第3話 双子美少女、歌舞伎町を往く

 新宿歌舞伎町――言わずと知れた日本一の歓楽街である。『不夜城』とも『24時間眠らない街』とも呼ばれる、危険と犯罪ががっちり握手して存在している街だ。


 現在、時刻はお昼前。この街が本当の姿を見せる夜にはまだほど遠いが、それでも通りには、他の街では見られない光景が多く見受けられた。 


 風俗店に勤めている、派手なメイクに露出過多の服を着込んだ風俗嬢。モデル顔負けのヘヤースタイルでばっちりと決めたキャバクラ勤めの女の子。細身の黒スーツに高級腕時計をこれ見よがしに身に付けたホスト。


 この街で仕事をしている者ばかりではない。


 学校がやっている時間にも関わらず、ミニスカ姿でスマホをいじりながら、物怖じすることなくさっそうと通りを歩く女子高生。そんな女子高生の太ももに視線を向けているのは、仕事中にズル休みをしているサラリーマンだ。やることもお金もなく、暇だけを持て余している若者たちは、ゲームセンターの前の路上に座り込んでしゃべっている。


 そんな種々雑多の人間に混じって、やけに鋭い視線を通りの左右に向けているのは、暴力的な行為を生業にしているその筋の男たちである。自分たちの縄張りを偵察中なのだ。


 歌舞伎町ならではのいつもの風景に、だが、いつもとは異なる人種が混じっていた。


 通りを行き交う者もそちらが気になるのかチラチラと視線を向ける。風俗嬢もキャバ嬢もホストもヤクザも女子高生もサラリーマンも、誰もが思わず視線を向けていた。もっとも、視線を向けられた本人たちは、そんな視線は一切気にする素振りを見せてはいなかった。


 歳は十代前半。歌舞伎町では取り立てて珍しくもない年齢である。服装は学校の制服姿で、スカートからスラッとした白くて細い脚が覗いている。もちろん、これも取り立てて珍しい姿ではない。極端に裾の短いスカートをはいて、デート相手を探している女子高生の方が目立つくらいだ。


 だが、腰まで届くストレートの黒髪と、その黒髪の下から覗く驚くほど端正な美少女顔は、さすがに歌舞伎町でもお目にはかからない。


 通りを行き交う人々の視線をとらえたのには、もうひとつ大きな理由があった。それはこの美少女が二人組で、瓜二つの同じ顔立ちをしていたからだった。



「歌舞伎町って、もっとコワイ街だと思っていたけど、案外、安全な街だったんだね」


 片方の美少女が言った。声まで玉を転がすような可憐な響きがある。


「あちこちにいっぱい監視カメラが設置されているからね。白昼堂々、ケンカや事件を起こすってわけにはいかないでしょ。もっとも、メイちゃんは監視カメラなんておかまいなしに暴れちゃうだろうけどね」


 もう片方の美少女が言った。顔もそっくりなら、声の方もそっくりだった。この二人の声なら声紋分析機も簡単に騙せそうだ。


「わざわざこうして東京まで出て来て、トラブルなんて起こしたりしないから。あたしよりもセイちゃんの方が心配だよ。怒ると見境がなくなるんだから」


 メイちゃんと呼ばれた美少女の方が言い返した。


「わたしはいつでも冷静沈着でしょ。よほどのことがない限りはね」


 セイちゃんと呼ばれた美少女の方が反論した。


「そのよほどのことが、頻繁に起こりすぎるから困るんだけど」


「今日は大丈夫だってば。頼まれていた用事も無事に済ませたし」


「――とか言いながら、京に帰る前に歌舞伎町探索を始めちゃってるけどね」


「だって、時間はまだまだあるんだから、これぐらいの遊びは許してもらわないと。せっかく久しぶりに東京まで来たんだからね」


「そうだよね。たまには知らない街で思いっきり羽を伸ばしたいからね。セイちゃんは行きたい所はあるの?」


「うーん、なんかこうしてブラブラ歩いているだけでも、十分おもしろいけど」


「えっー、歌舞伎町まで来たんだから、もっといっぱい探険しようよ」


 同じ顔をしたセイとメイは、まわりから向けられてくる好奇の視線の中、歌舞伎町をさらに奥へと歩いて行く。


 アイドルと間違えたのかカメラ片手に観光客が近寄ってきたり、芸能人スカウトらしき業界人風の男性が近寄ってきたりしたが、二人は完全に無視を決め込んでいた。そんな人間など、はじめからいないかのような態度である。


 誰もが成すすべもなく、ただ双子の美少女を見つめるだけで終わってしまうなか、強引に二人に声を掛けにいった男たちがいた。金髪にピアスに細身の黒スーツという、見るからにホスト丸出しの格好をした三人の男たちは、セイとメイを見付けると早足に近寄ってきた。


「ねえ、ねえ、君たち」


 三人の中で一番若くて一番頭が軽そうな男が二人の前に立って、品性の欠けた口調で馴れ馴れしく声を掛けてきた。男はナオトという源氏名の新人ホストであった。


「――――」

「――――」


 セイもメイもナオトのことなど完全に無視である。視線を男に向けることもなく、歩みも止めない。


「ねえってば、少しぐらい話をしようよ」


 ナオトは二人を立ち止まらせようとして、セイの肩に右手を伸ばしかけたが、なぜかセイの肩に触れる前に、右手は別の軌道を描いて、空振りに終わった。


 ナオトはなにが起こったのか自分でもわけが分からずに、ただ右手をじっと見つめるだけである。ここで不審に思わないのが頭の悪い証拠で、もう一度、今度はメイの肩に右手を伸ばす。右手はメイの肩に触れることなく、たまたま近くに立っていた、仕事明けで疲れた顔を浮かべている風俗嬢の胸元に伸びていた。

 

 風俗嬢は無言のままナオトをひと睨みすると、渾身の力でナオトの頬をひっぱ叩いた。バチンというお馴染みの音があがる。もっとも、ナオトの方はなぜ自分の右手が風俗嬢の胸を触ってしまったのか分からずに混乱状態にあったので、頬の痛みを感じる余裕すらなかった。


「ナオト。おまえ、声を掛ける相手が違うだろう」


「なんで、そんな女の胸なんか触ってるんだよ。まさか、それってギャグのつもりなのか?」


 後ろで成り行きを見ていたナオトの先輩にあたる二人のホスト――セイジとマヤが口々に冷やかす。


「ち、ち、違うんです。なんか勝手に手が動いたというか……。ちょっと、変なんですよ……」


 ナオトは自分の右手と先輩二人の顔を、おろおろと交互に見つめる。


「これだから新入りは使えねえんだよな。しょうがねえな、ここは先輩の力をみせてやらねえとな」


 そう言って体格の良いセイジが、前を歩いていってしまっているセイとメイを追い掛けていく。ところが二人に追い付く直前で、突然なにかに足を引っ掛けたようにして盛大に転んだ。


 セイジは確認するように自分の足元に視線を向けて、そこになにもないのを見て取ると、すぐに立ち上がって、再度二人を追い掛けようとしたが、そこで再びなにかに足を引っ掛けたようにして派手に転んだ。さすがに頭の悪いセイジも、異常事態を悟った。


「おまえまで、なにやってるんだよ! そんなんじゃ、店の売り上げナンバー3の名が泣くぞ!」


 イラ立った声を上げたのは最後に残っていたマヤである。


「でも、マヤさん……。ナオトの言う通り、なんか変なんですよ……」


「ちぇっ――」


 マヤは軽く舌打ちを一度して、道路に座り込むセイジと、しきりに頭をひねっているナオトに目をやった。


「おまえたちでダメなら、オレがやるしかねえだろう」


「ダ、ダ、ダメです。店長になにかあったら大変ですから」


「マヤさん、ナオトの言う通りです。店のナンバー1のマヤさんが、もしもケガするようなことがあったら……」


 二人の説得の言葉を聞いたマヤは前に出しかけていた足を止めた。肉食獣が逃した獲物を見るような視線で、セイとメイの背中を見つめる。三人がドタバタ劇をやっているうちに、二人の姿はすでに遠く離れてしまっていた。


「――くそっ。新入りに歌舞伎町を案内しようと思ったが、今日はもうヤメだ。あのガキどもはもういい。店に戻るぞ!」


 マヤはいまいましげにはき捨てた。

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