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「雪姫さん、せめてノックとかしてくださいよ。俺素っ裸なんですけど」


「あなたの裸くらい見たことあるんだからどうとも思いません」


「それかなり誤解を招きますから外で言わないでくださいね」


 あやうく裸のまま電話させられそうになるのをなんとか待ってもらい、部屋に置いておいた元の服と変わらない服に着替えてから端末をタップして電話をかける。


「はいー」


 電話の向こうの相手は明るい声で応えた。さすがは客商売をしているだけある。


朗湖ろうこさん?ちょっと聞きたいことあるんだけど今大丈夫?」



 数十分後、少しの間だけならと朗湖に店に来てもらい少女を引き合わせた。

 朗湖はほう!と言って声を弾ませると遠慮なく少女をじろじろと観察した。


「ふんふん、ちょっとなんか喋ってもらっていい?」


 少女が困ったように雪姫を見上げる。

 雪姫はうーんと呻ったのち、口の前に手をやり鳥のくちばしのようにぱくぱくと動かしてみた。

 それを朗湖に向けてやるように目線で示してみると辛うじて伝わったのか少女は口を開いてか細い声を出した。


「」


 それを興味深く聞いていた朗湖は、はぁはぁうんうんなるほどねと納得したようで


「南カカポの言葉が近いかもしれないね。少なくともそれを使う言語圏の近くから来てると思う」


 南カカポ、といえばほぼ未踏の地とされている国の一部地域である。複数の珍しい種族が住んでいるという国なので主言語とは多少違う言葉を話してもおかしくはない。


「うーん、通じるといいな」


 そう言って朗湖は聞き慣れない言葉を発した。

 すると少女はぴくりとその少し尖った耳を動かし続けて声を発した。


「おっ、いい感じだよ。今こんにちはって言ってみたんだけど通じた」


「さすが朗湖さん。世界中の方とご商売されてるだけありますね」


 雪姫が褒めると朗湖はふふふと笑って携帯を取り出した。


「辞書を葉月さんの端末に送っておきました。これでなんとか頑張って」


 かくして言語の問題は解決した。




 朗湖が帰った後、葉月は雪姫の端末にも辞書を転送し二人で辞書と顔を突き合わせながら少女と会話を試みることになった。


「えーと 『あなた 名前』」


 雪姫が端末を少女に見せながら単語を指さしつつ発音がわからないなりに声に出して見ると少女は一言パテラ、と言った。


「パテラ…は多分名前ですね。パテラさんね」


 少女は名前を呼ばれたのが嬉しかったのか先程まで縮こまっていたのが少しだけ心を綻ばせたようで小さく微笑んでみせた。


「とりあえず名前がわかったのは収穫ですね。辞書をいちいち引くのも疲れます。これ翻訳アプリとかないのかしら」


 雪姫が端末で検索するも、南カカポ語を扱っている翻訳アプリはないようだった。


「はぁ、まぁ無いなら仕方ない。ちょっとずつ進めるしかないですね」


 食事にでもしましょうか、という雪姫に葉月が声をかけた。


「雪姫さん、やけに世話やきますね」


 雪姫はくるりと振り返り、ふふと微笑んだ。


「あなたを拾うくらいですもの。雨が止むくらいまでならいいでしょう」


 葉月は窓の外を見る。

 少し前から雨期に入った月光町は連日空から雨を降らしその地を濡らしている。


 あと数週間雨は降り続くだろうが、その間に何かの感情が芽生えたりはしないのだろうか。

 葉月はぼすり、とソファに沈み込んだ。



 ※※※ 


 その日は朝から雨が降っていた。

 起きて組の事務所に出向きそこであの人が姿をくらましたことを知り、静止する声も振り切って雨の中へと駆け出した。


 まず最初に訪れたのは彼の部屋だった。勢いよく玄関のドアを開いてみれば部屋の中はいくつかの家具が以前見たときと変わらずそこにありこうしているうちに彼が帰って来るのではないかとすら思えるほどだった。しかしすぐに部屋をあとにすると彼が常連だったいくつかの飲み屋を訪ねてみたがそこにも彼はいなかった。

 誰に聞いても知らない、さっき組の他の人が訪ねてきたので自分も彼がいなくなったのを知ったと言われた。

 それでも諦めきれず雨の中を駆け回ったがどこへ行っても彼は見つからなかった。


 細く、奥の見えない路地の中で葉月は息を切らしながらその迷路のような道をふらふらと彷徨っていた。

 頭に浮かぶのは何故?という疑問ばかりだ。

 組と関係が悪かったようにも思えないし、昨日最後に会ったときもこうなるような素振りは全く見せなかった彼。

 以前から考えていたことだったのだろうか。

 それとも突発的なことだったのだろうか。


 こんなに心細いのはこの世界に迷い込んだとき以来だ。

 彼に拾われ、何の縁もゆかりも無いのに育ててもらいこの世界で生きていけるようになったのに。


 絶望にふらつく体を支えながら足が向いたビルの階段を降りたところで遂に限界が来たのか濡れた地面に足を滑らせるようにその場に倒れ込んだのだった。


 そうして気づいたときにはすっかり服も着替えさせられており驚いてソファから起き上がるとカウンターの向こうに雪姫がいて、すぐに立ち去ろうとした自分にこう声を掛けたのを覚えている。


「雨が止むまでいていいですよ」


「…すいません」


 雪姫の言葉に甘えて再び横になる。

 そして夢を見た。


 毒々しいほど濃い夕闇に沈む陽を背に幼い自分の手を引く彼を。


 長いウサギの耳を揺らしながらその顔がこちらを振り向くことなく前へと進んでいく。

 耳を凝らせば彼が小さく歌を口ずさんでいるのがわかった。

 聞いたことのあるメロディだ。


 真っ赤な空に「あめふり」の歌が溶けていった。

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