第3話 幼女はスマホを手に入れた

「ストップストップ! あーいや、止まって、止まってメイちゃん! 止まる! おっけー? 止まってねー」

 駐車場内を、一応は歩行帯に沿ってはいるもののどう見たって注意散漫で歩くメイを、琴樹は精一杯に制止した。結局、止まったのは琴樹がメイの両脇に手を差し入れて強制的に地と足を離れさせたおかげだったが。

「危ないからね」

(ほんっと、あぶねー。こっわ。マジで親どこいんだよ)


 これでメイとしてはちゃんと右も左も確認しているつもりで、実際に危険はきちんと察知してみせるのだが、そんなことは琴樹は知らないし、知っていたとしてもやはり信用しきることは出来なかったろう。


 そっと幼い体躯を地面に着地させてやって、琴樹は今度は自分からまん丸の左手を握った。手を繋ぐ。引っ張られるのではなく、引っ張るために。

「それじゃあメイちゃんは、どっちに行きたいのかな?」

「あっち! です!」

 指差す先は駐車場の出口で、琴樹の自宅とは逆方面だ。

「よーし、じゃあしゅっぱーつ」

「おー!」

 無理に店内に戻るよりは敷地内のギリギリか、横の歩道くらいまでは付き合いつつ状況を整理したい琴樹だった。


「メイちゃんはなんで俺、僕……メイちゃんはなんで俺に話しかけたの? お話ししたいことがあるの?」

「いっしょにかえぅから!」

(なるほど……わからん)


「お母さん、かお父さんか、ママやパパはどこにいるか知ってる?」

「ママはね、ママはおしごとしてるの。それでねそれでね、おねえちゃんはね、おねんねしてる」

(なるほど……父親には触れんとくか)


「お姉ちゃんはお家なのかな?」

「うんっ。あ! はい! ちゃんとおふとんでねてます!」

「そう。いい子だね。ママはどこでおしごとしてるのかな?」

「ママは! ……おしごとは、おしごと……め、めいわかんない……」

「よぉしよしよし! いいよー。わかんない! えらい! わかんなくっていいんだよー」

 急募:幼子の泣き出しラインを可視化する方法。


 いつもの半分ほどのスピードで歩いていた琴樹は、運の良いことに安全そうな場所だったからその場で膝を折る。

「ママもお姉ちゃんも、お店にはいないってことだよね? ほら、そこ、今出てきたお店には……お店には一人で来たのかな?」

「うぅー、うん。めい、おくすりほしかったから」

「おーえらいえらい。ちゃんとおくすりも買えて。メイちゃんはえらい子だ」

 よしよし、と琴樹はメイの頭を撫でる。幼女に対して他にやり方がわからない。

(よしっ。本格的に泣き出すのは防げた。ふぅ)

 メイが目尻に溜めていた滴も拭ってやり、幼女の表情が明るく、そして笑顔になるのを待って琴樹は立ち上がった。

「じゃあ、おにいちゃんと一緒に行こうか」

 それはもちろん、交番へ、という意味であったが。

「うんっ! えっとね、えっとね、すまほかしてください!」

「お、おうスマホ……スマホ?」

 メイは違う。とは、琴樹はまだ気が付いていないのだった。


 急な文明の利器に妙なギャップを覚えながら、琴樹は全くもって無警戒に自分のスマホを差し出した。

(電話とか? あんま勝手に弄られて……困ることもないけど)

 一応、なにをやるのか見張っていようと、そう考えていた琴樹の目の前で、メイはサッとアプリを立ち上げる。ファイル管理アプリ。

「あえ?」

 本人としても意図しない操作ではあった。

「こぇちがう」

 言いながらポチポチとテキトーにタップするのは、幼い子供らしい行為ではある。

「それ以上はいけない」

 瞬間、琴樹がスマホを取り上げる。

 一瞬遅かったから、メイにはしっかりと、『水着のお姉さん』が見えていた。その意味を知らないから、特に何を言うこともないが。


「あ……あー、すまほ! すまほ!」

 メイがぴょんぴょんとスマホを欲しているのを一旦無視して、アプリのタスクを切る。

「よーしよし。電話かな? 電話したいの?」

「ちがーう! めい、でんわしない! ちずぅ! ちず見るの!」

「え、地図読めるの?」

「よめないぃ! 見るの!」

 いよいよ頬を膨らませてしまったメイだから、琴樹としてはもう色々諦めて地図アプリを立ち上げてから再度スマホを小さな女王様に献上した。

「この赤い丸がいまいるところね」

「わかるもん!」

「そっかぁ。地図も見れてメイちゃんはすごいなぁ」

(まぁ……交番までの我慢だな)


 器用にスマホを操作してみせる三歳児に、琴樹は感心する。手つきは確かにたどたどしいものの、スワイプもピンチの調整も使いこなしていた。

(すげーな、いや純粋に)

 そうして琴樹が半歩先を行く形で、並んで歩いていた。交番へ向かって。

「ん」

 引かれるままだったメイが立ち止まり、そんな小さな抵抗に琴樹もまた足を止める。

「こっち」

「んー……あのね、おにいちゃんと一緒に、おにいちゃんについて来てほしいなぁって思うんだぁ。大丈夫、ちゃんとママに会わせてあげるから。だからおにいちゃんの行きたいとこに、一緒に来てくれないかな?」

「ママすぐかえってくるもん。こっち……こっちっ」

 目線を合わせてお願いしてみるものの通じず。琴樹の手を引っ張ろうと頑張るメイだった。

 そうなると琴樹も、強引に連れて行くのは心苦しい。どんな抵抗にあうかもわからず、下手に刺激しない方がいいのだろうかと、しかしではどうするかと頭を悩ませ。

(あ、そか、とりあえず110番したりしたら来てくれるか)

 行くのではなく来てもらう、という選択肢を思いつく。

「ん~~~」

 と踏ん張るメイにお願いする。

「メイちゃん、スマホ返してもらっていいかな?」

「や! これめいのだもん!」

(おっとぉ、そうなるかぁ)

「じゃ、じゃあちょっと貸してくれる、かな?」

「や!」

 琴樹の手を放して両手で胸にスマホを抱いて背中を丸める。そんなメイの様子に琴樹は頭をこそ抱えたい。

 安易にスマホを渡した数分前の自分を恨んでおく。


「こっちなのぉ!」

「あっ、メイちゃん!」

 とうとう駆け出してしまったメイの後を急いで追う。幸い、住宅街に入っており車は見えないし音にも聞こえないが、それでもどこでかち合ってもおかしくないし、自転車や歩行者だって危険だ。

「待って待って! ごめん、わかったよ、メイちゃんについてくから」

「えへ~、めいね、ちゃんとごあんないできうよ!」

 また手を繋げば途端に機嫌よく相好を崩すし、幼女の相手は大変だと思う琴樹だった。

(おーれーは、どーこーへ、つっれてかれーるのー)

 ついでにこの際、童心に帰って作曲してみたりもした。

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