第2話 ある粗末な男の最期 下

——魔術師という種は歪んでしまった


 ある男は言う。


——いや、これこそ魔術師の正しい在り方


 またある人物は言った。


 世界を巻き込む第二次大戦の狂気の後、社会の裏で魔術師はその在り方を巡り分断された。

 依然として魔術を神秘として追い求め、そのはるか先にある光を目指す『伝統派』。


 戦後の混乱をチャンスとみなし魔術を便利な道具と扱い社会権力へ手を伸ばす『革新派』。


 この2つに。


 結論から述べると、この闘争は『革新派』の完膚なきまでの勝利で終えられた。

 もとより魔術師は世界の表舞台に立てぬ闇の住人。それは遠い昔の魔女狩りが『老人』達に警句として刻まれていた以上に『伝統派』にしろ『革新派』にしろ活動の上で都合が良いという理由に基づく。


 そうなれば、より躊躇せず速やかに勝利へ手を打てる方が勝つのは自明で、旧態依然の組織たる『伝統派』に勝ち目は無かった。

 負けた彼らは、もはや組織として体面を保てず、ひっそり研鑽に励むか、プライドを捨て『革新派』に取り込まれるか、殺されるかの3択。


 それを尻目に『革新派』は合法、非合法を問わずビジネスに手を出し、一握りの成功者は巨万の富を手に入れた。

 それに付随する権力も。


 そんな魔術師の社会で汚れ役は必須。

 一般的な殺し屋は腐る程居たが、その中で特異な例が『魔術師の殺し屋』。


 魔術師でありながら、この汚れ役を担う連中は大方訳ありで、その上環境にも恵まれぬ、才能の乏しい奴らばかり。


 彼らは魔術師の法に則り殺傷を果たした役職から引用し『処刑人』と呼ばれた。


◆◆◆◆


 たった今背後に控える1人を除き、部下は全員死んだ。

 男がそう判断したのは自然な流れだった。


 炸裂する銃声を聞いてなお誰も身動みじろぎせず、敵がこちらを生け取りにするメリットは無い。

 加えて、それが正しい証拠は今突き付けられた。


「……死んでるな」


 悔やむ様に、しかし感情の波を立てぬ静かな声。


 6階から5階へ下る階段の踊り場に配置した部下は2人。

 階下からの侵入者へ監視と対処を任せていたが、両者共目をかっぴらき死亡。

 壁にもたれかかる姿は朽ちたマネキンの様。


 拳銃は懐に残されたまま使った形跡は無く、不意の一撃で死んだと推察できた。


 ここまでの情報で敵の魔術へ大まかな対策が立てられる。


「死体に目立った外傷は無い。毒物も見た限り使われてないが、短時間で確実に命を奪う……か」


「攻撃的ですね。あなたのと違って」


 短時間ながら一通り調べ、その場を後に。

 1階の出口目指し下る。

 その進行はどこか足早で、上から来るだろう刺客へ警戒は怠らず。

 だから、近くまで迫るものなら察知できるはずだが、気配は一つとて無く気味が悪い。

 しかし来るならカチ会うはずなのだ。ビルに階段は1つしか無いのだから。


 だが、


「普通に1階へ来れましたね……」


 何とも拍子抜けしたと、部下はその口調で語る。

 しかし、男にしてみれば不気味さは一層膨れ、階段を降りた、その先の今となっては唯一生還を果たし得るビルの出口をどこか不吉に捉えた。


 だから、


「先行する」


 短くそう告げて短機関銃の銃把を無駄の無い所作で握り、いつでも撃てる心積りで歩む。


 出口までの約5mが遠くに感じられ、ちょうどその時だった。

 異音。


 どこ、と、考えるまで無く直上。

 即ち天井、しかし2階から響くにしては、デカすぎ。

 2階の床と1階の天井の間。丁度ダクトなど敷き詰めた、その空間でドサドサと、何か動き回ってる様な……


「あ……え、」


 砂、砂状にボロボロ砕けた天井が2人に降りかかった。使われてる建材は突如崩れ、それと共に重力で引かれ落ちて来たのは、人間。


 警戒していた例の——


 触れた。


 そいつが天井と共に落ちて来たその直下に男の部下が立っていた。

 何という偶然、凶運。


 だから、なすべき事をなす様に、真下にいた存在へのしかかって押し倒し、顔を掌で挟んで触れ、それだけだ。


 それだけで刺客は男の部下を殺した。


「は……あ?」


 刺客の魔術の性質は概ね把握していた。

 掌の接触に伴う物質の破壊、速やかな殺害。

 6階でコソコソ動き回っていたのは、それが射程距離が短いゆえと推察。

 加えて銃弾を防いだあの挙動。

 結び付ければそう考えられる。


 であれば、この刺客はその魔術で各階の床と天井を崩し一階ずつ降りて、たった今、1階に到達した。


 狭い階段での銃撃を避け、相手の油断を誘う意味で効果的だが間に合う保証は無く、博打も博打。

 ついに命運も尽きて来たらしいと男は皮肉に笑い、


——で、どうするか


 考えるまでもない。


 男は銃口を標的へ向け、しかし動揺が隠せずほんの数瞬、その動作は鈍く、向けた銃口は豹のように伸びる刺客が銃身を掴んで逸らした。


 数瞬の攻防。

 くう穿うがつ弾があらぬ方へコンクリートを削り立て、


 銃身を掴んだ手は右、残った左が男の鼻面へ触れるのを紙一重で躱し、男は既に灰になりかけた銃を手離す。

 ベルトのバックルから仕込みナイフを抜きざま顔面に突きを入れ、しかし、頬を浅く裂いただけに留まり互いは互いを警戒し距離を取った。


(相当つかうか……)


 その認識と共にこうして初めて適度な距離で対峙し、互いは互いを視認した。


「……若い」


 男が漏らしたのはそれだ。

 さらに言えば刺客は女だった。


 若い女。おそらく二十歳はたちにすら満たない。

 身なりはダウンジャケットとジーンズ。

 動きやすくラフだが、ほっそり白い顔の目鼻立ちは古風に整い、月明かり照らす美しさはこんな状況でなければ目を引く。

 顔を隠す意図だろう。先までつけていた紙マスクはたった今斬撃で紐が切れ、落ちた。


 いや、落ちるより早く男が仕掛けた。

 そもナイフとは軽さとスピードから防ぎ、躱せる代物ではない。

 それが成り立つのは映画の中だけだ。

 目の前の女はそれでも捌きそうな覇気に満ちていたが、しかし男はナイフの扱いに長けていた。


 だからだろう、女の刺客も己が得物を抜き放つ。

 ダウンジャケットの中、背中に括り隠し持っていたリーチある幅広の片手剣。

 青龍刀。


 斬撃に向いたそれが、男のナイフを繰り出す腕ごと容赦なく斬り飛ばし、しかし、この展開は男好みと言って良い。


 だから微塵も怯むことなく、まだ流血が始まったばかりの腕の断面を女の胸部に押し当て


——己が魔術を起動


 その支配——属性は『肉』。

 効果傾向——カテゴリーは『補完』。


 魔術師だが下等な術者の男はそれを自身の肉体へ作用させるのみ。

 詰まる所男は自身の外傷を瞬時に再生できた。千切れた腕さえも。


 では外傷に異物が詰まっていたらどうなるか?例えば銃弾の詰まった傷口は?


 答え——異物は魔術という外法の、いわば魔力によってこの世から消え失せる、だ。


 であれば、斬られた腕の断面を人間に押しつけ魔術を起動したらどうなるか?


(死ねぇッ……)


 獰猛な笑み。

 再生した腕は断面から徐々に形成され、その体積分刺客の肉体を消し去るだろう。

 丁度断面の延長線には刺客の心臓がある。


 この攻撃を、完全に独学の魔術で数回に渡りやってるせいで、男の右腕は左より数センチ短い。正しい手順を踏まずやり続けたからこうなった。


 で、結局この場ではどうなったか。

 結論から言えば、男の治癒魔術を駆使した攻撃は不発に終わった。断面から腕がほぼ再生しなかった。

 それに男は驚く間もなく、ただ己の中から自分の本質とも呼べる大切な何か、体力とも血液とも魔力とも違うより本質的な何かが吸われる感覚を味わい、倒れた。


——即死だ

 

 それを見つめる女はただ怜悧で冷徹で、憐れみを込めるような目。

 男は、自分の死をまるで感知できず、獰猛な笑みのまま死んでいた。


 こうなった訳は男の根本的な読み違いにある。

 男は刺客の魔術が掌から繰り出される物と考えていた。

 だが結局この女は体のどこからでもソレが繰り出せ、つまり男の攻撃で女の着ている服のみ貫通した瞬間、腕の断面が皮膚に触れ、彼女が生得する『死』の魔術で殺された。


◆◆◆◆


「お疲れ」


 路肩駐車のハイエースへ戻った彼女。

 盧乃木ののぎ沙耶香さやかを迎える運転手の一言。


 聞き流して後部座席へドカッと座り、彼女は開口1番


「着替え持ってません?」


 と、そう言って着ているダウンジャケットと服の、丁度胸の位置に空いた穴を眺めた。

 着けていた下着は無事だった。


 そして前を見ていた運転手がエンジンをかけにかかる手を止め振り返り、


「なんだ、その穴」


「相手の魔術ですよ。後藤さん。ほら、前もあったでしょ。腕切ってそれ生やして延長線の体積消し飛ばすやつ」


「ああ」


 合点がいったとばかりに向き直り、後藤と呼ばれた男はエンジンをかける。

 かなり年季の入った車ゆえ始動の際少し揺れたが、慣れたもので前方の電柱をスイと避け滑らかに走り出す。


 ちなみに着替えは用意されておらず、一先ず血を拭けとばかり後藤はバスタオルだけ渡した。

 しょうがないので沙耶香は背中にくくりつけた青龍刀を脇に置き、ダウンジャケットを脱ぎ、それで上半身を包んだ。


「で、今回の相手はどうだった?」


 半ば義務のように聞く後藤。

 沙耶香は一通りあらましを語り、最後に


「……結構強かったし、あの魔術が初見だったらヤバかったかなー」


 と、総括。

 「ヤバイ」とは言うが、「殺される所だった」とは言わない。

 この認識は驕りでは無い。


「そうかそうか。ま、あんだけの連中を『内象魔術』オンリーで片付けられるなら上出来だ」


 そう言って慣れたハンドル捌きで車を右折。

 安全運転を心がける。

 そして彼が言った『内象魔術』とは魔術の運用方法の一種であり、他に『外象魔術』と呼ばれる方法がある。


 効果範囲が術者の肉体から、接触した物体までの術が『内象』の範疇。

 より広く空間を支配する『外象』よりローコストで起動が早く、数瞬を争う攻防に適するが、そもそも多くの魔術師がこの使い分けをできない。


 『外象』という魔術の運用はそれほど高度なのだ。

 大半がその領域へ達せず一生を終える。

 もし扱えるのなら、高等魔術師として出世の道が開け、で、話は変わるが、この盧乃木沙耶香という女。

 いわば持ってる側。

 『外象魔術』の運用が可能で、本来なら高みへ行けるはずが、あくまで『処刑人』の立ち場に甘んじる。


 そのわけは……


「そろそろ、と思っていたが、うん。いいだろう」


 後藤が話題を変える。


「なんです?」


「約束していたからな。これから俺はお前との契約の履行に移る」


「……」


「だが、あくまで釘刺しとくが、復讐ってのは……」


「分かってますよ」


 そう言った沙耶香の顔を、後藤は振り向きざまチラと見て、すぐさま前方へ。


(あれが弟の話する姉の顔かよ……)


 その顔、ひいてはその目を見るたびゾッとする。

 彼女が殺したいのは実の弟、盧乃木ののぎ徳人のりひとに他ならぬ。

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