第26話 雨

 その駅前の高層ホテルの最上階及び屋上は崩れ、工場の巨大な煙突のようにその頭頂部でモウモウと煙を吐き続けている。


 ただ、その成分が実の所煙と呼べず、高層故の強風で舞い上げられた灰がそのように見えただけという事を知る者は殆どいない。

 今後もそれは変わり無いだろう。


「うわ……何あれ」

「すげぇ」


 駅前を行き交う人混みが一斉に動きを止める。

 老いも若きも問わず、その多くがスマートフォンを向け、映像の撮影に移る。

 そして、その内ごく一握り、野次馬根性と承認欲求を拗らせた者が慌ててビルから飛び出す避難者の群れに逆行し、内部へ侵入を果たそうとする中、警察、消防隊の必死の活動により、それが止められ、それでもなお渋る者は強制的に追い出される。


 あらかじめそれが起こるとわかっていたかのような迅速な対応に誰も疑問を持たない辺り、日本という国へ国民が向ける信頼が窺えるようではある。

 だが、そうした誰もが、ある1人の人物を見逃し、彼がその高層建築の真正面から軽々侵入を果たした事実を欠片も、認知できなかった。


 見逃したのでは無い、そもそも目で、耳で、ひいては五感で気取れなかったそいつは、当然のように止まっているエレベーターにぼやきつつ、大半の者が避難用の階段で降りる中、ガラ空きの普段から使われてる方の階段で上へ上へと登り始めた。


 そして、話を戻すが、この件は後々、建築会社の設計ミスが原因となるガス爆発事故という名目で処理される。

 よくよく調べればいくらかおかしな点は見つかっただろうが、それを成そうと考える者は無く、結局誰かがそのように工作した通りの、そのままの事実が真実ということになって、人々の記憶から消えていった。


◆◆◆◆


 沙耶香が漠然とした意識の中、行使した魔術。

 破壊と呼ぶより消滅に等しい行いで発生した死者、間も無く死ぬ重症者は23人。

 最上階のワンフロアは六波羅舞美々が丸々借り上げた根城であり、護衛となるアンデッドを多数置いた要塞。

 それが全て灰になった所で、新たな死者は出ない。

 むしろその下。

 その下の階に宿泊した客、運悪くその時居合わせたホテルスタッフがこの被害者のあらまし。


 それを多いと見るか、少ないと見るか。


 そもそも、魔術師同士戦った余波で一般人に被害が出るのは珍しくない。

 そうした被害の様々な記録の中で、この23人という数字はさして多くはない方。


 だが、沙耶香にしてみれば……


 降り始めた豪雨が、巨人の手で上だけこそぎ取った様な惨状のフロアで佇む沙耶香の全身を濡らす。


 その目には理性の光が戻っていた。

 先の、茫洋とした意識は覚醒を果たし、敵を殺す為にただ追い詰める、魔術師として残酷な本性の表出そのものの人格は鳴りを潜めていた。


 ただ、眼球がこぼれそうなほど目を大きく見開いて、その惨状を見つめる。

 口がワナワナと開いて、閉じるを繰り返す。

 動悸が激しい。

 汗……は、雨で流される。


——どうしてこうなった


 とは思ってもこうなった原因のその過程は全て記憶している。

 ただ、心が体の奥に押し込められる様な、夢でも見てる様な心地でそれが行われていた。


 一度だけ、同じ様な事が起こったことはある。

 その時は後藤が、被害が広がり派手な事になる前に命からがら止めに来てくれたが、しかし、今、彼はいない。


 少なくとも彼は死んだものと、沙耶香は思っている。


——雨が強い


 それに混じって泣き声が聞こえた。

 沙耶香、ではない。

 何か別の、子供の、男の子の。


 気づいたら駆け出して、

 足元は水を吸った灰のせいで泥沼の様で、ぬかるんで、

 瓦礫の中——隙間から奥の方に、呼びかけ、瓦礫を灰にして除ける。


 そうして掘り起こして、居たのは幼い女の子と男の子。姉弟か。

 運良くわずかな隙間の中、瓦礫に潰されず持ち堪えていた。


 2人をそこから引っ張り出そうとして、警戒されている事に気づき、そして今の自分の姿を顧みた。ほとんどボロ切れを纏っただけのその姿。

 しかし、必死に助けようとしていることだけは伝わったのか、やがて手を差し出してくれたので引っ張り出した。


 そして、


「泣いてるの?」


 その目の前の姉弟のうち、姉の方が静かに、単に疑問に思ったためか言い放つ。

 沙耶香に向けて。

 その言葉に、どう答えていいか分からず、話を逸らそうとしたのか沙耶香は質問で返す。


「その……お母さんとお父さんは……」


 目の前の2人は首を横に振った。

 それを見て、おそらく、その2人の母と父を殺したのは自分だと、その当たり前の事実を呑み込むのにえらく時間を要して、そして、


「えい」


 沙耶香の背後から、近づいた子供の影。

 しかし、その中身は数100年を生きた魔術師の魂。

 即ち唯一、仕留め損なった女児の姿をした六波羅舞美々が、沙耶香のうなじへ向け逆手に持った包丁を振り下ろしてきた。

 それを半ば反射的に右手で抑える。

 振り下ろす腕を止めて。


 その様子に呆然となったのは沙耶香の目の前の姉弟。


「え、え?」


 困惑している。

 そしてこの状況、沙耶香に速やかな反撃に移る気力は無かった。ただ、条件反射で刃物の振りを止めたに過ぎない。

 一方の六波羅舞美々にも、それ以上、攻撃の意思は無いらしく、それを汲み取った沙耶香が手を離すと、あっさりと包丁を床に投げ捨て、両手を上げ降参のポーズ。


 その隙に、沙耶香は


「ほら、行って……」


 そう言って、奇跡的に崩れなかった階段の方を指し示す。

 崩落しない様に見えるだけで、実際のところ100%安全とは言い切れないが、でも、これ以上ここに留まってもらうより遥かにマシ。

 そして2人の背中を、無事に外へ出てくれるよう祈って見送る。

 その間の六波羅舞美々は手持ち無沙汰に周囲をキョロキョロ見回していた。


「それにしても、すごい威力ですね……」


 世間話でもする様な口調。

 ただ、その内容には頷くしか無い。


 高層ホテルの最上階のワンフロアが丸々灰になって崩れ、だるま落とし式にその上の屋上が落ちてきた。

 沙耶香がやった事の被害を簡単に言えばそうなる。

 彼女自身は本能的に自分の周囲を覆う様に具象化された黒い液体で自分の周囲を守っていたので無事だった。


——自分がそれをやった事実に現実味が無い


 一方の六波羅舞美々は


「ま、この身体は生存に特化しているので大丈夫でしたけど……」


 だそうだ。


 そして、この時、沙耶香は女の子姿のこの六波羅舞美々の喋り方が、喪服に似た服の六波羅舞美々の喋り方に変わっていることに気がついた。

 だから、どうという事はない。

 とにかく、この時の沙耶香は……その事に思考が割けなかった。


 あの、姉弟。

 この先、両親を失って2度と会う事はない。


「ま、気にする必要ないと思いますけどね……これもどうせ、あの女の仕込みでしょうし」


 気にかかる事を言った。


「あの女?」


 聞き返す。


「あの女は、あの女ですよ。あなたのだーい好きなケイン・レッシュ・マ」

 

 沙耶香は六波羅舞美々の言っている事の意味が掴めなかった。しかし、戯言と切り捨てるには、相手の事情に通じてる風が気に掛かる。


「ま、とにかく、私は手を引きます。この身体で、あなたを連れてくのは無理そうですから……でも、諦めませんよ——


「待って、さっきの話は——


 それを沙耶香が言い終わるより早く、女児の姿の六波羅舞美々は助走をつけて高層ビルの、地上60mの高さから飛び降りた。


 追いかけて、そしてビルの端で覗き込むと、はるか遠くに、潰れてミンチと化したその身体が、再生して、しばし上を見上げるのを見届けて目が合い、彼女は笑った気がした。

 そして、六波羅舞美々はどこへなりと去っていく。


 そうして、沙耶香だけが、その惨状の現場に取り残され立ち上がる。


 少し、その吹きさらしのフロアを歩いて思考をまとめようとする。


 自分が殺した大勢の人の、せめて亡骸だけでも探そうかと、やがて思い始め、しかし、冷静な部分が、そんな事よりこの場を立ち去るべきだと告げていた。


 この場所にいれば騒ぎを聞きつけわらわら討ち手が集まってくる。

 それに身体のだるさは速やかな休息を求めて……


——その時、沙耶香のひたいを何かが貫いた


 宙空から生えた純白の槍。

 それを握っていたラフカン・A・ハーン。

 

◆◆◆◆


——少し、魔術という事象における、血縁の重要性を話そう


 通常、血縁関係にある者同士は同じ魔術の属性を発現する。


 その為、父は子へ、子はそのまた子へと、血縁を伝わる術の扱いを手取り足取り教えられる。

 長い歴史を持つ魔術師の家系はそうしてノウハウを積み上げた為に優れた術者を輩出しやすくなるのだ。


——というのはあくまで浅い理解に過ぎない


 これより先は血生臭い話。


 魔術師の家において、兄弟間の当主争いは度々起こる事。

 そして、ごく一部、特に血生臭く、『伝統派』の文化を色濃く残す家では、さながら権謀術数交錯する蠱毒の如き殺し合いを強要する。


 その訳。

 それもこの血縁間の魔術属性の一致が大きな理由となり、即ち全く同じ属性の人間の死骸から作り出した『触媒』及び魔術の道具はその術者にとって飛び抜けて有益な物となるからだ。


 兄弟を皆殺しとし、各々の死骸を加工して魔術行使の道具とする。

 そうすることで高い魔術の運用能力を得て魔術師として多大な成功を修める。


 かつては当たり前に行われたこと。

 

 そして、これは血の繋がりが強ければ強いほど使った際のシナジーが高まる——という事を加味して、兄弟よりさらに血の繋がりが強い、一個人でありながら、2人でもある特異な生まれの人間のことをご存知だろうか。


 一般には、結合双生児やシャム双生児と呼ばれる、いわば1つの身体を2人で共有した人間のことだ。

 双子で生まれるはずだった2つの受精卵の一部が結合したまま産まれることにより、身体の一部、臓器の一部を共有しつつ結合して産まれた双子。


 その存在に目を付けた当時の魔術師は実に古典的な魔術師らしい倫理観を備えていたと言えよう。

 そうして、とある魔術師がシャム双生児の子供に対し己が手で施術を施し生み出した最高傑作が現在の『老人』と呼ばれる超越者の1人。


 『双頭の翁』たる『寧楽楪ねいらくちゃ・ドップマン』


 こうした例を示されては黙っていられないのが一般的な魔術師のさが

 こぞって人身売買のルートからあらゆる奇形児を買い求める、その様はいくらか吐き気を催す邪悪であったが、結局のところ、ついぞ、かの翁と同等と呼べる存在が作り出されることはなかった。


 そして、話は変わるが、今宵の『咎人狩り』にて、盧乃木徳人直々に指名された『処刑人』の1人『ラフカン・A・ハーン』。


 彼もまた、この様な運命を辿った人間。

 東南アジアの貧しい地域で生まれた彼は、生まれた瞬間に、その姿を見られて、そして捨てられた。

 それをたまたま拾った魔術師と接点のある仲介人。

 その人物を経由して、遂には『アハト・アハト・オーグメント』の元へ流れ、魔術教育を施された。

 しかし、結局同じ身体を共有する2人のうち、兄の方にしか魔術の才がないことがわかり、そして、何を思ったのかアハト卿は、魔術の才能のある兄の方を切り離し、その脊椎をベースに魔術行使の道具に変えた。


 それをもはや名実共に普通の人間であるラフカンが扱えたのは、単なる偶然か、それともアハトの改造によるものか。


 それはラフカン自身にさえ分からない。

 

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