第24話 本質的な黒

 気がつくと頭の中がボンヤリしていた。

 どことなく徹夜明けの様な気分ではあるが、それにしてはやけに爽快で、心地よさすら感じる。

 薬物で首から下の動きを封じられていたはずの沙耶香は内心そんな風で、その気分のまま車椅子から立ち上がった。


 それに気付いた六波羅舞美々達。

 一斉に振り返り、


「うおっ」


 驚いたのは地雷ファッションの女六波羅舞美々


 しかし、それ自体、彼女達にとって予測できなかった事態ではない。だから、無力化する手筈は整えていたのだが、


——スカートの端を翻し飛び掛かる沙耶香


——を抑えつけるため右腕を肥大化させる、喪服に似た服装の女六波羅舞美々


 腕から放射状に無数の腕を生やし、その勢いと繰り返しで体積と質量の確保で押しつぶすスレスレで壁に押さえつけていく。


 手際良く注射器を取り出したのは手術着の少女。


 それが入っていたケースは床に捨て、で、薬液は注入済み。

 ただ、その針が血で濡れていた。

 意識のない沙耶香から事前に抜き取った血液、それをアンデッドを作る技術の応用で常温の保管を可としたもの。


 中は麻酔。

 凄まじく即効性。

 針を沙耶香の血で濡らしたのは『内象魔術』への対策。生きた細胞たる血は、当人の肉体そのものと誤認させ『内象魔術』の対象とし辛い上、血液に混ざった薬液を対象とするのは無理な話。


 30秒とかからず済む制圧。

 それが……


「ん?」


 異物。

 空間に対する異物。

 黒い球体。

 盧乃木沙耶香の体を抑えつける腕の上。

 黒々として、影より黒くコールタールのように粘性を持って、夜の水面のようにゆらゆらと。


「……なん、」


 六波羅舞美々達が預かり知らぬもの。

 ただ、それを本能的に知り得たのはこの場で盧乃木沙耶香ただ1人。

 それが自身の『死』の『流転』する魔術で生み出された新たな形であることを把握していた。

 その使い方も。


——その球から一滴、1番近く、喪服に似た服の女へ飛来


 それを躱すそぶりを見せなかったのは、油断もあったろうが、何より予想外ゆえに。


 これほど盧乃木沙耶香に魔術の才能があろうとは。だから、興味が勝る。


 その一滴が触れた顔。

 それが接触と共にボロボロと灰になって崩れ、遂には首から上が灰になり、首なし死体がプラプラと。


 それに呆然と、手を止め注目を注ぐ他の六波羅舞美々達、


「あ、マズッ……」


 地雷ファッションの舞美々が口からこぼし、その時、球が崩れボタボタ濁流を下へ垂れ流し始めた。

 盧乃木沙耶香を抑えつけるセメントのように柔軟な腕の束、それもまた灰へと帰り、骸を灰にする意味で火葬に似て、しかし歪で。


 一斉に逃げ出すには遅く、既に沙耶香を中心に浮かぶ新たな黒球が、2つ。

 それらが泡立ち、膨張、部屋中へ飛散を果たすまでに地雷ファッションの六波羅舞美々は残り2人の自分、即ち手近にいた2人の少女を両腕で掴み部屋の入り口へ投擲、2人はカーペットを転がるも、すぐさま扉を開け、飛沫しぶきの回避と脱出に成功。


 そして、沙耶香は部屋に残された2つの灰の山を目に捉え——いや、一部ビクビクと動くものが。

 地雷ファッションの六波羅舞美々の頭。驚くようで、興味津々なようで、しかし、下顎が灰になったので話すことはできず、目元でニタニタと。

 それへ直に手を触れ灰にすると、ゆらゆら朦朧とした意識の中、沙耶香は追跡を始めた。


◆◆◆◆


——記憶と意識は朦朧としていた


 他者の人格と記憶を流し込まれた影響か、はたまた別の理由があるのか。


——しかし、身体はだるくとも怪我一つ無く


 怪我、1つも、だ。

 舘脇六蔵と璃子のペアとの戦いで深々と負った肩の傷も、その他無数の細かい傷も痕すら残さず完治していた。

 先までの沙耶香は薬物の投与で体の感覚が鈍っていたため気付くことは無かったが、今、身体が万全になった状況下でも、その違和感に気付かない。


 ただ、自分の顔にも飛散した黒く液体金属に似た飛沫を袖で擦り取り、ボロボロと崩れ去るのすら意識の外。

 全身に細かく浴びたので着ているものは最早ボロ切れ。


——ただ、漠然とした殺意に任せ


 正気は無く。

 ペタペタとホテルの廊下を歩み、殺し損ねた2人の六波羅舞美々を追いかけ、その時だ。


 通り過ぎようとした四つ目の扉の隙間から何か染み出していた。

 シュウシュウと、熱に焼かれて焦げ始める木製の扉、熱を加えるのはその染み出した液状の何かで、それは太陽の光のように黄金に輝いていながら、しかし、意思を持った膿のように穢らわしく。


 そして、焼けて朽ちた扉の向こう、黒い部屋からこれまたシュウシュウと音が聞こえていた。


 シュウシュウ


 シュウシュウ


——焦げる音ではない。焼ける音ではない


——呼吸の音だ


 魔に毒された猟犬がその醜いマズルから、唾液と息で発する音——と例えよう。


 その呼吸のあるじは実際醜いのだから。


 タン——これは足音。


 タンタンタンタンと、革靴で鳴らすような音を繋ぎ扉から這い出してきたのは、人を3人繋ぎ合わせた姿。

 まずは3人の人間を腰で上下に分割した図を思い浮かべよう。そして、下半身は二つだけつなぎ、さながらケンタウルスの下半身を人間で象るかのように。

 そして、三つの上半身のうち筋骨隆々のそれを選び抜き、その両肩に残った2人分の首を接続する。

 その上半身と下半身の融合。

 しかし、その奇形にゴチャついた印象はなく、あくまで1つの生命体としてまとまりを感じさせるのは、それが全身にまとい、虚な目の首を除き皮膚を覆い隠す黒のラバースーツがまとまったシルエットを象るかたどるからだ。


 そして、


「有り合わせで作った物で申し訳無いですが、あなたにはこれで相手をしましょう」


 部屋の奥から声が。

 よく見れば、逃げた2人の少女のうち、片方がボウッと立っている。

 話し方からして、手術着を着ていた少女。

 ただ、もうそれを脱いでしまったのかブカブカの大人用ワイシャツを纏っていた。

 たまたまその部屋にあったものを身に付けた風情。それ以外何も着けていないようだったので倒錯的で、しかし、それにわざわざ反応する正気は沙耶香に無い。


 だから、その意識の中、新たな黒球を複数周りにプカプカ浮かべた。


 その性質は盧乃木沙耶香の『死』が『流転』する魔術の具象化。

 流れる故に液であり、転ずる故に触れたもの皆、死へ転ずる。

 それは『外象魔術』の産物であり、『触媒』無しで発動するため、いくらか殺傷力を落としてある。

 ただ、もとより『死』の魔術で『不老不死』を殺す矛盾が盧乃木家の魔術の悲願。

 それ専用に術式の組まれた魔術はほとほとオーバースペックであり、落とした所で死にゆくもの朽ちるものを殺す際、十分な殺傷力を誇る。


 用途が先鋭化した物を汎用的に仕上げた。

 沙耶香が短期間のうちに『死』という概念の真に迫った為、獲得した産物。


——ただ、短期間でそこに至った理由も、詳細も、今ここでは語るまい


 そして、浮かんだ黒球は、その全てが目前の異形の化け物——ではなく、その奥の少女の姿の六波羅舞美々へと、形を保ったまま迂回して飛び込もうとしたその時、それを突如現れた金の滝が溶かし落とす。

 宙空から現れて、扉の位置で佇立する化け物の前で相殺。

 金の濁流は灰になって舞う。


「ああ、あああ」


 その光景を見て何か思い出したのか、ケンタウロスの出来損ないの三つ並んだ首、その真ん中が喉の奥から嗚咽を漏らした。


 生きていた頃はチェンと名乗った『処刑人』。

 その他、素材と成り果てた2人の死体。


 『ゴルドルフ・ベッグマン』

 『榊原 遼一』


 いずれもかつては名うての『処刑人』。

 『咎人狩り』に際しこの街へやってきたが、六波羅舞美々に殺され、今はこのあり様。街に来て、適当に見繕って再利用された廃材。


 『ゴルドルフ・ベッグマン』は目に見えぬ火の概念を操ることができ、対象に火傷を負わせ、窒息させ、そして何より火に対して抱く原始的な恐怖を呼び起こす火への畏敬を支配。

 『榊原 遼一』は自身の血を操り、その凝固と流動で自在の触手とその先端に作り出した血の刃で攻撃、果ては血から感染する病を再現することもできた。


 更に、生前より強化され無から流動する金を生み出すチェン


 この3人の魔術を生前のスペック以上に引き出し、それを一体のアンデッドとして運用可能にした個体。


 作り手の六波羅舞美々にしてみれば出来は『まずまず』といった所。

 では、『まずまず』程度の出来で良しとした理由。

 それは……


——化け物が現れた扉の両隣、両側の部屋の扉が開き、


 現れたのは同一の化け物。

 同じように人間でケンタウロスを模って、首を3つ取ってつけたようなそれ。

 計9人の魔術師の死体を使ってその化け物達。

 六波羅舞美々が安直に名付けた『ケンタウロス1〜3号』は量産されていた。

 『まずまず』の出来で留め、量を確保していた。


「じゃ、初めて下さい」


 それらが、主人の命令のもと一斉に9種の魔術を起動する——その『意』よりやや早く——沙耶香は半ば勘と本能により、さらに理解を深めた己が魔術を起動。その点では理性の沈み切った、純粋な殺意による躊躇の無さが味方した。


 ただ黒く、


「嘘ぉ……」


 その六波羅舞美々の口調は丁寧なものからやや崩れ、入り口の向こう、手ずから用意した化物の向こうで、盧乃木沙耶香を中心に。


 その頭上から瀑布の如き黒がボウボウと湧いて、その勢いが弱ければ、ちょうど彼女の立つ床のみ穿つだけだったものが、津波の如く押し流され局所的な洪水を作り出す。


 工場の廃液や化学薬品など生易しいほどの死の本質そのものの黒い液体は抵抗の余地を与えず、押し広がり廊下を天井まで見たし、その周囲、壁や扉の区別なく、化物を問わず、生物、非生物を問わず全てを灰にして突き進む。床が崩れる前に奥へ奥へ、フロア全体へ広がって、ついにはその階層全てを飲み込むまでに至った。


 



 


 




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