第4話 9

 フラウディール学園には騎士や魔道士を育成する課程もある為、運動場の脇に闘技場が設けられている。


 生徒に大きな怪我をさせないよう、一定のダメージを無効化する魔道刻印が施された施設だ。


 シャルロッテは、だから生徒達に危機感が薄く、ヌルく構える原因になっていると言うのだけれど、学園側としては貴族の子女を預かる以上、万が一に備えたいというところなのだろうと、エレノアは考えていた。


 ――聖女が勇者に決闘を申し込んだ!


 その噂は瞬く間に学園内を駆け抜けて。


(全校生徒に観戦の許可を与えるなんて……シャルお姉様……)


 シャルロッテはアレクが勇者を騙っていた事、イリアこそが真の意味での勇者を知らしめる目的だったのだが、そうとは知らないエレノアはひどく大事になった事態に困惑する。


 聖女の名を用いての要請であった為、学園側も拒否できなかったようだ。


 元々派手な事は好まないはずのシャルロッテが、ここまでの大事にするのだから、なにかしら意図があるのだろうとは察するものの、その意図がエレノアには読めない。


 シャルロッテが勇者アレク・オディールに接触する為に、学園を訪れたのは聞かされている。


 なぜ急に勇者に興味を持ったのかはわからないけれど、きっと深い考えがあるのだろうと、エレノアは考えていた。


 だが、それがどう巡り巡って決闘する事になるのか。


 しかも学園に来て二日目で、だ。


 展開が早すぎて、エレノアの理解が追いつかない。


 全生徒が観客席に詰めかける中、闘技場中央の舞台には、決闘の当事者達が対峙していた。


 聖女の戦装束バトル・ドレスで悠然と腕組みして立つシャルロッテのすぐ隣には、制服の上から軽装鎧を身に着けたイリアの姿。


(なぜイリアさんまで、あそこに……)


 それもまた、エレノアが理解できない状況だった。


 確かに昨日の昼に、イリアの事はシャルロッテに伝えた。


 けれど、なにをどうしたらその翌日に、一緒に決闘の舞台に立つ事になるのか。


 対する勇者アレクは騎士甲冑を身に着けている。


 彼の周囲にいる女子生徒達は運動着だ。


「さて、状況がわからないだろうから、説明するわね」


 シャルロッテが観客席を見回して、よく通る声で告げる。


「私はね、アレク・オディールが本当に勇者なのか――疑問なのよ」


 シャルロッテは今はまだ、アレクの罪を公表するつもりはなかった。


 勇者としての肩書を剥ぎ取ってからでなければ、信憑性を疑われる恐れがあるからだ。


「勇者とは、エリオバートにおいて、聖女と共に武を担う双翼。

 でも、私から見て、彼はあまりにもお粗末すぎると思うの」


 その言葉に、会場がざわつき始める。


「けど、アレク様は魔獣の群れを退治なさっているわ」


 エレノアの隣で、女子生徒が呟いた。


「だから、ちょっと彼の実力を見ようと思って、この決闘を催したわ。

 そして――」


 シャルロッテはイリアの背に手を回し、再び観客席を見回した。


「私の見立てだと、彼女が真の勇者のはずなのよね」


 会場が衝撃にどよめく。


「そんなバカな!」


「平民が勇者ですって!?」


 アレクの取り巻き女子が驚きの声をあげる。


 ただ、アレクだけは押し黙ったままシャルロッテを睨みつけていて。


 シャルロッテは肩をすくめて、その声をあざ笑う。


「聖女も勇者も、その誕生に身分なんて関係ないわ。

 ――重要なのは、その力の有無だけ」


 暗にアレクにはその力がなく、イリアにはあるのだとシャルロッテは告げる。


「そ、そう言えばアレク先輩が魔獣を討伐してるトコって、誰も見たことないんだよな……」


 エレノアの隣の男子生徒――騎士志望で、腕試しと鍛錬を兼ねて冒険者活動をしてる子だ――が、ポツリと呟いた。


 それは波紋のように、生徒達に広がって行き……


 アレクが勇者である事に、疑問を示す声が増え始める。


「――みんな、待って欲しい。

 みんなも知っているように、聖女様は気が短い。

 昨日の魔法実習の僕を見て、早合点なさってるんだ!」


 アレクもまた、シャルロッテがそうしたように、観客席を見回して。


「考えてもみてくれ。

 勇者の僕が、授業なんかで本気を出すわけがないだろう?

 手を抜いていたのを、実力と勘違いされたんだ!」


 彼の言い分に、エレノアはイラっと来たのだが。


 当のシャルロッテは涼しい顔だ。


「なら、当然、この決闘では本気を見せてくれるのでしょうね?」


「女性に手をあげるのは不本意だけどね……」


 そう言って肩をすくめるアレクに、シャルロッテは首を振る。


「本当に、言い訳だけは一人前なのね。

 まあいいわ。

 まずはイリア達からよ」


 いくらシャルロッテがイリアの実力を保証したとしても、生徒達は実際に見たわけではない。


 だからこそ、先にその力を見せつけておく必要があった。


 シャルロッテが壁際まで下がり。


「……イリア、わかっているな?」


 アレクは去り際に、イリアに語りかける。


 そう告げれば、いつものイリアなら配慮して、負けるだろうと――アレクはそう考えたのだ。


 教室でデカい口を叩いたのも、きっとシャルロッテに脅されて、仕方なく言ったに過ぎないはずだ、と。


(イリアが腹違いの兄妹だと言うのは衝撃だったが……いや、だからこそ――家に、父上に恩義を感じているイリアは、オディール家が不利になるような事はしないはずだ……)


「ええ、わかってます。アレク坊ちゃま」


 これでイリアが負ければ、聖女の信用はガタ落ちになるだろう。


(仮にこの後の決闘で負けても、それは単に聖女が強かったというだけ。俺が勇者である事までは否定できない)


 心の中でほくそ笑みながら、アレクは自身の取り巻き女子達の元へ向かう。


「……どうせ結界で大怪我はしないんだ。全力でやってやれ」


 アレクの言葉に、女子達は嗜虐的な笑みを浮かべる。


 闘技場に施された魔道刻印で怪我はしないとはいえ、攻撃によって痛みは生じる。


 それを知っていてなお、アレクはそう指示したのだ。


 ――いたぶってやれ、と。


 仮にシャルロッテに言わされたのだとしても、イリアがアレクに一時でも逆らったのは事実。


 仕置きは必要だろうと、アレクは考えていた。


 アレクが壁際に歩み去り、舞台にはイリアと取り巻き女子達が残される。


 見届人の教師が、舞台の下から開始の合図をかけた。


 イリアは模擬剣を構えるが、戦闘なんて魔法実習でしか知らない取り巻き女子達は、無手のままに手を突き出し。


「来たれ――ッ!」


 八人が思い思いに現実を書き換えることばを唄い、攻性魔法を喚起する。


 火球や電撃、氷塊などが出現し、一斉にイリア目がけて放たれた。


 その瞬間、誰もが息を呑んだ。


 まるで流れるように、舞うようにして、イリアは模擬剣を振るい。


 硝子が砕けるような音が響き渡って、魔道が現実を書き換えた事によって生じた魔法が――割り砕かれて、霧散する。


 壁にもたれかかったシャルロッテが笑みを濃くして呟く


「――基礎能力だけで魔道事象を再置換するなんて……なんて子なの」


 シャルロッテも似た事はできる。


 だが、それは神器の力があってこそだ。


 けれど、イリアは生身で――生まれ持った才能だけでそれを成し遂げてみせたのだ。


 舞台の上を、イリアが滑るように加速する。


 慌てて女子達が再度魔法を放つが、イリアを捉えられず、舞台の表面を砕くだけだ。


「――ハッ!」


 イリアの気合の声。


 たった一振り。


 ただそれだけで、破裂音が闘技場に響いて。


 大気を断ち切る衝撃が取り巻き女子達に襲いかかり、彼女達を吹き飛ばした。


 軽く三〇メートルは飛んで、壁に叩きつけられた女子達は、そのまま意識を失って崩れ落ちる。


 瞬殺であった。


 圧倒的すぎた。


 観客席の誰もが言葉を失い、見届人の教師すら唖然としていた。


 だが、元々イリアの実力を知っていたアレクは違った。


「なぜだ!? イリア、おまえ、自分がなにをしたのかわかっているのか!?」


 舞台に駆け寄り、イリアを怒鳴りつける。


 対するイリアは冷めた目で彼を見下ろし。


「あなたこそ、なにもわかっていないのでは?

 あなたに従っていたら――オディール家は破滅ですよ?」


 そうしてイリアはアレクに歩み寄り。


「旦那様からです」


 懐から一枚の手紙を取り出して、彼に差し出す。


「……なん……だと……」


 その内容に目を通し、アレクは激昂した。


 そこにはオディール伯爵の直筆で、アレクは廃嫡済みであり、家からも放逐する事。


 そして彼が関わった悪事に対する裁きは、聖女に一任すると書かれていた。


「――裏切ったのか、イリアぁっ!?」


「先にお家を――旦那様を裏切ったのはあなたです」


 毅然と告げるイリアに、アレクは目を剥いた。


「そうか! 貴様、最初から俺の立場を――オディール家の跡目を狙っていたんだな!?

 許さん……貴様だけは許さんぞっ!!」


 アレクは怒鳴り散らしてイリアに手を伸ばした。


 けれど。


「やれやれね。本当におめでたい頭をしているわ」


 その手を掴み、シャルロッテが哂う。


「おまえがそうだから、イリアはお家の為に行動しただけでしょうに」


「クソが! おまえに、おまえなんかになにがわかる!?」


「甘ったれの屁理屈なんて、わかりたくもないわね」


 シャルロッテの煽りは絶好調だ。


「――クソクソクソっ! こうなればっ!」


 アレクはシャルロッテの手を振りほどき、叫ぶ。


「――目覚めてもたらせ! <古代騎>っ!」


 現実を書き換えることばに喚ばれ、アレクの背後に魔芒陣が描き出される。


 そこから滲み出るように、濃紺の外装をまとった兵騎が姿を現して、胸が開いてアレクを呑み込んだ。


 それは王宮工廠製の模造品とは異なる――遺跡などから発見される、原型オリジナル兵騎。


『――いかに聖女といえど、所詮は生身! 古代騎ならば!』


 叫ぶアレクに、けれどシャルロッテは笑みを浮かべて兵騎の、かおが描かれた面を見上げる。


「だと良いわね……」


 そして、シャルロッテは胸の前で拳を握る。


 その動作で、観客席の生徒達は予感を感じて、固唾を呑む。


「――目覚めてもたらせ、<純潔聖衣メイデン・クロス>!」


 真紅の閃光が闘技場を包み、観客席から歓声があがった。


「――キターーーーーーー!!」

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