを、わたしは許せないと感じたのだ。


 それは怒りにも似た感情だ。


「わたしは、本当のことが知りたいだけです」


「……うーん、困ったね。どうも君たちは僕の話が信じられないみたいだけど、僕は何一つ嘘など吐いていないんだ。そこで聞かせて欲しいのだけれど、何故僕の話を嘘だと決め付けるんだい? その根拠が聞きたいね」


「わたしは綿貫さんの顔をテレビで何度も見て知っています」


「嗚呼」

 綿貫が大袈裟に天を仰いだ。


「幾らテレビで見たからといって、実際に会ったこともない人間の顔を知っていると君は言い切れるのかい? 探偵は一つの事件につき一人までという業界の通例もあることだし、ここに集まった探偵たちと直接顔を合わせることだってこれが初めてのことなんだろう? そんな君に、探偵たちが本物かどうかを見極めることは控えめに言って不可能だ。

 それから遊戯室で君は僕にこう言ったね。『綿貫さんってテレビで見るより実物の方がずっと御綺麗なんですね』と。あれは正にその通りだったんだ。何故なら僕は綿貫リエではなく別人、支倉貴人なのだから」


「……うぐ」


 言い返せない。

 わたしは遊戯室での失言を苦々しく思う。


「ですが、残酷館の客室の扉は全て顔認証をパスしなければ開かない仕組みになっていますよね? あなたが綿貫さんでないのなら、どうやって綿貫さんの部屋の扉を開けたのですか?」


「それも容易く答えられる質問だ。烏丸は顔認証に使われる写真は残酷館に入るときに撮られたものだと説明した筈だよ。つまり、顔認証に使われたのは綿貫の写真ではなく、綿貫の顔に整形した僕の写真というわけさ。

 ついでに言っておくと、烏丸は僕と僕の偽者の名前は一度も呼んでいない。僕のやったことはあくまでフェアプレイであるということをここに付け加えておこう」


「何がフェアプレイだ」

 城ケ崎が吐き捨てるように言った。


「お前は最初からそうやって逃げ道を用意していたのだろう?」


「おやおや、これは心外だなァ。これでも僕は君たちに納得のいく説明をしようと心を砕いているのに」


「どこがだ。大体すり替わり自体がアンフェアだろうが。そんなもの、推理しようがないだろう」


「……ふーむ、僕はそうは思わないな。探偵側の勝利条件として、犯人の名前を答えることは最初に説明されていた筈だよ。それにゲームの勝者への莫大な賞金を聞いた時点で、犯人が支倉貴人であるということは充分推理可能だと思うね。そもそも僕は今までずっと君たちの前に顔を晒している。僕が綿貫リエではないことに気付くチャンスは幾らでもあった筈だ」


 そこで城ケ崎の口角が凶悪に吊り上がる。

 敵が罠にかかったのだ。


「ならば一つ訊こう。『寿司アンルーレット』でのお前の死んだふりはどう説明する? あれは現役の女優である綿貫リエだからこそ出来た芸当だ。あの迫真の演技がお前の正体を物語っている。まさか支倉貴人にも同じことが出来るとでも言うつもりか?」


 ――そうか。

 あのとき、綿貫は苦しみもがき、口から泡を吹いて倒れた。そして脈と呼吸まで止めていた。

 あんなことは超一流の演者でなければ不可能だろう。


「……うーん、参ったな。流石にそれは出来ないね」


 綿貫はあっさり自説の無理を認めた。

 それが、あたかも取るに足りないことのように。


 漸く冷静さを取り戻しつつあった城ケ崎も、この反応は想定外だったようだ。大きく目を見開いている。


「……まさか貴様、ふざけているのか?」


「いいや、僕はいたって大真面目さ。ただ、僕には死んだふりの演技なんてする必要はなかったんだよ。城ケ崎君、君は『寿司アンルーレット』での取り決めを忘れているんじゃないか?」


「何だと?」


「いいかい、烏丸の説明では毒入りの寿司が紛れていると言っただけで、それが一貫だとは言っていない。奇しくも君が指摘したことだよ?」


「……まさか」

 城ケ崎の顔色がさっと青ざめる。


「あの中に、寿。そして毒入り寿司には、それぞれ別の毒薬を盛っておいた。。僕が真っ先に寿司を選んだのは、他の誰かにこの毒薬を食べられることを防ぐ為だった」


「…………馬鹿な、あり得ない!?」

 黒い影がわなわなと震えている。


「飲めば必ず仮死状態になり、その後確実に目を覚ます。そんな毒薬はこの世の何処にも存在しない。存在するわけがない」


「その通り、この毒はそんな都合のいいものじゃない。この毒を仮死状態になるまで服用すれば、致死量まであと僅か。運が悪ければ、そのまま目覚めないことも充分あり得ただろうね」


「…………」


 いかれている、と思った。

 その話が本当だとすれば、犯人は命知らずもいいところだ。

 そもそも、犯人は城ケ崎に犯行を見破られるかどうかなど分からなかったのだ。城ケ崎が犯人をここまで追い詰めなければ、この命懸けのなり替わりは全く無意味なものになってしまう。


 そんな無駄になるかもしれない保険の為に、犯人は命まで賭けたというのか?


「あり得ない」


「馬鹿げていると思うかい?」

 犯人は可笑しそうに笑っていた。


 否、待てよ。

 本当にそんなことが可能か?

 犯人にとって、わたしの存在は不確定要素だった筈だ。

 わたしさえ残酷館に来なければ、『寿司アンルーレット』で脱落者を決める必要すらなかったのだ。予め人数調整が必要な場合に備えていたとしても、そこまで準備出来るものだろうか?

 それに相手は綿貫リエだ。

 全ては支倉になりすました演技という線の方が濃厚ではないのか?


「証拠はあるんですか?」


 わたしは平静を装って、そう言った。だが、それが上手くいったかどうかは分からない。うなじの毛がこわばるのが、自分でもよく分かる。


「証拠?」


「今の話は全て可能性の話です。先生の推理の不完全さを指摘するものではあっても、あなたの言うことが真実であるという根拠はないに等しい。あなたが支倉貴人だという証拠はあるのですか?」


「……んー」


 綿貫はポリポリ頭をかいている。

 教師が出来の悪い生徒に、どうやって説明すればいいか迷うような素振りだ。


「何というか、君は自分の立場が分かっていないようだね。回答を誤った時点で、君たちの負けは確定している。君たちは僕の説明を受け入れるしかないんだ。それでも僕の説明に不服なら、証拠を示すのは僕ではなくむしろ君たちの方だろう? 僕に君たちへの証明の義務はない」


「…………」


 城ケ崎はこういう事態を想定していた。

 そしてその為の対策も用意していたのだ。

 にも拘らず、わたしたちは犯人を前に成す術がない。

 無力だ。


「……と言いたいところだけれど、反証をすると言っておいて証拠も出さないのでは流石に君たちも納得いかないだろう。僕としても、決着をこれ以上引き延ばすのは本意ではない」


「……まさか、本当に証拠があるのか!?」

 城ケ崎が掠れた声で呟いた。

 首を折り曲げた極端な猫背の姿勢のまま、虚ろな瞳でじっと綿貫を見つめている。


「城ケ崎君、もう一つ君の敗因を教えておこう。君はあまりにも紳士的過ぎた。僕を部屋に泊めた夜、君は僕の身体くらい調べておくべきだったんだ。あの夜、僕は目隠しをされた上に手足を拘束されていた。何をされたとしても抵抗は出来なかったし、僕はそのことをある程度まで覚悟していたんだ。もしや城ケ崎君、君は女性の身体に興味がないのではないのかな?」


 犯人は白いワンピースの裾を一気にたくし上げた。


 城ケ崎とわたしは息を飲む。


「……え!?」


 ――そこには、女性には本来あってはならない。  

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