ゴシック・パンク

空き巣薔薇 亮司(あきすばら りょうじ)

part1

プロローグ 父との思い出

 覚えているのは優しい温もり。

 覚えているのは頬を撫でる手、穏やかな声。


 亡くなる前の父との思い出は概ねその要素で占められている。

 世の中の大半の女の子が幼い頃に将来を夢想して、自分はこれから恵まれた世界を歩むと確信して言うように「将来はパパと結婚する」なんて月並みな事も言ったかもしれない。


 優しい思い出だ。

 優しい思い出……いや、一つ。本当にただ一つ例外があった。


 ある時、父の書斎に内緒で忍び込み、探検と称して部屋の至る所を見て回った時の事。


 偶然だった。地下へ続く階段を見つけたのは。

 たまたま木目の不自然な床を見つけ、たまたま開いていた鍵、そこに入り込もうという幼さが誘発する蛮勇。


 偶然にしては出来過ぎで、この時全てが揃っていた。

 そして出会ったのだ。その人に。

 柔らかで、触れた感触ひとつとっても逸品とわかる真紅のカーペット。天蓋付きのベッド。後は分厚い古書の収まった本棚がいくつか並んだ部屋。

 地下故に窓が全くない事を除けば古色蒼然とした装い。

 人間が生活の全てを補完するにはやや欠落したこの空間で、その人は暮らしていた。


 それからいくつか言葉を交わしたが、その内容はどうにも思い出の中で美化されハッキリとしない。


 その時の私は、恥ずかしながら何か熱に浮かされた様で、原因はその部屋に居た彼女があまりに美しかったからだ。


 地下の一室に閉じ込もった美女という在り方はおとぎ話の題材となり得て、いや、そのものと言える神秘性。


 そして、ほんの少しの会話の末に


「もう、上に戻って」


 そして、言われるがまま階段を登った。

 当時の私はその一連の出来事を隠す気が無く、一方で、父の部屋を勝手に漁ってしまった罪悪感はあり、若干言いそびれて夕餉の後、父と2人の時に「あの女の人は誰?」と無邪気に質問を投げかけた。


——この後はちょっとトラウマだ。


 平手。

 質問した私に父は手を上げた。

 当時の私は6歳だったので、大人との体格差を考えれば突き飛ばされ頭を打ったはず。

 何が起こったのかまるで分からず、混乱の中見上げた父の顔は……


 まるで分からなかった。

 なぜ、そんな顔をしたのか。

 そして、すぐさま冷静さを取り戻した父は私を抱き起こし頭を撫でた後、ひとしきり謝罪を述べて、更に低い声でこう言った。

 

「あのな……父さんはあの人を殺さなきゃいけないんだ……」


 『殺す』という言葉がどういう意味で、その行為が何か、今となっては嫌になる程知っている。

 だが、その時は何も分からず、そして父が泣いてしまいそうな顔を浮かべたので、戸惑いつつも


「うん……」


とだけ頷いた。

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