幼女さん、それ以上はいけない

さくさくサンバ

一章 出会い 編

第1話 幼女は王子様を見つけた

 微笑ましい。尊いと言ってもいいかもしれない。

 幕張まくはり琴樹こときは、学校帰りに寄ったスーパーで頬が緩むに任せていた。取り繕う気も起きないくらい、目の前の光景はただひたすらに心温まるものだったのだ。


「こえ! です! おねがいしますっ!」

 これ、と言いたいのかな。そう琴樹が考える通りで、舌足らずで発音から幼い。

 見た目も幼い。

 園児。ただの高校生である琴樹に幼女の年齢推定はそのくらいが限界で、あとはフリフリと可愛らしいお洋服がよく似合っていることはわかる。


(天使っているんだなぁ。俺が召天した説もあるけど)


 天使は黒い髪をしていた。深く艶のある黒だ。肩口あたりまでの絹糸の、後ろの髪を左右にちょこんと結わいている。

 茶色地に所々、白い花を散りばめたボアコートを着こなし、精一杯に背伸びをして上下にぴょこぴょこと揺れている。


 神の意思を伝えに来たのか、自分の願いを汲みに来たのか。

 どちらでもいいから、この小さな天使がその使命を果たせればいいと琴樹は思った。どちらでもないとわかってはいるが。


 レジに並ぶ列の一つ前。いままさにレジ台に小さな箱を一つ乗っけた幼い手が、そのまま台の縁を握っている。

 キラキラと混じり気なしの善性の瞳が、商品のバーコードを読み取る店員の所作をじーっと見詰めていた。


「えー、1,078円なりまっす」

 対して世の憂いを凝り固めたような、逆ベクトルに混じり気なしの店員の目に、琴樹はなんとなく心痛くなる。二十代と思しき店員の疲れ切った姿に自分を重ねて見てしまうせいだろうか。

(なんか俺の方こそ辛くなってくるな……)

 幼気で希望溢れる未来の可能性と、陰気で現実に肩まで浸った現在。その落差が琴樹の胸を打つ。人生ってものについて考えさせられる、そんな夕の刻だった。


「どうぞっ! おねがいしますっ!」

 幼女はごそごそとポケットを探り、満面の笑みでそれを台に置いた。


 五百円玉二つを。


(あーーー……これは……どうなるんだ)

 ほっこり気分は完全にさよならして、代わりにごくりと唾を飲み込む緊張感が訪れる。

(いや俺が緊張してどうすんの)

 とは思うものの、緊張するものは緊張するのだから仕方がなかった。

 琴樹が勝手にハラハラとしていると、店員は台上に直置きのツーコインを見下ろしたまま言った。

「足んないっすねー」


(おい)

 口には出さないけど、内心では突っ込んでしまう。流石にそんな躊躇なく切って捨てなくてもいいじゃないかと、理不尽な感想を抱く。

(もっとこう、あるじゃないですか! 店員さん! あーほら幼女さんもキョトンとしておられる!)


「たい……ない……」


 琴樹は急ぎ、自分の財布を漁った。十六年の人生における最速記録だった。

「こいつで、お願いします」

 百円玉一つ、たまたま入っていたから二枚の五百円玉の隣にそっと添え置いた。

「……1,100円から、お預かりしゃーす」

 店員の言葉にほっと息を吐き出す琴樹だったが、横合いからの視線に気付く余裕はなかった。

 ぱちくりと、瞬き毎に事態を飲み込み、純粋さと真っ直ぐさと豪快極まる舵取りで、理解というには突飛な結論を弾き出す幼い女の子の視線には。


 くるくる回る、小さな思考。あっちから引っ張り出した記憶を、こっちに結んで。

 家族でソファに並んで一緒に見たテレビ。場面。男の人と女の人。天気予報と朝の占い。姉の緩みきった口角。


「えんぎ」

「ほんとのことじゃないよ」


 そう言っていたおねえちゃんの、言葉の意味はまだわからない。

 ただ姉が微笑みを浮かべ、少しだけ物欲しそうな目をしていたということは覚えている。


 結論。

 幼女は王子様を見つけた。

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